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2012.07.24 Tuesday

ミラーニューロン

 

ミラーニューロン


まだまだ解明できていないことが多くあるミラーニューロンだが、

一言で言えば、もしこれが人間に存在していたとすれば、

なぜ人間が『共感』できるのかということを解明することにつながる。


今まで脳科学では、初めて人の痛みを共感できた時は、

『痛み』の共感だったとされていた。


他人が足の指や、急所を打ったのを見た時、

『自分も知っているあの痛み』ということで、

相手の気持ちを理解することが出来るようになったという。



ミラーニューロンという神経細胞が脳に存在しているとすれば、

人は、そういった『過去の経験』や『論理的推理』によって、

目の前に居る人はこう考え、こう行動するだろうと推測しているのだろう

という考え方を改めなくてはならないのだ。


その神経細胞(ミラーニューロン)の研究は、

今も尚、科学者の間で行われている。











ミラーニューロン
2012.07.11 Wednesday

リカージョン

 
リカージョン


自分の脳で自分の脳のことを考える。

"無限"という概念を想像する。


このことを『リカージョン』という。

リカージョンができるのは、人間だけだといわれている。











リカージョン
2012.02.23 Thursday

部屋の汚さと脳内


部屋の汚さと脳内は、連動している。


私は年齢こそ浅いが、本当にいろんな人間を見てきた。


脳が綺麗な人は、





部屋も綺麗に掃除できる。





友人、恋人、寮友、部下、

そして何より私自身の経験をもとに、これを確信するのだ。



今、私については几帳面で神経質、綺麗好きで繊細な、

完璧主義の印象を受ける人が多いだろう。

もちろん、部屋の掃除も常に綺麗にしてある。


だが、17歳以前の私の部屋の汚さといったら、

壁に落書き(全面)、

室内で花火、

○○○…、

早速もうこれ以上書けないような乱れぶりだった。



以前書いたが、

人間は本来賢いので、『優先順位』というものがわかっていて、


部屋の片づけよりも先に、解決する問題があるはずだ。


と、脳が判断するのだ。


思考を放棄している人の行動は手に取るように分かる。

私自身がそういう人間の代表格みたいなものだったからだ。


まず、内省ができない。

それに、掃除。

そして、酒や、刹那的な快楽、

そういう人間の人生は、これらに一直線に向かうようになっているのだ。




思考をしなくていいような方向に。

私は男なので、常に言いづらいこともオブラートになど包まないが

これは、『現実逃避』以外の何でもない。


今、自分がそれに当てはまると自覚したのならば、

これを認める勇気を、持ってもらいたい。

認めた時点で、もう半分解決したようなものだ



現在私が直面しているのは私の部下だ。


もう、彼も、病的といっていいほど部屋を綺麗にできなかった。

その姿はまるでADHDを彷彿させるような異常性があった。



だが、長い年月をかけて諦めずに助言、指導してきた結果、

今、ようやく彼の部屋は綺麗に片付いてきた。


もちろん、その3年の間に、他の精神的な成長を促し、

内省させ、

見て見ぬふりをしていたその他の『最優先事項』の問題を、

一緒に解決してきたからである。

(もちろんまだ完全に解決などしていないが。)



部屋が散乱していると、やるべきことを分散できる。

掃除もしなきゃならないし、Todoもまとめなきゃならないし…

やるべきことのプレッシャーを分散し、楽ができる。


だが、

部屋が綺麗だと、やるべきことから逃げられない。

もう真っ先に、やるべきことが一つに集中される。


"内省"だ。



留置場は何もない真っ白な部屋だが、

それはあえてのそういう造りである。


本人が、反省し、内省しやすいように。


自分と向き合う内省の環境を、どこまで自分で整えられるかどうか。


あなたの周りには、片付けができない人はいないだろうか?

もしかしたらその人は、深層心理に未解決の問題を抱えていて、

誰かの助けを求めているのかもしれない。


2012.01.04 Wednesday

サヴァン症候群から学ぶこと

 サヴァン症候群という病気がある。



サヴァン症候群(サヴァンしょうこうぐん、savant syndrome)とは、

知的障害や自閉性障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、

常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指す。


これを考えた時、私がすぐに思い浮かぶのは、

『人間はその一生で、脳の可能性の何%かしか引き出せないまま終わる』

という事実と、

『力の顕在化』

という、何とも不可思議で、人生を大きく変える、考えるだけの価値があるテーマである。


例えば、足を骨折した人は、両腕の力が異常に発達する。

松葉づえをつき、体全体の体重を両腕だけで支えるからだ。


私の社員の病気が発覚した時、強気な態度で記事を書いたが、

あれはただの強がりなどではない。

またいずれ詳しく書くが、世の中には『代償の法則』というものがある。

何かを代償にすれば、その代わりに何かを得ることができる、という法則である。


人生の成功者の多くは、人生のどん底に落ちている。

電力王と呼ばれた松永安左エ門氏は、次のような言葉を残している。



『実業人が実業人として完成するためには、三つの階段を通らぬとダメだ。

第一は長い闘病生活、

第二は長い浪人生活、

第三は長い投獄生活である。

三つを経験するのは、なかなか大変なことだが、少なくとも、

このうちの一つくらいは通らないと実業人のはしくれにもならない。』


私がどれを経験したかは、立場上伏せるが、私もそういう時期を経験している人間の一人である。

もちろん私はなにも成功などしていないが、だがとにかくこれはまるで、

『一度何かを損失することで、得られる大きな力がある』

と言わんばかりの格言だ。


例えば、『骨折をすると、完治した時にその部分の骨が一段階強くなっている』

という人体の事実がある。

更には、マンガ、ドラゴンボールでは、

『サイヤ人は、絶体絶命になればなるほど、回復した時にパワーアップしている』



という性質を持っているが、これはあながち漫画だからと馬鹿に出来ず、

実際の人間にも『超回復』といわれる現象があり、トレーニングをしている人間なら

絶対に知っていることだが、筋肉の増強とは、まず現在の筋肉を破壊して、

栄養と休養をもって復活させることでそれが完成する。





こうしていろんな視野で世の中を見ていると、どうも、『不幸』や、『損失』という概念を、

そのまま鵜呑みにすることには、待ったをかけたくなるのだ。

むしろ、"その代償"に、何かの力を得ていないか?


