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2012.07.31 Tuesday

オーバーロード(過負荷)の法則

 
オーバーロード(過負荷)の法則


自分のレベルより、ちょっと上の難易度の問題に取り組むことで、

筋肉も、脳も、能力も、鍛えられる。


これを、スポーツ心理学で『オーバーロード(過負荷)の法則』という。











オーバーロード(過負荷)の法則
2011.10.19 Wednesday

力の顕在化


力の顕在化には、物理学を学ぶ必要がある。

例えば、『てこの原理』。



これほど物理学の大恩恵を得られるものはない。

どこに支点を置けば、少ない力で、大きな力を生むことができるか。

このことを理解することは、人生のあらゆる成功につながっている。


『デレゲーション』という考え方は、

"自分で仕事に直接パワーを注ぎ込むよりも、他人に指示をする方に

パワーを注いだ方が、大きな出力を得られることができる"

という考え方であり、簡単に言うと『人を動かす』ことで、自分一人ではできない

大きな力を生みだすということであるが、

これも、この『てこの原理』と同じ物理の原理で考えることができる。

頭がいい人間は、皆デレゲーションの原理を利用している。


また、

以前も書いたが、『馬鹿力』というのは、『馬鹿だからついてしまった力』

であり、『馬鹿みたいに強い力』というイメージとは少し違う。

上の絵の大きな玉を、自力で動かすとなると身体に大きな負担がかかるが、

てこの原理を使えば、小さな負担で大きな玉を動かすことができる。


だが、馬鹿と言われる、いわゆるあまり頭を働かせない人間は、

これを自力でやろうとするため、頭がいい人間が負わない負担を負い、

結果として筋肉がたくましくなっていく。


これが、『馬鹿力』の正体である。


また、『火事場の馬鹿力』というのはまた意味が違って、

火事場という究極の場面になったとき、人は、ある特定のこと以外は

考えられないようになり、筋肉の負担がオーバーしようが、骨が折れようが、

関係なく、リミッターが外れ、通常では考えられない力が出る。


一般男性は、実は500kgもの重さを持つことができると言われている。

だが、筋肉の容量、骨つき、自己防衛本能の絡み合いにより、

その力をだすよりも、自分の身体が正常でいることを脳が優先するため、

通常は、その力を出すことはできない。


火事場になると、それが出せるようになるということなのだ。

それが、『火事場の馬鹿力』の正体である。





以前、ある番組で女性が重い荷物を持ちあげられないというとき、

武道家が力の出し方のコツを指導した。

すると、女性はたった今持ち上げられなかったはずの荷物を、簡単に

持ち上げることができたのだ。


これも、『力の顕在化』のコツである。


ちょうど、相手の力を利用して、相手を投げ飛ばす、合気道のそれと、

よく似ている。



先日話した



はじめの一歩のパンチングマシンも、

やり方を変えるだけで大きくその数値が変わることがわかっている。

例えば下の動画、

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=XIKUtkZQKDA


高校生が、ゲームの攻略法を研究している様子が見える。


彼らは、最初こそ助走をつけずに、ピッチャーのようにふりかぶり叩く。

だが、200前後の数値の為、いろいろと研究する。

そこで、離れ過ぎると『近づいてください』というセンサーが作動するため、

タオル等をセンサーの前に置き、センサーの作動を防ぎ、助走をつける。


すると、体重を大きく乗っけることができて、500という巨大な数値を叩きだす

