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2013.02.19 Tuesday

孔子『死を考えるよりも、今現在を精一杯生きよ。』


孔子『死を考えるよりも、今現在を精一杯生きよ。』

 


人間は必ず死ぬ。


なにかこういう言い回しは、とても”儚く、虚しい”。


そもそも、『死ぬ』という言葉に、

我々はあまりにも悪い印象がある。


それは、『痛み』を経験しているからだ。

その『痛み』の、最高峰にあるのが『死ぬ』ということだから、怖いのだ。


それは、『死体』を見てしまっているからだ。

昨日まであんなに元気だった人が、急に『死体』になるのを見るのは、

あまりにも苦痛だからだ。


それは、『殺人』、『死亡事故』を知ってしまっているからだ。

それに付随する事件、事故のあまりにも無残な精神的凌辱や理不尽が、

我々の心を、強くひねりつぶすからだ。



だが、我々は人間本位だ。


アリを潰して殺したり、

エゴを満たすために森林伐採をして植物を殺したり、

一部の人しか生物多様性のことを重く考えていない。


そして我々は、自分本位だ。


今日、今まさにこの瞬間にも、この世のどこかで誰かが亡くなっているのに、

我々はテレビを見て笑い、

酒を飲んで踊り、

自分の私利私欲を満たすことを考えている。



人間とは、なんと薄情で、

そして同時に、なんと繊細な生き物なのだろうか。



人間の、”心”がそうさせる。


人間に、”心”があるから、”儚く、虚しい”のだ。


この世に生まれ、

不幸と幸福に一喜一憂しながら、この世を去る。


”儚く、虚しい”生き物なのだ。




だが、

だからといってそれが、

この世を下を向いてくよくよと生きていく理由にはならない。


むしろ、

有限で、儚い人生だからこそ、


”尊い”人生を生きるべきなのだ。



『死』など考えなくていい。


考えても考えなくても、いずれ生命は尽きる。


この世に生まれたことに悔いを残さないよう、

前を向いて…





のび太『…うう、僕はもうだめだ。

勉強もできないし、のろまだし。

僕なんてどうせなにをやってもだめなんだ。』


(珍しく自分の将来に落ち込んでいるのび太を見て、

のび太の教師は言う。)



のび太の教師『…野比。

人間はなんで目が前についてるか知ってるかい?