『何でもない日々を送れることが幸せだったと感じられた』でもいいし、

『家族が生きているだけで、それだけで十分だ』ということでもいい。

『妻を愛しているということに気づけた』ということだっていいのだ。


こう書くのは、決して不謹慎ではないと考えたうえでこう断言したい。

サヴァン症候群の人から、人生を学ぶべし。

2011.12.08 Thursday

ビギナーズラックの仕組み

ビギナーズラックの仕組み


 ビギナーズラック。

クラウドソーシング。

セレンディピティ。


これらには共通点がある。


それは、"脳の回路"だ。


これらを照らし合わせてみれば見えてくる。


ビギナーズラックは、

『玄人が本気を出して狙う結果を、

素人があっさりと出してしまう』


ことであり、

クラウドソーシングでは、

『10年以上にわたり科学者を悩ませてきたたんぱく質の形を、

オンラインゲームの参加者がわずか 3週間で解き明かした。』


結果が出ていて、

セレンディピティでは、

『頭がパンクするほど考えに考えを重ねても思いつかなったが、

全く違うことを考えていたときに、ふとその答えを見出した』


という現象が見られる。

世界的ヒット商品の『ポストイット』



が誕生したのがそれによるものなのは有名だが、

ほかにも、日本のマクドナルドの社長が、『コーヒー無料』の仕掛けを思いついたのも、

このセレンディピティによるものだという。



この社長もこれらのからくりについては気づいていて、このときも、

風呂場でリラックスしているときに思いついたこのアイディアを、風呂場から大声で

奥さんを呼びつけ、すかさずその場でメモを書いたという。



そしてさらにここに付け加えたい概念が、


ワークライフバランスの重要性

と、

脳番地の概念

である。


ワークライフバランスというのは文字通り、ワーク(仕事)とライフ(娯楽)のバランスを

最適化し、ストレスのないように人生を生きることを指し、


脳番地というのは、簡単に言えば脳の、各名称のことである。

運動の脳、思考の脳、言語の脳、というように、脳にはそれぞれ番地があり、

それぞれの役割を果たす。


人間の脳は、睡眠中でも休むことはない。

一生休まない。


むしろ、睡眠中こそ脳が真骨頂を見せる時間であり、

よく、

『寝て起きたら悩みごとが解消されてすっきりしていた』

ということが起こるが、それは、脳が睡眠中に、必要な情報と、不要な情報を整理した結果である。


イルカには左右に脳が二つあるようなもので、左右の脳を順番に休ませることができるが、

人間の場合はそれができない。



だから、『普段とは違う脳番地を使い、いつもの脳番地を使わない』ことで、

その脳番地だけを、結果的に休ませることができるのだ。


例えば、

私のように、自分の思い通りにしなければ気がすまなかったり、

主体的であったり、あれこれ指示を出すような人間の場合、

それとは違う脳番地を使うことで、"リフレッシュ"になる。


例えば、『映画鑑賞』。

これは、一方的に情報を受け入れるだけの時間を過ごすことになるので、

いつもとは違う脳番地を使うことになり、結果的にいつも使っている脳番地は休憩できる。



それが、脳番地の考え方だ。



では、もう一度これらを考えた時に、なにかヒントが見えてこないだろうか。



世界のQちゃん、こと高橋尚子選手を育てた小出監督は、こう言っている。


『確かに僕の指導法はめちゃくちゃで非常識かもしれない。

10人いたら、10人ともその指導法が違うからね。


でも、

常識を守った延長線上に勝利が無いことも、

たしかだけどね。』




人間のコックピットである脳は、無限の可能性を持つ。

すべては、その"コックピット(操縦席)"に座ることから始まるのだ。




ビギナーズラックの仕組み

2011.09.24 Saturday

失うことを恐れず、厳しさを持て。


例の彼が内省として調べ、私に渡してきたデータを公開する。

illust1321_thumb.gif


『ADHDの存在と、二次的に鬱についての書き込み』


辞めた会社の上司に言われたのがキッカケでした。

それは、顧客の来店状況を簡単にまとめ、来店理由等をパーセンテージ化して、

表に纏める作業を任された時でした。


会議で使いたいとのことで、期限が決められていたのですが、

これがどうにもはかどらず、結局期日に間に合いませんでした。

(少しずつ進めていて、前日会社に泊り込んでまでやったにも関わらず)