ことが可能になる。


また、真ん中の丸のマークを叩かずに、斜め上から叩きつけるように

殴るのも、このゲームで数値を出すコツだという。


下の彼は、900という数値である。

 http://www.youtube.com/watch?v=yFHqQZ_9FR8



ここまでくるともう、正当派のボクサーでは勝てない。

ボクサーは、いかに助走や反動をつけずに、その場の足の踏ん張りや、

バネでパンチを繰り出せるかという練習をする。


つまり、正確にパンチ力を図りたかったら、もちろんゲームではダメだが、

それでも、ちゃんと同じルールでやることが重要である。


私の場合は、きちんと6年前と同じやり方でセンサーを誤魔化さず、

丸を殴っているため、純粋にパワーがついたことが確認できる。


私は、完ぺき主義の性格と、見栄っ張りが大嫌いという性格の為、

あまり、

『勝ちに執着しない』。



剣道の試合では、物怖じしないのはいいが、あまりにも勝ちに執着しないため、

メンバーに選ばれなかったこともある。

試合である以上、勝てない人間は、使えないからだ。


腕相撲でも、


上の図のようなものが、自分の中での腕相撲だが、

勝ちにこだわる人間は、もう腕を組む時から有利なポジションを取りに行き、

肩や背中を入れ、体重を乗っけて相撲を取るが、

もはやそれでは、腕相撲とは言えない。


いかにして持っている全ての力を顕在化できるか


の見せ合いになってくる。


男が勝ちに執着している姿は、完ぺき主義から言わせれば、

なんか、見苦しく思えてしまうのだ。



だがとにかくこのように、物理による、『力の顕在化』を考えることは、

人生のあらゆる場面において、非常に有効なのである。

2011.10.17 Monday

punch

 

約6年前は平均220kgぐらいで、よくても250kgほどで、

腹が立って、時には何十回も連発でやった、一歩のパンチングマシン。

今日やったら記録を大きく塗り替えて、320いくつ出た。


様子見の一発目で250ちょい、

人が来てちょっと緊張感が出て二発目に270ちょい、

最後はフットワークをつけてみて、ジャブをしてフロー状態を作り、

そこからの振り抜き右ストレートで、体重を乗せてみたら300を超えた。


だがこの一発の記録を出すためのフォームは、ボクサーというよりも

野球のピッチャーの方が向いている。



ボクシングでは、大ぶりの一発は武器にならないから、一発の練習はしない。

どちらかというと、左も右も、250程度のパンチでも、3分間、12ラウンド

出し続けられる方が、闘いには有利である。


あれから6年、

パンチ力の二大源である、足腰と背中は、自分なりには進化させた。



ロードワーク、ミュージック花火で足腰を鍛え、

一番きつい型の懸垂、背筋を鍛えるワンアームダンベルロウは今や40kg、

(ぐっさんは50kgを上げてたが…)

筋持久力と瞬発力重視の高回数腕立てに、

チョップブロックを殴りつけての拳トレーニング。

ほぼ5年が経つことになる、ササミ重視の高タンパク低脂質の食事。


もちろん単純に体重が当時より純で5kg以上は増えているが、

この地道な努力が、若き日の私の悩みを打破したようだ。

今回は一回でやめたが、もっとやりゃ400は出るぞ…


更に6年後は、34歳で、人間としても体力のピークだろう。

600は軽く出すぐらい、トレーニングを続けるか。

男として、己を鍛える人生のラストスパートに差し掛かるのだ!


2011.06.18 Saturday

ぐっさん越え

 
ぐっさんが、ダンベル広背筋50kgで、10回余裕だったから、

それは追い越さないと・・・




だけどまだ43kgだ・・・


よっしゃ!!!

絶対ぬくぜ!!!

