ミハイル・ゴルバチョフ『すでに期限切れとなった改革を貫き通すには、全身全霊で事に当たり、もてる力をすべて集中しなければならなかった。』
ミハイル・ゴルバチョフ『すでに期限切れとなった改革を貫き通すには、
全身全霊で事に当たり、もてる力をすべて集中しなければならなかった。』
[ソ連最後の最高権力者 ミハイル・ゴルバチョフ]
大胆な『グラスノスチ(情報公開)』とペレストロイカ運動によって、
民主化と自由化の大改革を断交。
40年にわたる東西冷戦を終結させたのが、ゴルバチョフ元大統領である。
ノーベル平和賞をもらって当然の彼の偉業は、
歴史的にもとても有意義なものである。
野心を持って自分の人生に革命を起こそうと奮起する者は大勢いるが、
なぜか、彼らの人生は、彼ほどの歴史的価値を感じない。
それだけ、人類に平和をもたらすということは、
争いをやめさせるということは、
崇高なことなのである。
自分の命が削れてもいい。
そういう覚悟を持った人間は、
強い。
そういう人は、『自分の命を使い切る』ことが出来る。
ミハイル・ゴルバチョフ『すでに期限切れとなった改革を貫き通すには、
全身全霊で事に当たり、もてる力をすべて集中しなければならなかった。』
力道山『男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかないぞ。』
力道山『男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかないぞ。』
[不屈の戦士 力道山]
『男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかないぞ。
それは過去に誰もやったことのないことを一生懸命やることだ』
本業だった力士を挫折、
朝鮮出身であるという生い立ち、
力道山の人生をめぐる困難や試練は、決して並のそれとは違う。
この言葉は的を得ている。
一番手の法則、
カテゴリーの法則、
独占の法則、
梯子の法則、
ボーリングピン戦略、
枚挙に暇がない。
力道山は、おそらく直感でこれを見抜き、それをやり遂げたのである。
世の人々は、この手の言葉に弱い。
多くの人が、注目するだろう。
成功、
金儲け、
人の上に立つ。
これらの『野心』に溢れた心を抱くのを否定はしないが、
それに飲まれている人間が圧倒的に多い。
そういう間は、本当の成功者にはなれないだろう。
人間として本当に成功する人とは、
『情報(インフォメーション)』はほしがらない。
彼らがほしがるのは、『知性(インテリジェンス)』である。
例えるなら、
『豚に真珠』、『猫に小判』。
彼らに『知性』という真珠や小判をあげてもなつかない。
なつくのは、『情報(成功、美貌、強者、勝者を勝ち取るための)』という、
穀物や、キャットフードである。
よく考えなければならない。
『知性(真珠、小判)』さえあれば、
『情報(穀物、キャットフード)』など買おうと思えばいくらでも買えるということを。
力道山『男が人の上に立って成功するには、方法はたった一つしかないぞ。』
キリスト『未曾有などない。あるのは不変のリズムだけだ。』
キリスト『未曾有などない。あるのは不変のリズムだけだ。』
よく人は言う。
『未曾有の大事件だ』と。
100年に一度の大震災、
100年に一度の大恐慌、
100年に一度の金環日食、
100年に一度の隕石衝突、
人間の尺度で計るから『未曾有』になるのだ。
そもそも、なぜ人間の尺度で計ったのだ。
なぜ、人間が一番偉いと思い込んでしまったのだ。
人間は、神ではない。
人間は、この世に在るすべての存在と同一の、
一つの生命にすぎない。
自分たちがたまたま人間だからといって、
その他の生命や存在を見下すのは、排他的であり、無知である。
風林火陰山雷。
元気玉。
自分の無力さを知り、
自然の力を味方にせよ。
キリスト『未曾有などない。あるのは不変のリズムだけだ。』
ブッダ『負の連鎖を断ち切る者が人間を制す。』
ブッダ『負の連鎖を断ち切る者が人間を制す。』
人に負の感情を押し付けられることはよくある。
これだけの人がいるのだ。
その数の分だけ、可能性がある。
例えば理不尽に、
こちらが何もしていないのに、人が怒りをぶつけて攻撃してきたとする。
ここでその怒りに押し流されて、
あるいは恐怖し、支配されてしまっては、こちらには嫌な気持ちしか残らない。
相手だけが鬱憤を晴らせるという、なんとも理不尽な一件になる。
だが、もしそのとき、
冷静さを保ち、それについて怒らずに、
平常心で、
克己心で、
あるいは、
哀れむ気持ちで彼を見ることが出来たなら、
彼の心には、
こちらに受け取らせるはずの『鬱憤』という負がどっさり残る。
そして彼は、こちらに投げ飛ばしてスッキリしたと自分に言い聞かせるものの、
実際はこちらが受け取らなかったため、心底に抱えたままになり、
その鬱憤をたった独りで消化せざるを得ず、
自滅するだろう。
まるでバリアーが張られているかのように、
負の連鎖を断ち切る人間とは、
自分の人生に、害を及ぼす『悪玉菌』が入ってこないよう、コントロールする。
あるいは、
入ってきても鍛え抜かれた『善玉菌』でもって、
悪玉菌を退治し、追い出すのだ。
こういう人間は、強い。
たとえこの世でどんなことが起きても、
自分の人生を見誤らない。
ブッダ『負の連鎖を断ち切る者が人間を制す。』
ソクラテス『満足は、自然の与える富である。贅沢は、人間の与える貧困である。 』
ソクラテス『満足は、自然の与える富である。
贅沢は、人間の与える貧困である。 』
例えばこういうことだ。
『飢えた体に与える食事』は、なんと心身が満たされることか。
この世に生まれたことに感謝してもしきれない。
そういう幸福感で、胸がいっぱいになる。
だが、
『無駄に満たしきった体に与える暴食』は、なんという無知な無駄遣いだろうか。
本来、それほどの幸福感をもたらす食事であっても、
人間の私利私欲いかんによって、
ときには人間の心身を損ねる害になりかねない。
我々がとるべき分は、
”満足”であって、”贅沢”ではない。
これは、『人間の仕組み』である。
これがわからない人間は、
どんなに表面的なステータスで着飾っても、
無知であり、虚しい。
なぜなら彼らは、まるで『人間の覇者』を気取っているのに、
『人間の仕組み』を理解していないからだ。
ソクラテス『満足は、自然の与える富である。
贅沢は、人間の与える貧困である。 』