そして、なぜ仕上げなかったのか?やる気が無いのか?と問い詰められました。

やる気がなかった訳じゃない。でも、仕上げられなかったのも事実。

何と言っていいか分からず、その場に30分位立ち尽くしてしまいました
 

これはおかしいということで、上司に連れられ、診療内科に行きました。

この時は鬱の診断を下されましたが、 その後上司からADHDの事を聞き、

自分で調べて行く内に、

ADHDの存在と、二次的に鬱を併発する可能性を知りました。


これ以前から、仕事に優先順位が付けられないアレをやればコレを忘れる

同じミスを繰り返す空気が読めない等失敗の連続で、事務所内では

完全に使えない奴でした。


なぜ人と同じ様にできないのかが分からなくて、本当に消えたくなる時も

ありましたが、ADHDの存在を知り、自分自身の問題をある程度知る事が

できたのではないかとは思っています。



■これについての社員の感想
 
普段、異常な行動しかとっていない。

他の認識している人の症状とも行動が通じている。

意識しているか、ADDの症状のことを考えていれば行動が変わっていくと

思うので、 客観的に行動を意識していき、症状を意識して出ないようにして

いきます。 


 
これについて、ADD、ADHDの他にも、下記、
 
 コミュニケーション能力の低さ
 
 ■LD(学習障害)・ADHD
 http://www.nginet.or.jp/ngi/kiso/kiso_LD1.html

 LDとは

 「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、

聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち

特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。


学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると

推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、

環境的な要因が直接の原因となるものではない。」


このように、「中枢神経系の障害を原因とする、学力またはコミュニケーション

の困難」の見られる子どもをLDと呼んでいるが、


例の彼は、LDというよりも、ADD、ADHDに症状がかなり近く、

吃音症、それらと併発して二次的に軽度の鬱病であることが、

高確率で疑わしい。


なぜなら、2年前、あるいは入社当時の3年前から彼は、

結婚、貯金、仕事、友人等、その全ての重要な項目について

『どう考えていて、将来自分がどうなりたいか』

ということについて、今までこれだけの時間があっても、

まだ何もそれについて答えられないのだ。


普段、最低限のことはやって、何とか生きてはいる。

そして私の管理の下で、なんとか

彼よりも能力が高いがモチベーションの低い人間

よりは使える人間にはなっただろう。


だが、一触即発、いつまた甘えが出てトラブルになるかわからない。


次回の『医学』記事で書くが、

この問題の重要参考作品である

『それでも、生きてゆく』



から、

被害者の兄(英太)が、ラストのラスト、ラストショットで、

彼がどういう行動を取ったかを紐解き、明らかにする。


そしてこの一連の話で非常に重要なのは、

私は、彼のこの異常性の症状を全て、入社一年の内に全て掌握し、

ほぼ医学的分析結果に近い助言で、彼に行っていたということだ。


今に始まった話などではなく、はたまた、彼と一年いれば全員がわかった

わけでもなく、

同僚はもちろん、旧友、そして家族までもが、ここまで明確な真実を

把握していなかった。


それを、医者でも教師でもない私が、ほぼ入社してすぐに見抜き、

ほとんどズレもなく(むしろズレはない)、的確に働きかけてきたのである。



今回の冒頭の提出資料はその彼からだが、そこに記されている

『ADD、ADHD、吃音症、二次的に併発する鬱、優先順位』

これら全ては、私の独断での分析結果であり、そしてそれらは全て

医学的見解と、完全一致であった。


なぜかって?


それは、簡単な話だ。



私がこの世の誰よりも、彼と真剣に向き合ったからである。


親友、心友、真友というが、彼の周りにいた友人など、そのどれにも

当てはまらない。ただ欲求を満たし合うだけの、"セフレ"レベルだ。

それぞれの深い事情などどうだっていい。


彼らのことをかばうのであれば、彼らにもまた、事情があって、

他人のことなど構う余裕がなかったのだ。


よく言えば皆も同じく哀れであり、悪く言えば器が小さい連中だ。


そしていくら最愛の家族といえども、その"愛の形"が歪曲していたら

真実は見抜けない。


彼ら家族の名誉の為に詳細は伏せるが、どういう事情にせよ


ただ生きているだけでいい


と育てたのであれば、親を語るな。


指導者として失格だ。





彼らもまた"鬱"の一種だろう。

utsu01.jpg

情けをかけるだけの、"優しさ"がそこにはある。


だが、"優しさ"だけでは、この世を生きていけない。


こういう言葉がある。


『厳しくなければ、生きていけない。

だが、

優しくなければ、生きる資格はない。』




彼らは、優しく、生きる資格がある。


だから後は、このシビアな現実を、この世を、人生を生きる、

厳しさ

だけだ。



失うことを恐れず、厳しさを持て。

想って厳しくして失うのであれば、

それは潔く諦めるのだ。


ライオンは可愛い子供を崖から突き落とす。

這い上がってこれなければどちらにせよ百獣の王ライオンとして、

敵だらけのこの厳しい世を生きていけない。


だったら親の手で殺してしまった方が、まだ諦めがつく。




厳しくなければ、生きていけないのだ。

それが全ての生命の、一生なのだ。





私に厳しくされ会社を去った社員がいるが、私は何一つ後悔を

していない。

だからといって彼の素行を見て見ぬ振りなどできるわけがないし、

言うべきことを言わなければ、本物の信頼関係など築けない。


むしろ、問題から逃げる選択肢を選んだ彼の方が、これからの人生で

後悔の連続が起こるだろう。


小手先の金や栄光を掴むこともあるだろうが、

問題から逃げている人間は、本当に幸せにはなれない。

人間は、"そういう風になっている"のだ。



失うことを恐れず、厳しさを持て。


それが本当の、"優しさ"だ。


2011.09.22 Thursday

あなたは本当に鬱じゃない?