2010.04.16 Friday

リミッターカット〜理性との戦い〜

 
トレーニングは3セット以上に分けてした方がいいというのは常識だが、

なぜトレーニングは何セットかに分けた方がいいのか、その背景には

『自己防衛本能』がある。


例えば、腕立てを限界までやって、100回できたとする。

もう無理だと思って、次の1回ができない。

しかし、なぜか少し経てば、もう一度腕立て伏せができる。

これは、体の自己防衛本能が、その(トレーニング)後の生活の余力を残して

いるからに他ならない。


例えば、サメの歯は折れても折れてもまた新しい予備の歯が生え代わるが、

ちょうどそのイメージである。

痛めつけても痛めつけても、2層目、3層目の予備の筋肉が用意され、しっかり

とトレーニング後も体を動かすことができる。


理想のトレーニングとは、この何層もの筋肉を極限まで破壊し、回復させることに

よって、強靭な筋力を生ませるものなのである。


一流のトレーニングとは、『バーン感』と呼ばれる、『もうこれ以上はできない限界

の状態からしばらく続け、筋肉が焼きつく感覚』になるまで体に負荷をかけるとい

う、最も有効な手法のことをいう。


リミッターカット』とは、『限界突破』』、『理性のタガを外す』という意味で私が使っ

ている言葉だが、いかにしてこの『リミッターカット』ができるかということは、能力

の顕在化につながるものだと睨んでいる。


例えば中学の友人に、喧嘩をすると必ずと言っていいほど手の骨を折るという奴

がいたが、彼は決して弱いわけではなく、むしろ運動神経は良く、腕っぷしも強い

方だった。

一発で相手をノックダウンさせるパンチ力があったといってもいいが、その代わり、

骨を折ってしまうのである。


私はこの原因も、『リミッターカット』だと読んでいる。

それもそのはず、彼は喧嘩になると、いかにもアドレナリンが充満しているような

目つきをし、興奮状態に入る。

それが、『リミッターカット』の状態だと判断するのだ。

その状態でパンチを繰り出せば、自分が思っている以上の、つまり自分の体の

耐久力の限界を超えたパンチを出してしまい、その破壊力に相手はノックダウン

し、自分も骨を折ってしまう。諸刃の剣というやつだ。


こういう現象は、理性的な人間には起こりづらい。

私がその典型であるが、この私も、ストレスをサンドバックにぶつけ、無我夢中

になっていると、自分の限界を忘れた衝撃を叩きだし、手首の靭帯を伸ばしてし

まったことがある。

だが、そういうときには必ずトレーナーが『今日は調子いいね』と言っていたのだ。


つまり、能力の顕在化には『リミッターカット』が付いて回ると思うのだ。

理性的な人間は、いかにして自分を追い込み、その足枷となっている理性を破壊

していくことが、ボアアップのカギになると確信している。


『馬鹿力』というのは、『馬鹿だからついてしまった力』だ。

例えば、力づくで無理やり持ちあげなくても、物理を利用し、てこの原理を使えば

非常に小さい力で、大きな出力を生むことができる。

『馬鹿』は、これがわからないから、力づくで生きてきたと言える。

頭がいい人間は、自分へのダメージを最小限にして、大きな力を生む『頭』を持つ

ように生きる。


だが、こと『自分の体を痛めつけるトレーニング』となったら、『馬鹿』を見習わなけ

ればならない。

『自分へのダメージ』がなんぼ。

後先考えず、余力を残さないくらいの馬鹿になることが、パワーのアップのカギだ。
2010.02.17 Wednesday

剣の道

 

 剣の道は、深い。

 未経験者の想像の、はるかに上を行くだろう。


 今日本は、福山雅治『竜馬伝』で盛り上がっている昨今だが、彼は剣道が達者だ。

 観ていて思う。

 (剣道に、何も気にせず思いっきり没頭したいなあ。)


 俺は、かつては剣道をなめていた。

 わけのわからない道着や面を着け、汗臭い道場の中、奇声を上げて、

 何が楽しいんだと、子供心に思っていた。

 
 しかし、17歳の冬、剣道をやる機会があった。

 しかもそれは、『剣道強化生』、希望する50人近くの中から、わずか5人しか

 その強化生に選ばれることはない、狭き門だった。

 そこに選ばれたら、実質300人以上の人間の代表選手になるということであり、

 そのメンバーで、大会に出て勝負するのだ。

 
 『剣道強化』とは、とんでもなく厳しい訓練だと言うし、噂されていた。

 そのため、特訓参加希望は完全な自主性。

 ただでさえ厳しい生活なのに、これ以上厳しいことをプラスするなんて・・・。

 普通の人はそう考えるだろう。

 もちろん、俺は普通ではないので、この訓練に参加を希望した。


 そして、君の

 ”潜在能力が見たい”

 と言われ、幸いなことに、『剣道強化生』に選ばれたのだ。

 
 (潜在能力、か。今まで、そんなこといってくれる人いなかったな。)
 

 俺は、信用されると、体中から力がみなぎってくる。


 (俺はよく誤解される。だが、こんな俺をここまで見抜き、こうして信じてくれる

 なんて・・。言葉では表すことができない。行動で表すしか、俺にはできない。)