前を向いて生きていくためだよ。』






…そして、上を向いて生き続けるのだ。



『刑務所の鉄格子から、ふたりの男が外を見た。

ひとりは泥を眺め、

ひとりは星を眺めた。』









孔子『死を考えるよりも、今現在を精一杯生きよ。』

2013.02.12 Tuesday

孔子『”他”の為の知識習得は、的を外している』

 
孔子『”他”の為の知識習得は、的を外している』




『勉強』とは、現代中国語では『無理強いをする』という意味である。


的を外しだした教育課程、

『成功者になる為の裏技』、

『異性にモテる為の秘訣』、


とかく人間は、『学問』や『知識』を出世の道具としかみなさないことが多い。


そのため、文字通り『知識の無理強い』がそこらじゅうで行われていて、

人としての的から、外れている。


知識の習得とは、本来『自分の為』にやるべきことだ。

私もこれらの『違和感』に気づき、中学二年生から学校の授業をまともに受けていない。

家庭で抱える複雑で大きな問題が解決していないのに、

勉強なんて手につかない。

自分の心が、『本当の優先順位』を叫んでいたのだ。



それから波乱万丈の半生があり、

問題の解決、あるいは問題解決能力を身につけた今の私は、

面白いくらい本をスラスラ読めるようになった。


当時では絶対にありえないことだ。

当時の私に本や教科書を見せたって、絶対に頭に入らなかった。

それよりも重要な問題があると、脳が、心が、魂がわかっていたからだ。


勉強、知識の習得とは本来、

環境の差異がある人それぞれでタイミングが違うものだ。


学校へ行き足並みをそろえて同調することを強制し、

出来なければできそこないの烙印を押し、

出来れば優等生の評価をすることは、間違っている。


自分が本当にやるべきだと思ったことを、

そう思ったときに学べばいい。


もし知識が頭に思うように入らず、

うまくいかないのであれば、

その知識は、おそらく現在の自分には相応ではない知識なのだ。


流行、

セオリー、

金儲け、

異性問題、


とかく人はそれらに頭を支配されがちだが、

勉強(無理強い)している違和感はないか、自分に問いかけてみるといい。


自分が本当に欲していて、

現在の自分の身分に本当に相応なことであれば、

人は自然と、その知識を身につけていくものだ。


人目を気にして『アンテナを張ること』に気を取られず、

自分の人生の為に『習得していくこと』を重んじよ。


一度しかないこの人生。


一体、誰の目を気にして生きていくつもりなのか。











孔子『”他”の為の知識習得は、的を外している』

2013.02.05 Tuesday

孔子『類推できる主体性がない者には教育の施しようがない。』

 
孔子『類推できる主体性がない者には教育の施しようがない。』




類推(るいすい)とは、1教えたら、『その先が2で、次が、3、4と続くだろう』と読み、

たとえ教えられている立場でも、依存せず、自分の頭で考えることである。


この言葉、

『コペルニクス的転回』を唱えた、イマヌエル・カントも同じことを言ったという。



ちなみに私は、この言葉の意味を誰よりもよく理解しているつもりだ。

場面によっては重度の吃音症でADDにも似たハンデを負い、

『僕は一生現実逃避をして生きていきます』

と口にする部下と向き合って、もうすぐ5年になる。



その苦労は、

おそらく並大抵の人では理解することが出来ないだろう。

(だから今はもう、誰にも理解を求めない。)






この世には、


言われたこともできない人、

言われたことしかできない人、

言われたこと以上のことをやる人


の3種類の人間がいる。



ズバリ、一言で済まそう。


最後者でなければ、

”生きている”とは言えない。



『生きるとは、”呼吸”することではない。


”行動”することだ。』

byルソー











孔子『類推できる主体性がない者には教育の施しようがない。』

2013.01.29 Tuesday

孔子『克己ある一日を生きる。たったそれだけのことが、この世界に重要な意味をもたらす。』

 

孔子『克己ある一日を生きる。たったそれだけのことが、
この世界に重要な意味をもたらす。』




かの福沢諭吉は、

『一身独立して一国独立す』

(個々人が独立自存の道を歩むことによって、

はじめて国も独立国家となれるのだ)