 現実と向き合っていない人、現実逃避が好きな人、たくさんいますよね。

開き直った発言をしてみたり、ゲームにお酒やドラッグ、SEX、

幸か不幸か、現実逃避の手助けをするツールや、同じような人間はたくさん在る。


あなたは本当に鬱じゃない?

touhi.gif



私の中学の旧友についてだが、当時、彼を別に異常だとは思っていなかった。

ただ、学校へ行くのがめんどくさいというゲーム好きの変わり者だと。

当時はまだ、『引きこもり』や『ニート』という概念が浸透していなかったが、

思えば彼は、その症状であった。

hikikomori.jpg

そして数年後、彼は自分の意思で病院へ行き、

軽い『鬱』だと診断された。

illust1321_thumb.gif


将来のことを何も考えられないという状態が続いていた彼は、同じように学校を

さぼっていた友人達が、人生の駒を先に進めるのを見て焦りを感じただろうし、

さすがに長期的に続く自分の脱力感の症状に、異常を感じ、病院に行くことに

したのだろう。


その彼は20歳を超えた後、大学に行き、前に進むことを決意した。


だが、彼はある日の私の電話を出ないと思ったら、もう一年半も折り返しがないし、

別の友人と旅行に行く計画を立てたのに連絡をせず、明らかにその日時を

過ぎたころに、


『あの旅行そういえばどうなった?』


と聞いたりする不可解な心理を紐解けば、彼の

『ホームとアウェイのからくり』

に問題があることが見て取れる。

彼は、自分がアウェイと感じる場所、人間関係を避ける傾向があり、なぜなら、

そこでは、いつものホームで虚勢を張って、何とか周りとやっていけていた自分が

思うように出せず、どうコミュニケーションとればいいかわからないからであり、

そしてもちろんそのままバックレ続けていたら数少ない友人を失うことになるので

とぼけたふりをしてそう発言したのであるし、

彼にはそれが精いっぱいだったのである。


できるだけ、アウェイに行きたくない。

なぜなら、本当の自分が、露わになってしまうから。

その現実を見るのは、辛いから。


こういうことはあなたにはないだろうか?

あなたは本当に鬱じゃない?

utsu01.jpg



私がよくつるんでいた友人達は、実にそれが疑わしい人間ばかりだ。

私が言いがかりなどする訳がないし、そんなことをしても得をしない。

私は無駄なことを書くほど暇ではない。

だから、もしこの記事を友人が見ているのであれば、一度本気で自分を

内省してみてほしい。


彼らの為に、向き合うのだ。

心でそう思っているのに、伝えない奴は偽善者だ。

私は偽善者ではないし、人生に悔いを残さない。



私の旧友は、本当に自分のことしか考えていない人間が多く、

自分だけが楽しければいいと考えている人間ばかりだ。


エニアグラムで言えば、


7番目の性格、『楽しさを求める人』

の傾向があると思いがちだが、


実際には、『楽しい』と『楽』の違いを理解していない場合が多く、

現実逃避気味の傾向がある。


それは、ただ『不良』だという短絡的な理由だからではなく、

不良の中にも筋の通った人間もいるし、本当に『不良品』のような者も

いる。

私もそうだったから、強くそれが言えるのだ。


私は彼らを傷つけたこともあるだろうが、それ以上にたくさん傷つけられた。

それが何よりのその証拠である。


彼らの中には、いまだにそれを

認めておらず、正当化や現実逃避を続けている人間もいる。



ある日、私は旧友と真面目な話をする機会があり、将来や、人生について

どう考え、どう生き、どう死ぬかという壮大なテーマを基に、

彼らの内省や、パラダイム転換を煽るような、いわゆる

『人生を考えさせる』

話をしようとしていた。


だが、その途中で別の友人が話を割って入ってきて、


『俺は別に一生地元の居酒屋で遊ぶんでいいけどな』


と言い、その向上心溢れる、建設的な私の働きかけを阻止したと思ったら、

続けてこう言い、私と口論になった。


『お前、なんか勘違いしてんじゃねえの?

自分は他の奴らと違うとか思ってんじゃねえの?

なあ、どうなんだよ。それについて答えろよ。』


私は唖然とした。

2年前の彼は、私にそんな口を聞く勇気などなかった。

というか、私にそんな口を聞く人は、先輩にもいなかったし、

その発言は、『勇気』などではなく

ただの、やっかみだった。

この2年に彼の心に何があったのか、あまりの変貌ぶりに失望さえ覚えた。


私は偽善者ではない。

当然こう答えた。


『…その質問に答えるの?違うと思ってるよ。』


私がそう答えたのは、真剣に向き合っている仲間に対し、

嘘をつきたくないからだった。

だが、そんな私の気持ちは汲み取られることもなく、

その後に彼が言い放った言葉など、ただの誹謗中傷だった。


だが彼は、『自己効力感(※図1)』、『セルフマネジメント』という概念や、

アンドリュー・カーネギーの言葉を知らないだけだ。







『自分は生まれながらに他人を支配する人間だと

密かに自分に言い聞かせることによって

人間は計り知れない力を身につけることができる』
by アンドリュー カーネギー





それを知らない彼からすれば、そんな言い方をした私に対し、

そのままでは当然、


(こいつは思い上がった傲慢で勘違いした人間)