 
 俺が生活していた場所は、冬は靴下を三枚重ね着して軟膏を塗っても凍傷し、

 夏はどんなに暑くても、うちわしか用意されないシビアな環境だった。


 強化練習は、冬は『寒稽古』と言われる極寒の体育館の中で修業し、

 夏は、冷房のない蒸された体育館と、道着、面で蒸されて、暑さが倍増する。

 そんな環境の中、5段、6段の先生達に、これでもかというくらい、特訓を受ける。

 さすがにその先生は一度も教えてくれなかったが、中には7段の先生もいた。
 
 教える必要もないのだ。5段、6段の先生が十分ツワモノだから。

 (1)初段は、剣道の基本を修習し、技倆良なる者
 (2)二段は、剣道の基本を修得し、技倆良好なる者
 (3)三段は、剣道の基本を修錬し、技倆優なる者
 (4)四段は、剣道の基本と応用を修熟し、技倆優良なる者
 (5)五段は、剣道の基本と応用に錬熟し、技倆秀なる者
 (6)六段は、剣道の精義に錬達し、技倆優秀なる者
 (7)七段は、剣道の精義に熟達し、技倆秀逸なる者
 (8)八段は、剣道の奥義に通暁、成熟し、技倆円熟なる者

 剣道経験者は、『7段』がどれだけすごいということかがわかるはずだ。

 『8段』になるためには、7段を10年以上経験し、年齢が『46歳』に

 ならなければならない規定を考えると、40歳以下のこの先生たちは、

 どれだけツワモノかがわかるはずだ。

 
 
 剣の道は、深い。年齢制限の規定を見ても、その武道と精神年齢が

 切っても切れない関係性にあるか、わかるだろう。

 そんな恵まれた環境で、とても一言では表せない訓練を経験したつもりだが、

 俺が潜れた深さと言えば、『初段』程度のものだっただろう。

 しかし確かに、『自分の精神力の潜在能力』というものは、確認することができた。

 
 ある日、大会の前に練習試合が行われた。

 相手は剣道で有名な学校の、高校生だった。

 
 
その日不覚にも俺は、熱を出してしまい寝込んでしまっていた。

 しかし、俺は剣道強化で精神を鍛えられていた。

 『やります。いや、全然余裕です。』

 そして試合に臨み、引き分けた。(気合だけは勝っていた・・はず・・)


 俺が剣道で学んだ一番のことは、『克己心』だった。

 怠け、誤魔化し、弱音を吐こうとする弱い自分に打ち克つ。

 そんな、人間にとって最重要な精神を、剣の道で学べる。

 この強化期間の間で学べなかったことは、『Win-Lose』の概念だ。

 このことについては、またいずれ触れることになる。

 
 
 坂本竜馬、桂小五郎、西郷隆盛らが、歴史上に名を残す偉業を

 成し遂げたのは、若干35、6歳だったという。

 彼らがやったことを現在に例えて言うならば、日本を引っ張る大企業で

 社長、会長クラスが行うM&Aの調印式に、若干35歳の若者が同席する、

 そのくらい大きなことを成し遂げたと言われている。

 
 なぜ現代の若者は、幕末の彼らの様に偉大なことを成し遂げられないのか。
 
 その理由の一つに、『大きな舞台が与えられていないから』というものがある。

 人の能力、潜在能力というものは、得てして大きな舞台で発揮されるものだ。

 松下幸之助らが築き上げた、日本の家族型企業のならわしや、権力政治、

 『現状維持精神』が邪魔をして、日本は今、可能性に満ち溢れた若者の

 開花の芽を摘んでしまう傾向にある。

 
 司馬遼太郎の『竜馬がゆく』、『坂の上の雲』は、『7つの習慣』と同じく、

 日本を引っ張る経営者の、『人生で衝撃を受けた本』ベスト10にランクインし、

 統計なら、中国の古典や経営指南書を差し置いて、実に1、2位にランクする。

 日本男児として、器の大きな男の生き様を描く司馬遼太郎の作品は、

 胸を躍らせるものがあるのだろう。


 男たるもの、大きな男として生き、人生を全うしたいものだ。

 そして、剣の道は、そんな男に一歩近づける、崇高な武道なのだ。

 男には『サムライ』の血が流れている。

 皆とて、ひとたび剣を握れば、サムライの血が沸き踊ってくるかもしれない。

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