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2012.07.24 Tuesday

橋頭堡

 
橋頭堡(きょうとうほ)


渡河攻撃の際、渡河部隊がその後の作戦に必要な地歩を確立するため、

対岸に確保する地域をいう。


もとは川を挟んで戦うとき、橋のたもとに堅固に築いた陣地のことであった。

上陸作戦の際、上陸部隊が海岸に確保する地域のことは海岸堡beach headとよぶ。



ビジネスの世界で言えば、

『ニッチ市場を橋頭堡にし、実績を作り、

その波及効果を得る。』


そういう戦略を組み立てる時にわかりやすい概念である。










橋頭堡(きょうとうほ)
2011.06.06 Monday

郷原

 郷原


世の中にたいそう通りの良い人間がいる。

これを郷原(きょうげん)と孔子は言う。






━子曰く、郷原は徳の賊なり。正直に自分の意見を主張して、論戦したり、

反対したり、というようなことは一切しない。

自らの見識、信念に従って堂々と行動しない。

誰にでも調子を合わせて、自分だけいい子になってゆく人間、つまり世渡りの

うまい人間のことを郷原と言うのである。

このようなものが時代を支配し、あるいは時代の代表的な存在になることもあるが

孔子、釈迦、ソクラテス、キリストといったような人間は、郷原を向こうに廻して自ら

の信ずるところに従って、堂々と主張し、行動したのだという。


これを知り、私の生き方はどちらに属するか、(どちらを志しているか)ということは

知人ならよくわかるはずであり、私も多く、『仲間はずれ』にされる(或いは自ら志願

する)ことがあるが、少しも自分を恥じない理由がここにあるのだ。 


このことからも、よく理解るはずである。

『世の中の罠』と『真実の尊さ』が。


真実に生きることができる人間は、ごく稀である。



郷原

2011.06.01 Wednesday

義利合一

 義利合一


かの孔子、孟子の教えを、孔孟教というが、



その孔孟教の誤り伝えたる結果は、

『利用厚生に従事する実業家の精神をしてほとんど総てを利己主義たらしめ、

その念頭に仁義もなければ道徳もなく、甚だしきに至っては法網を潜られるだけ

潜っても金儲けをしたいの一方にさせてしまった


従って、今日のいわゆる実業家の多くは、自分さえ儲ければ他人や世間は

どうあろうと構わないという腹で、もし社会的及び法律的の制裁が絶無とした

ならば、かれらは強奪すらし兼ねぬという情けない状態に陥っている。』


としている。

つまり、『義』と『利』の合一。

富みながら、かつ仁義を行い得る例は沢山にあり、『利』を求める一切の人間は

義利合一の精神を忘れてしまっては、未熟者として一生を終えてしまう。


かつての私には、耳の痛い話である。

ただ、それだけに、心に染みる教えなのだ。

今の私は彼ら偉大な先人達のおかげで、精神年齢は年相応ではない。




義利合一

2011.05.27 Friday

得意時代と失意時代

 得意時代と失意時代


およそ人の禍は、多くは得意時代に萌すもので、得意の時は誰しも調子に乗ると

いう傾向があるから、禍害はこの欠陥に食い入るのである。


ならば、得意の時だからといって気をゆるさず、失意の時だからとて落胆せず、

平常心を保つことを意識することが重要である。


つまり、『勝って奢らず、負けて腐らず』と同じ意味である。


『名を成すは常に窮苦の日にあり。事を敗るは多く得意の時に因す』と古人も

言っているが、この言葉は真理である。


困難に処するときは、ちょうど大事に当たったと同一の覚悟をもってこれに臨む

から、名を成すにはそういう場合に多い。

世に成功者と目せらるる人には、必ず『あの困難をよくやり遂げた』、『あの苦痛を

よくやり抜いた』というようなことがある。これすなわち心を締めてかかったという

証拠である。


かの徳川家康が抜きんでて持ち合わせていたという『レジリエンス』の能力が、

これにあたるのだ。




得意時代と失意時代

2011.05.10 Tuesday

四聖の教え

 
私は生涯無宗教であり、”墓参り”、”お参り”、”結婚式の誓い”のような、おそらく

皆さんがほとんど何も考えずにやっているような行事でさえ抵抗感があるほど、

それについては頑なになってしまったが、


教えの崇高さを非難したことはない。

そこから学べるものは実にたくさんある。


本当の幸福とはなにか?
 