と思ってしまったことだろう。


だが、世界の偉人や結果を出した人間達が、


『私は人と違う。必ず人並み以上の結果を出せるはずだ。』


と強く自分を信じていなければ、結果は出せなかった。


そうやって自分を信じたり、信じて自己暗示をかけたりして自分を奮い立たせる

ことを、『自己効力感』、あるいは『セルフマネジメント』というのだ。


だから私はそう答えたのだ。


だが、彼は知らないから、そう解釈はしなかった

もちろん、私の話に聞く耳も立てなかった。

そもそもそのタイミングでのその質問自体が理不尽であるし、

そして、嘘でも7年間に渡り仲間に貢献してきた人間に対し、

前述したような発言や、心にもない発言をし、私を責め立てた。



私は、泣いた。



私が泣いたのは、10年ぶりだった。


私が泣くのは、父親が亡くなった時以来だった。


人一倍、二倍、三倍プライドが高い私が、

泣くのは弱者だと言い聞かせていた私が、

どんな失望、痛み、悲しみ、感動があってもこらえてきた私が、


涙をこらえきれなかったのだ。



それほど、仲間に対して真剣だったし、

その彼の心ない言葉は、私の心に突き刺さった。


ほぼ徹夜の状態で富士山を登山し終わった直後という、

異例の環境が関係していることもあるだろう。


彼はナチュラルハイで、私も衰退しきっていたことも何か関係

あるだろう。


しかし、とにかく私は10年ぶりに泣いたのだ。


大の大人が。

男を突き詰めようとしている男が。

気丈に振る舞うべき経営者が。

偉そうにしている指導者が。

その部下の前で。

強い自分を支えにして生きている人間が。


どれだけその状況が異常で、

どれだけ、その彼の言い放った言葉が異常かが理解るだろうか。



そして彼の誤解を解くために、私が今まで黙っていたことのほんの

一部(親友に殺人教唆をほのめかされたこと、

そして私はその彼の為にその事実を周囲に黙っていた等)を話すと、

彼は黙りこみ、こう言った。


『…本当に…自分の浅はかさを思い知ったというか…。

もう泣かないでくれよ…。』



その翌日彼からのメールにはこうあった。


『本当に悪かった。

俺は自分だけ楽しければいいと思っていた。

そこがお前と違うところだったんだな。


俺はどうすればいいんだ。

先のことを考えられない。

今のことしか考えられない。』



私はそれに対し、当然赦し、いつでも相談をしてくれとメールしたが、

彼は


『俺も頼られる人になりたいから』


と言って、それから音信がない。



彼のことを紐解けば話は長くなるからまた別の機会にしよう。

今回のテーマは、『鬱』だ。


あなたは本当に鬱じゃない?

彼は本当に鬱じゃない?





責任を何かや誰かに転嫁し、時には人を傷つけ、批判ばかりして、

自分を省みず、自分の責任や厳しい現実から逃げ、


自分の将来のことを考えられていない人。

自分の人生のことを考えられていない人。


私の旧友にもたくさんいる。



ある人はこうして中傷し、ある人は酒に逃げ、またある人は血尿などの

症状として、明らかにその人生にサインが出ていることだろう。





私のように、率先して問題にぶつかる人間は、いつも標的になる。


だが、私がこうなったのにもちゃんとした過去があり、理由があるのだ。


こんな私もかつては、

他人の人生にこうしていちいち口出しをしようとしないような、


冷たい人間


だった。

だが、17歳のあの1年で恩師が教えてくれた教えを、

私は守れている。


誤解されることや、批判、中傷されることを恐れずに、

問題にぶつかっていく熱い男にしてくれた恩師たちには、


私は心から感謝している。


あの時背中を押してくれて立ち向かう勇気を持てたからこそ、

私は友人に本を書けたし、

本人の身内も知らなかったような疾病を発見することもできた。


その吃音症の彼も、

ADDやADHDに付随した、『鬱』だという疑いもかなり強まってきた。


次回それについて詳しく書くが、


まず今回、強く言いたい。



『シビアな現実』

を受け入れることから、全てが始まるのだ。


そこから本当の人生が始まるのだ。


一日でも早く、自分の人生を生きよう。


そうでなければ、その人生に悔いを残す。

一度しかない、人生に。




『人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。

人生がいつまでも始まらない事が怖いのです。』

byグレース・ハンセン







自分は、『楽しいことが好きな、楽観主義者だ』

と考えている人。


本当にそうですか?



それをしていたら、


『何も考えずにすむ。悩まないですむ。』


からではなくて?



この記事を読んだ人で、

もし、家庭内の不和や、




コンプレックス、不安、未解決問題、




なにか人に言えない事情を抱えているのであれば、

知人、他人関係なく、私にいつでも相談してほしい。


何年後でも、何十年後でもいい。


必ず、その悩みに全力で答えることを約束する。

(生きてれば…)



現実と向き合って生きていくということは、

一見すると辛いように見えるかもしれないが、


一刀両断しよう。



それは、勘違いだ。




実は逃避して生きていく何万倍も満たされた人生になり、

悔いのない人生を送ることができるということを、私はあなたに伝えたい。



あなたは本当に鬱じゃない?