と説いたが、

孔子は2500年も前にこれを説いている。


自分一人の行動が、

この世界に影響など及ぼすものか。

そう考えた人も、多いだろう。


正直者は馬鹿を見るというが、

自分だけが踏むべき道を踏んで歩く中、

ウサギに追い抜かれると、損をした気分になる。


そう考えた人が、多いだろう。



私は廃棄物処理、リサイクル、リユースの仕事をしていて、

HPの挨拶にも正直にこう書いている。


『私は不法投棄に罪を持たない人間だった。


自分のゴミのポイ捨てが、どれだけ地球に影響があるものか。

地球規模で考えたら、

自然を壊して作った家や、

排気ガスを排出する車や、

CO2を大量に放出する工場こそが、

”ゴミのポイ捨て”になるだろう。


自分のゴミのポイ捨てなど、ここまで膨れ上がった人間の人間本位な欲望に比べたら、

塵のような出来事に過ぎない。


そう考えていたからだ。



私の視野、器は、人としてあまりにも小さすぎた。』



孔子は言う。

たった一人でも正しい生き方をすれば、

”その分だけ確実に”、この世は正しくなる。



自分一人の力など、

壮大な地球にとって、

多くの人間にとって、

大した貢献にはならないかもしれない。


だが、

それはやらない理由にはならない




一人一人の小さな心がけが、

大きな気運を、生み出すのだ。









孔子『克己ある一日を生きる。たったそれだけのことが、
この世界に重要な意味をもたらす。』

2013.01.22 Tuesday

孔子『カメの生き様を見極めよ。』

 
孔子『カメの生き様を見極めよ。』



孔子は説いている。


”膨張”は弾ける。

”メッキ”は剥がれる。

”楽”をすると転落する。



自分の人生の横を、

ウサギが駆け抜けても、気に掛ける必要はない。


自分には到底出来そうもない派手な走りで追い抜かれても、

気に病むことはない。


彼はウサギだ。

あるいは、ウサギだと思い違いをしているカメだ。


前者であれば当然、野原での徒競走は最初から有利だ。

後者であれば、転落する。

身分不相応に楽をし、裏技を使い、

踏むべき手順を踏まずに先に進もうとしたり、

人を追い越そうという軽薄な人間は、

必ず転落する。







『膨張』と『成長』は違う。

実に多くの人がここをはき違えている。


私の周りでも、それを理解している人を探す方が難しいくらいだ。

そして何を隠そう、私も何度も『膨張』を追い求め、

弾けて失った経験を持っている。


そして、時間の差こそあれ、

それを追い求めた者は必ずと言っていいほど、弾けてしまっている。


浮足立って足元をすくわれたり、

脱税がリークされたり、

調子に乗って身分不相応なことに手を出し痛い目に合ったり、

軽薄な人間関係や金の使い方をしてその全てを失ったり、


『踏むべき手順』を踏まずに前に進もうとする人、

特に人よりも前に出ようという人が、

必ず制裁を受けている。



これは『真理』である。


地球に住む何兆もの生命の中で、

自分にしか歩けない道はたった一つのはずだ。


『成長』の道である。


自分にしか歩けない道。

その道を歩く確かな一歩の積み重ねでしか、

遠くへはいけない。




孔子『カメの生き様を見極めよ。』

2013.01.08 Tuesday

孔子『失敗したときは、即改めよ』


孔子『失敗したときは、即改めよ』
 

失敗したときに、

すぐに言い訳をし、

誤魔化し、

あわよくば隠蔽し、

責任転嫁をし、

問題の解決から目を逸らす人がいる。


中にはそれをうまくやることが、賢いと思い違いをしている人も多い。

やめたほうがいい。



例えるならこうだ。

ある一本の紐がある。

その紐は、生まれて、死に向かって伸びている一本の紐である。

人はその紐を手繰り寄せながら、一日一日、人生を生きていく。


ある日その紐がこんがらがってしまった。


その紐をほどくのは、面倒だ。

手間がかかる。

嫌な仕事だ。


やろうと思えば誰でもできることなのだが、

やらなくても先に進めるという短絡的な事実から、

やろうと思う人が少ない。


だがこの絡んだ紐は、ほどかないと後々自分の足に絡まって、

その足を引っ張ることになる。

手間をかけてほどいた人がスムーズに人生を歩んでいるとき、

絡んだことを無視した人は、その絡みに足を引っ張られ、足止めを食らう。




問題解決の重要性とは、そういうことだ。

問題が起きたら、見て見ぬふりをしてはならない。

誤魔化してはならない。

責任を、誰かに転嫁して逃げてはならない。


問題は必ず起きる。

その起きた問題に対してどう向き合うかが、人の運命を決めるのだ。



孔子はさらに言う。

『過ちを犯して改めないのを、本当の過ちというのだ。』


また、

弟子の子夏は言う。

『小人物は間違いを起こすと、うわべを取り繕って誤魔化そうとする。』



つい最近の時事問題で言えば、

無料携帯ゲーム会社、GREEによる、『未成年からの超過課金問題』である。


同社はこの事実を、半年以上も隠蔽していた。


実際に、隠蔽するつもりはなかったとしても、

社会の目はそうは見てくれないだろう。


もっと早くに自らの過ちを公表し、返金措置を取っていれば、

システム上の誤作動、不具合程度に見られたかもしれない。

社会の裏でコソコソと金を儲けるチンピラ稼業ならまだしも、

あれだけの影響力を持った企業がやることではなかった。



法の網をかいくぐり、

義利合一の精神を忘れた人や企業は、

淘汰される。


問題を見て見ぬふりをして先を急ぐ人はまるで、

負けることを恐れ、勝ちに焦った『ウサギ』である。


勝つのは『カメ』だ。

つまり、

問題が起きるごとに立ち止り、

解決してから前に進む。


急ぎ足の人から見ればそれはもちろんノロマに見えるが、

それが人生の、最短ルートなのだ。


そもそも『カメ』は、勝つことに執着していたのだろうか。


『ウサギ』と地上というアウェイで勝負しようと思った時点で、

『カメ』は勝ちに執着していない。


『カメ』のホームは、海だからだ。


『カメ』はただ、与えられた環境で自分のやるべきこと、

やれるだけのことを全力でやっただけなのだ。






孔子『失敗したときは、即改めよ』

2013.01.01 Tuesday

孔子『朝、人生の奥義を聞けたなら、その日の夕方に死んだって悔いはない。』

 
孔子『朝、人生の奥義を聞けたなら、その日の夕方に死んだって悔いはない。』

 



いつ死ねば悔いが残らないか。

それを孔子の言葉から内省する。


孔子は、朝、人生の奥義を聞けたなら、その日の夕方に死んだって悔いはないという。

そしてそれは同時に、人生の奥義を見極めるまでは死ねないということを意味する。



人生に目的を持ち、

それを達成するまで死ねない。

そういう意思を燃やす人間は、この虚しい人生についてくよくよと下を向かず、

前を向いて力強く生きることができる。


なぜなら彼らはこの人生で、

『命を使い切る』

ことを、覚悟しているからだ。



すべての人間というものは、結局生まれて、死ぬ運命。

生きてる間に格差があっても、

死ぬときは皆、平等である。


何のために生まれたのか。

何を成す為に生き貫くのか。


スポーツ、

学業、

教育、

政治、

ビジネス、

アート、


何でもいい。


それをして死ぬとき、本当にこの人生に悔いを残さないか。

もし心底からそう思うことができたのであれば、

人は、人生の奥義(生きた意味)を、見出したのである。



自分の心に問いかけるべし。

『それが本当にお前の人生でやりたかったことなのか?

本当に、このたった一度の奇跡の人生でやるべきことは、それだったのか?』



厳しく深遠な人生の奥義を聞くべき人は、この世にたった一人だけ。

自分の心である。


自分の心だけは、欺いてはならない。


そして恐れてはならない。

自分の心がそうだと叫んだのであれば、

それを貫いて息絶えても、人はこの世に悔いを残さない。


なぜならそういう人は、

この儚い人生に、尊い奥義を、見出したからだ。






孔子『朝、人生の奥義を聞けたなら、その日の夕方に死んだって悔いはない。』

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