その問いに、
 
おそらく人間界に永遠に語り継がれる『四聖』の一人、
 
仏教の創始者、”釈迦”がこう答えている。
 
 
『褒められても心が浮つくことなく、非難されても決して落ちこむことなく、
 
心が平静でいられるのが幸せである。』
 
 
心が波打つ苦しみから解放されて、穏やかに安らいでいる状態。
 
それが万人に共通しうる最高の幸せだと言う。
 


指導者として日頃から対象者にはこのことを何度助言をしたかわからないが、

それでも”流されるまま”になってしまうほど、この世代は軟弱である。

今、バブル後、ゆとり世代の我々には考えられないほど、小学校からのカリキュ

ラムは激変してきている。

まず、『チャイムが鳴らない』というのである。

学校のスケジュールをチャイム任せにしていた我々と違って、幼少の頃から、

そうして主体性を磨く訓練をするようになったのだから、これは将来の彼らへの

期待値が上がるのだ。


物事の”主”となって、”主体的”に行動する、自立した人間、

物事に”反応”していくだけの、”反応的”な、『流されるまま』人間。


対象者の中には、

『ロボットじゃないんだから・・・』

と愚痴を言い、その”反応的”ライフスタイルを正当化する人間がいたが、

『楽しかったら浮つき、悲しかったら落ち込んで泣く。これが人間らしい。』

ということなのだろう。


だが、もしそれが人間の在るべき姿なのであれば、

『感情に流されるまま』が人間なのであれば、

私は、まず私の資産を横領した旧友を殺し、”けじめ”を取らせる。



だが、本当にそれでいいのか?