2011.09.11 Sunday

固定知能観と拡張知能観

 
知能は、『身長のようなものだ』と考えている人間は、

『固定知能観』を抱く人間だといえる。


一方、知能は努力によって成長させることができると考えている人間は、

『拡張知能観』を抱く人間だといえる。




この概念、これ以上書かないが、これほどの”真珠”はない。


『豚に真珠』。

目先の穀物に目を奪われて、その穀物などいつでも好きなだけ買える

”真珠”の価値を見誤ってはならない。


2011.09.07 Wednesday

ADD(注意欠陥障害)

 

例の吃音症の彼は、『ADD』の疑いも非常に高いと考えられる。



これも、2年ほど前から本人には、私の勘で通知していたものであるが、

吃音症が認知されてから、いよいよ他の疾病や障害も付随していると考える方が

妥当なのである。


だが、吃音症の認知レベルが、レベル10だとすれば、

ADDの認知レベルは、レベル6といったところだろう。


だが、それでも十分に考えられるため、厳重注意のレベルなのは間違いない。

add.png

ADD/ADHD(注意欠陥障害、注意欠陥多動性障害) 

http://health.goo.ne.jp/mental/yougo/001.html


前頭葉大脳皮質、または小脳の一部分が活動低下もしくは弱小化しており、

脳の何らかの欠損によって感情と情動、行動に異常が出てしまうという身体の

障害。

ADDの症状は、下記のとおりである。


[不注意型]

・しばしば綿密な作業ができない、または不注意をおかす。

・課題、遊びの活動で注意を継続することが困難である。

・直接話し掛けられた時に聞いていないように見える。

・課題や業務をやり遂げることができない。

・努力の継続を要する課題を避ける、または嫌う。

・必要なものをよく無くす。

・毎日の活動を忘れてしまう。


[他動型]

・手足をそわそわ動かし、またはもじもじする。

・座っていることを要求される状況で席を離れる。

・不適切な状況で余計に走り回ったり、高いところにあがったりする。

・静かに遊んだり余暇活動ができない。

・じっとしていない。

・しゃべりすぎる。


実に、下線を引いた症状は、3年間のぎっちり詰まったデータ、経験の中、

彼に顕著に当てはまると疑われる項目であるため、取り上げたのである。

http://ex.senmasa.com/r/2c5bf799e42c0735a5ba20ed75ecdf86

(ちなみに上記サイトの結果が、私が彼を診断した結果であり、

やはり"不注意"のレベルが異常値を指している)


吃音症に付随して、ADDのような脳に対する発達障害が起きてもおかしくは

ないし、そう考えれば全ての理解不能な彼の幾多の言動に、つじつまが合うの

である。


例えば、普通は2度か、多くても3度ほど注意すれば指摘されたことを直す

ものだし、私のようなプライドの塊の人間は、1度で直す。

私が強引に勧誘したのであればそういう甘えが出ることも考えられるが、

彼の場合は自分から志願して入社してきて、信頼関係に基づいて従事している

はずなのに、指摘された注意を、2度や3度では直さない。


実に、1000回を裕に超える指摘、助言があっても、"直らない"のである。


私は『カンブリア宮殿』

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で常に日本の前線を走る経営者、企業の考え方を見て

いるが、ある温厚で有名な経営者も、


『私は何をしても基本的には怒らない。

だが、そんな私でも一つだけ怒ることがある。

それは、"何度も同じミスをする"ことだ。


人間、1度や2度、失敗は当然のようにある。

だが、何度も同じことを注意される人間は、もはや"直す気がない"。

そういう人間を赦すことはない。首にすることだってある。』


と言っていたが、

それは私も、痛いほどよくわかる。


それを、1000回以上ということであれば、どうだろうか。

やる方も、耐えている方も、"異常"であることは間違いない。


だからこそ、そんな彼に対して厳しく当たることは避けられなかったわけだが、

もし疾病や、障害者だということであれば、どうだろうか。


もちろん、その傘に隠れてやりたい放題やったら絶対に許さないが(昨日、一昨日

早速甘えたので、"きつく"戒めた)、

病人や、障害者であれば、対応を変えなければならないだろう。


特にADDの場合では、サイトにも、

ADD/ADHDは、脳の機能障害のため、現在では医学的治療は難しい

とされています。


と書いてある通り、非常に困難な試練なのだ。



より症状を明確にしよう。


・しばしば綿密な作業ができない、または不注意をおかす。



この症状は、入社初月の3年前から始まっていた。

同僚が普通に行っている、簡単な事務作業について、彼は適当にやっていたので

注意をした。

その時は、彼がただの表裏的な怠け者だと思っていたが、

そういう事例は、その後枚挙に暇がない。

『病的』だと誰もが疑うほどの不注意は、今、現在進行形で起きている症状だ。



・課題、遊びの活動で注意を継続することが困難である。



『継続』ということは、彼が最も苦手とする分野である。

しかも、ワーク(仕事)だけではなく、ライフ(娯楽)の活動の中でもそれはたびたび

起きていて、実に、世界遺産の14回の取材同行の中、10回以上が、旅先で説教

されるような、注意不継続の症状を引き起こしている。

私は世界遺産や海外のステーションであろうが関係なく、彼に説教をするハメに

なってきた。



・直接話し掛けられた時に聞いていないように見える。

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このこともピタリ。

助言、説教の最中、今まで何度この言葉が飛び交っただろうか?

『ちゃんと聞いてるのか?』 『はい』 『じゃあ何て言ったのか言ってみろよ』



・課題や業務をやり遂げることができない。

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これは、注意力や、継続力ももちろんだが、物事の『優先順位』をつけることが

できないことが大きな原因となっている。

『9つの性格』

を読めばわかるが、東大で人文科学の博士を修了し、海外の

名大学で教授や名誉会長の経験がある、鈴木秀子氏が紹介している

『エニアグラム』と照らし合わせて彼を考えると、

彼は、9番目の性格、『調和と平和を願う人』なのであるが、

なぜそういう性格になったかを紐解けば、この項目について説明することが

できるのだ。

このタイプは、『葛藤や緊張を避ける平和主義者』とされているが、

なぜ『葛藤や緊張を避ける』かというと、過去に見て見ぬふりをしたいような

衝撃的な出来事や、ストレスを体験しているからである。

そのため、タイプ9の多くの場合は、その過去を"封印"している場合が多く、

問題を未解決にしている場合が多い。

そのため、『一番解決しなければならない問題を、未解決状態にしているため、

その後の人生のあらゆる出来事に対し、どうも全力が出せない』という状態が

出来上がり、それが『優先順位をつけられない』という症状につながるため、

この項目や、ADD、またはADHD(別名:部屋を片づけられない症候群)の

症状を引き起こすのである。



・努力の継続を要する課題を避ける、または嫌う。

これについても、前述したとおりの心理背景が深く関係しているし、

具体的に彼は、Todoリストの遂行の仕方が、まるで小学生の夏休みの宿題の

ごとく、無計画なのである。



・必要なものをよく無くす。

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私は彼に、実にいろいろなものを損失されてきた。

思いだせる限りでは自転車の鍵くらいだが、彼=ものをなくす という図式は、

ピタリと当てはまる。

まるで上の絵のような無責任さでそのことを伝える様に、

私は何度も怒り狂わされた。



・毎日の活動を忘れてしまう。

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これについても、本当に無責任だし、準備不足だし、軽率であると判断される。

仕事において、『もし私がそれに気付かなかったら、この現場はどうなっていた

のだろうか?』ということなど、日常茶飯事なのである。

日常的な業務でのそれは当然のようになっているし、危ないのは『火の消し忘れ』

というような、命にかかわるような物忘れを引き起こすことも稀ではない。



・手足をそわそわ動かし、またはもじもじする。

・静かに遊んだり余暇活動ができない。

・じっとしていない。

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という項目についても当てはまることばかりだ。

映画をならんで観ていても、もじもじと動いて落ち着きがなく、こっちが映画に集中

できない。

ツメを咬む。デキモノを触る。身体を掻く。

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我々はかつて、机を向き合わせてデスクワークをしていたが、彼の落ち着きのなさ

にこっちが集中できず、彼と机を離すのには、時間がかからなかった。

その後、顔が見えない場所に移動してもらい、それでも落ち着きのなさが見られた

ため、今では完全に隔離された個室でのデスクワークをしてもらっている。


また、余暇活動ができないということに関しても、彼を見ていると、


『普通に一日を過ごすことができない』


という言葉が自然と浮かんでくる。


人気バラエティ『アメトーク』

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にも取り上げられた、病気を笑いに変えようと頑張る

芸人の、プラスマイナスの岩橋氏は、

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1261134462

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88%E9%9A%9C%E5%AE%B3

『トゥレット障害』

とされる精神疾患であるが、

彼もまた、

『普通でいることが耐えられない』

という症状を持っている。



普通のことを、普通にできることは、健常者にとって当たり前のことかもしれないが、

病人にとって共通しているのは、"それができない"ことなのだ。


私の叔父も、『精神分裂病』の疾患者であり、実家の隣人も、同じような症状が

出ていた人がいたので私はよく知っているが、

彼らもまた、"それができない"人間だった。


上に挙げたような彼らほど顕著には表れていないため、レベル6としたわけだが、

やはり健常者から言わせれば、


『なぜあんな簡単なことができないんだ?』

と言わざるを得ない言動を、繰り返し繰り返し行ってしまうのである。


映画『シャッター・アイランド』を観た人はわかると思うが、

あの映画を観て、私が一番深く感銘したのは、主役のディカプリオではなく、

彼の面倒を見ている、あの"医者"だった。


あの医者の立場や気持ちが、私が置かれている状況と非常に酷似していて、

ひどく感銘を受けたのである。


そのため、昨年の映画で一番衝撃的だったのは、『トロン』でも『インセプション』

でもなく、最愛のジブリの作品でもない。

『シャッター・アイランド』なのだ。





私は、友人にさりげなくこうこぼしている。

『いやあ!会話がこんなにスムーズにできるなんて最高だね!』

『君との仕事は楽しかったよ!(スムーズで)』


その背景には、疾患者を抱えた私の心の叫びが込められていたのかも

しれない。


だが私は、私のような類を見ない聞かん坊を決して見捨てなかった、

恩師のように生きる決意がある。


ADDだか吃音症だか知らないが、病気を言い訳にして生きようとした瞬間に

その腐った性根を叩き直していくことに、何ら変わりはない。



2011.09.03 Saturday

吃音症(きつおんしょう)

 
ある近い人物を、3年間全身全霊で向き合った結果、

病人として認知することにした。



病名は、『吃音症』


いわゆる、言語障害であり、

健康保険が適用される、正真正銘の、疾病である。




成人で、0.8〜1,2%しかいない。


ここで、私が彼に発言したコメントと、その背景を振り返る。

(もちろん、最初の1,2年は優しく助言していたが、

下記は、それでも言うことを聞かなかった後に発言した言葉である。)


『言語障害かテメエは』
(本当にそうだった)

『病気だよ絶対にテメエは』
(本当に病気だった)

『この半生で何十人も人を見ているが、お前より努力しない奴は
見たことない(心の)』
(0.8%しかいないのだから当たり前だった
それが病気の症状だった)

『そらいじめられるわ』
(いじめも病気が元凶だった)

『お前が改善されるとしたら幼少期に作られたパラダイムの転換しかない』
(幼少期に耐えがたいストレスを受けたことが、発症の原因だった)