今思えばその旧友は、ヘロインの話について『これは友人から聞いたのだが』と

前置きをして、その症状について実に自分のことのように楽しそうに、

意気揚々と話し始めたが、おそらく彼は、


『薬物やめますか?それとも人間やめますか?』


後者だったのだろう。

それであれば、私の資産を堂々と横領してトンズラしたことや、その直前に言い

放った猟奇的な独断と偏見極まりない、妄想虚言にも、つじつまが合う。

これについては、第三者から見た意見からも、どう考えても100対0で、

その人間の奇行であった。



もう一度書く。

『褒められても心が浮つくことなく、非難されても決して落ちこむことなく、
 
心が平静でいられるのが幸せである。』




そして、同じく『四聖』の残り三人、”ソクラテス”、”孔子”、”キリスト”は言う。


『人間の最大の幸福は、日ごとに徳について語りうることなり。

魂なき生活は、人間に値する生活にあらず。』
byソクラテス


『虐待されようが、強奪されようが、忘れてしまえばどうということはない。』
by孔子


『自分の敵を愛しなさい。』
byキリスト



人が、人として幸せであるために何が大事か、何をすべきか、

人生で直面する試練と、どう向き合っていくかを、見失ってはならない。

それを考えることが、自分や、自分の子孫の幸福に、つながっているのだから。



2011.04.18 Monday

蛇足の語源

 蛇足の語源


中国の楚という国に昭陽という人物がいた。

彼は、戦で功績を残し、名を上げ、癸海砲泙任けのぼった。

彼は戦をやめなかった。

それ以上、いくら戦で功績を挙げても上には行けないというのに。

戦で大将を殺していける地位は、癸海泙任覆里澄


ある日、楚で祝い事があり、使用人にも大きな盃で振る舞われた。

使用人たちは、相談をする。

『みなで飲むには、酒が足りない。しかし一人で飲むには十分な量だ。どうだい、

地面に蛇を描く競争をしようじゃないか。一番先に終わった者が酒を全て飲むことにしよう。』


競争が始まり、一人が最初に描き終わった。彼は酒を右手に持って飲もうとし、

左手ではなおも描き足す。


『俺は足までいけるぞ』


すると、二番目に蛇を描き終えた男が、その酒を奪い取るとこう言った。



『蛇に足はないぞ。足を描いたらもう蛇ではないだろう』


そして、その酒を奪い取って飲んだ。

蛇の足を描いた者(蛇足をなす者)は、酒を失った。

物事の攻め方、引き際を見極める、見識、冷静さ、謙虚さを強く認識させられる戒めである。



蛇足の語源

2011.04.12 Tuesday

温故知新

 温故知新


過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。



新しいことばかりに目を向かせるのではなく、足元を見てみよ。

意外にも、自分たちのすぐそばに、チャンス、ビジネスチャンスは転がっているものだ。


この日のニュースJAPANでは、『菌ビジネス』の可能性について取り上げ、『醤油』

など、日本人には当たり前の商品のビジネスチャンスを匂わせる報道をしていたが、

その数時間前の『池上彰の学べるニュース』では、私が当月まとめたばかりの『レア

アースの都市鉱山の可能性』について取り上げていた。

その半年後には、あの芸能界のドンであるバーニングの周防氏と、avexの松浦氏と

いう“猛者”が、杉良太郎と、ベトナムに眠るその資源を繋いだ報告を公にした。


日本人にとってただの娯楽だった『マンガ』が、ここまでフランス人の文化に根付く

までになったことを想定できれば、大きな経済効果を期待できた。


どれも、経営者にとっては見て見ぬふりはできない、重要な着眼点である。


私の嫌いなやり取りに、

『なんかねーかな?バシっと儲かる、なんかいいやつねーのかねー』

というものがあるが、


浮ついた新しいことばかりに目を向けていると、足元にある、重要なチャンスを見逃

してしまうことになるのだ。

いろいろあった私の人生、こういう心構えを持った人間はいくらでもいたが、

そういう人間と大きな結果を生んだことは一度もないし、関係も続いていない。


いわゆる、“弾み車効果と悪循環”を学ぶ必要があるのである。




温故知新

2011.04.04 Monday

以管窺天(いかんきてん)

 以管窺天(いかんきてん)


管の穴から天をのぞき見る。見識の狭いことのたとえ。


日ごろから狭い世界にとどまらず、様々な意見の人々と交わることの大切さを

教えてくれる。


現代は便利になりすぎた。以管窺天に陥りがちだろう。

ニートなど、その典型である。


中国やイギリスから見上げる曇り空と、南国や北国から見上げる奇跡の空とでは、

天の印象とて異なるだろう。


思い切って人生を冒険しよう。

そうすれば、きっと自分が人生でやるべきことが見えてくる。




以管窺天(いかんきてん)

2011.02.18 Friday

死馬の骨を買う

死馬の骨を買う


ある王が名馬を求めて使者を出したところ、その使者が死んだ名馬の骨を買って戻り、

「名馬のためなら死骨でさえ高価な代価を支払うということが世間に知れ渡れば、

きっと国中の名馬の持ち主が集まるに違いありません」

と言い訳した。

果たして、ほどなく三人の名馬売りが現れた、という故事から、

“つまらない者でも優遇して優れた人材が集まるのを待つ”、というたとえ。 


現代の仕事にこれを例えるなら、よき評判が欲しければ、惰性で処理しがちな

ルーチンワークを、まず馬鹿みたいに磨き上げてみよ、するとその卓越性にこそ

評判は立つ、といった教えなのだろう。




死馬の骨を買う

2010.09.14 Tuesday

韓非子

韓非子 


『君主がしてはいけないことは、相手を頭から信用してかかることである。

そんなことをすれば、相手からいいように利用されてしまう。

もし自分が絶対的な権力を握る立場にいても、特定の部下に都合のよい情報

に頼って判断していれば、その権力は裏から操られているのと同じこと。

腹黒い部下にとっては、いかにこの状態に持っていくかが勝負だし、

逆に権力者は、いかにこれに乗せられないかが見識の見せ所になるわけだ。


では、ガードが堅い権力者を、下はどんな手段で切り崩していくものなのだろう。

このさい、往々にして目の付けどころとなるのが、権力者の好悪なのだ。

現代でいえば社長とのつきあいゴルフやマージャンをテコに、気にいられようと

するのは、まさしくこの典型例であろう。

だからこそ 韓非子はこう警告する。


『君主は、自分の好悪を表に出してはならない。

好悪を表に出せば、臣下はみなそれに倣おうとする。

君主はうっかり自分の意思を見せてはならない。

それでは、臣下はうわべだけそれに合わせてくる。

こうして自分に取り入る手掛かりを与えない一方で、部下の内実を知るために、

こんな手を酷使していく。


・わざと疑わしい命令を出し、予想外のことを尋ねてみる。

・知っているのに知らないふりをしてたずねてみる。

・白を黒といい、ないことをあったことにして相手を試してみる。


結局、情報戦のメッカである組織を生き残る要諦とは、『いかに自分の手の内を

見せずに、相手の手の内を知るか』に尽きるようだ。

組織内だけではない。私も一応だが20数年生きてきて、それなりに多種多様な

経験をしてきたつもりだが、このことが当てはまると思うのは、心理学者はもちろん、

敵対相手、警察、キャバクラ、競合会社・取引先といった、比較的異種な

ジャンルでそれを強く意識することができる。


立派な古典や心理学書を読み、人間が支配しているこの世の中を、

その人間のコアである心理を解き、攻略するのを楽しんでいる自分がいる。

こういう考えを持ったのは、人間として泥臭く生き抜いてきたからだろう。


どうせ死ぬのだ。

楽しく生きて、構わないだろう。




韓非子

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