私は心から思ったことを言ってきたわけだが、

このWikipediaのページを熟読すれば、こうコメントした理由が全て明確になる。

上に書いた口調は容赦ない厳しさがあるが、

私の見識は何一つ間違っていなかったことが証明される。


むしろ、『異常』をその通り『異常』として認知していた私よりも、

『異常』なのに『正常』だとして接していた彼の周りの人間が、

見識を考え直さなければならないのだ。


そしてもちろん、病気と分かった以上は、私は上のような言い方を

することはなくなるだろう。

彼は本当に病気だったのだ。


彼は内省をし、このサイトに書かれていることを重要資料として、

利用しなければならないし、必要であれば医療の力を借りるべきだ。



吃音に伴う症状
では、彼の行動パターンの全ての理由をあらわにしている。

見事に、ピタリ、全て当てはまるのである。


・いじめられた理由

・逃げる理由

・人目を異常に気にする理由

・頭が真っ白になる理由

・自分が嫌いになる理由

・人付き合いを避ける理由

・偽りの自分を演じたり、飲酒等にて変身する理由

・ホームでは通常の場合もあるが、ひとたびアウェイと感じたら能力が10分の1
以下になる理由


発症のきっかけでは
、私の分析と同じく、過去の出来事が大きく関係している

と説いている。


・耐えがたいストレス(兄の死、いじめ、家族との不和等)


好ましくない言語環境
では、


叱られた子供はどもりを悪い事だと思い込み、隠そうとする。

それが、いつしか話すことへの恐怖へと変わり、条件反射付けられ、

吃音が定着してしまうと考えられる。

また、電話で言葉が出ず、いたずらと思われたり、友人からおかしな話し方をする

という目で見られたり、授業で指名されてどもったことを注意されたり、

いじめや嘲笑の対象にされるなど、辛い体験の蓄積や、周囲の人の吃症状に対

する否定的反応からも吃音は条件反射付けられる。


とあり、私が彼と電話をする際に、長時間(最高で90分以上)の無言をされた際、

激昂し、憤慨した理由も、冷静にここを考えると理解できる。

彼は病気だったのだ。わざと挑発しているのではなかったのだ。





非常に重要なコメントとして、『早期治療が求められる』というものがある。

幼少期によく見られるこの症状だが、治療を先延ばせば伸ばすほど、

治療が困難になる。


幾多の治療法を自分で真剣に考え、彼はこれから真剣に治療にあたって

いかなければならない。


中には、『カミングアウト』という治療法が有効だとされる記述もあるため、

うちで行ってきた、私が行ってきた療法に間違いがないことがわかる。


誰もが彼の『兄の死』について触れず、友達のフリをしていたわけだが、

私は、彼と向き合う約束をした瞬間から、そこを避けて通れないと覚悟し、

ナイーブな事情ということは重々承知の上、ぶつかってきた。


これからは、病人として向かい合っていくことになるため多少の対応は

変わるが、

だが、

正直特別扱いなどしない。


私の叔父は、20年以上精神分裂病だった。

だから、別に彼を特別扱いなどしない。

信仰なしでは生きられない親も、心の病のようなものだ。


私だって、棚に上げられるような生き方はしていない。


だから病気に甘えたら、すかさず厳しく戒めることは、何一つ変わらない。


皆、なにかしらの病気を抱えて、それでも一生懸命

生きているからである。



それと、ページをよく見ればふと文字で強調されて書いてある通り、

緊張するからどもるのではなく、どもるから緊張するのである

ということだ。

つまり、
アウェイは自分が作りだしている。


私や、周りの環境のせいにして、自分がアウェイと感じた時、あるいは感じさせた

相手を、

『わがまま』だとか、『厳しい』だとか、『嫌だ』とかいって避けてきたり、

責任転嫁をしてきたが、

アウェイは、自分が作りだしている。


私が言った通り、

自分の身の回りで起きていることは、全て、自分の責任』なのだ。

まず何よりも先にそれを自覚し、

治療に対して真剣に向き合っていくことが求められる。






大したことはない。

むしろ病気の発覚は、治療、改善、向上、成長の大きな糧となる。


喜ばしい結果なのだ。

だからこそ、私はこれを、公にする。


彼の異常行動をいち早く認知し、友人に話をすることもあったが、

皆、100%全員が、身を乗り出して話を聞いてくれなかった。

そればかりか、中には、私の人一倍の"ストイックさ”、"厳しさ”だけを

断片的に解釈し、

『異常だと言う、私の方に原因があるのでは』とさえ

疑われたこともあった。


声に出して言ったわけではないが、私は敏感なのでそういうことは

すぐにわかる。


だが、それも同じく、大したことはない。


最初から、『話をした』だけだ。

『相談』などしていない。


私が相談をしたい相手は、会おうと思っても会えない場所にいる。


それに、教育者とは、指導者とは、

例え他人にどう思われようとも、本人のことを思いやる気持ちが

なければ、出来ないのだ。


そしてこれからは、彼のことを裏で悪く言うことはないだろう。


私は、一人の人間として、男として、健常者として見ていたから、

裏でも表でも彼の未熟さに対し、厳しく接していたのだ。


病人の悪口を言うほど、私は落ちぶれていない。



そして我々はこれからも、我々の真剣な悩みや人生の考え方に

耳を傾けてくれる人とだけ、関係を持っていくだろう。


私がタイプXの、拝金主義であれば、彼をとっくに首にしているだろう。

仕事の邪魔ばかりをし、足枷となり、荷物になるだけだからだ。


だが、私は金儲けの為に生きているのではない。

この現実から目をそらすほど、私は弱くない。


義利合一。


企業も人生も、決して見失ってはならないものがある。


人間は、思っているほど弱くないのだ。

必ず病気にも打ち克てる。


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