2012.03.01 Thursday
"在るべき姿"を理解するべし
"在るべき姿"を理解するべし
Facebookページの新タイムラインは、
重要なマーケティング機能
「デフォルト表示タブ」を無効にする
TechCrunch Japan 3月1日(木)9時27分配信
新たにデザイン変更されたFacebookページのタイムラインには、
その美しい表紙や記事の固定表示などに隠れて、
大きなデメリットがある。
ファン以外のユーザーがページを訪れた時に表示するカスタムアプリを、
デフォルト表示タブに指定することができなくなった。
これは強力なマーケティング機能で、
Facebookページを使ってコンテストやクーポンなどを知らせる特別なコンテンツを見せ、
ただし利用するには「いいね!」が必要、という「ウェルカムアプリ」を設定するものだ。
デフォルト表示タブを指定できなくなったことで、ファン以外のユーザーは、
Facebookページの表紙の陰で目立たない小さなアプリタブを自らクリックしなくてはならない。
殆どの人がしないだろう。
─中略
ブランドにとって唯一の代替手段は、ウェルカムアプリその他の重要なアプリを、
カバーの下の小さなタイルと置き換え、さらにタイムラインフィードのトップから
アプリへのリンクを固定(ピン)し続けることだ。
比べるべくもない。
こうしたユーザーのアクションを必要とする戦術では、
かつてデフォルト表示タブで得られたインプレッションやエンゲージメントに遠く及ばないだろう。
Facebookのゴールは、
Facebookページの商品を売ることよりも、
物語性の高いものにすること
なのだろう。
そしてうまくいっている。
ページの外観は美しく、
それでいて屋外広告や見えすいたマーケティングのおとりのように感じさせない。
ユーザーは、「いいね!」を付けてからでないとそのページのウォールに書き込んだり、
情報や写真を見られないかと騙されることがなくなる。
これはユーザーにとって良いことであり、
Facebookを居心地の良い場所であり続けさせるだろう。
後記:
Facebookページを改善し、Welcomeページ、つまりランディングページを工夫した、
プロモーション力が勝負だと考え、本を買って学んだその日にタイムライン化して、
少々判断が鈍っていたわけだが、
ここまで"守って"くれて、ある種の安堵を得ている。
今や世界の圧倒的インフラとなったFacebookのこの大決定の背景には、
『お金の本来の存在意義』を訴えることにも似た、
純真かつ甚大、そして普遍的なメッセージがある。
だからこそ、ある種の安堵を得たのだ。
たしかに。
お金や、Facebook、そしてそれらも踏まえて"力"もそうだが、
圧倒的な"力"を持つと、ときにそれは"暴発"する。
金は、
人々が競争し、蹴落とし、勝敗を決めるために創られたのではない。
力は、
それを持つ者が、持たない者を支配したり、牛耳ったりするためにあるのではない。
先日書いたとおり、それらの真理を無視して『成功者』を語る人間は皆、
"偽物"であり、むしろ、逆にこれらの甚大な"力"に、支配されてしまっているのだ。
(金さえあれば…)
(力さえあれば…)
そう、"力"に依存し、そして、屈してしまっているのだ。
そしてFacebookも、その"真理"に習い、暴走する力、
それは"暴力"とも書くが、
それらの『真理を無視して勝手に盛り上がったユーザー』に対して毅然として立ち向かい、
有無を言わさず強制的に締め出すことで、Facebookの秩序を守った。
これは、"力"を持つ者としての、英断なのではないだろうか。
"力"だけでなく、"知性"もある。
なるほど。
Facebookの革命は、人類にとって歴史的なものになりそうだ。
"在るべき姿"を理解するべし
その美しい表紙や記事の固定表示などに隠れて、
大きなデメリットがある。
ファン以外のユーザーがページを訪れた時に表示するカスタムアプリを、
デフォルト表示タブに指定することができなくなった。
これは強力なマーケティング機能で、
Facebookページを使ってコンテストやクーポンなどを知らせる特別なコンテンツを見せ、
ただし利用するには「いいね!」が必要、という「ウェルカムアプリ」を設定するものだ。
デフォルト表示タブを指定できなくなったことで、ファン以外のユーザーは、
Facebookページの表紙の陰で目立たない小さなアプリタブを自らクリックしなくてはならない。
殆どの人がしないだろう。
─中略
ブランドにとって唯一の代替手段は、ウェルカムアプリその他の重要なアプリを、
カバーの下の小さなタイルと置き換え、さらにタイムラインフィードのトップから
アプリへのリンクを固定(ピン)し続けることだ。
比べるべくもない。
こうしたユーザーのアクションを必要とする戦術では、
かつてデフォルト表示タブで得られたインプレッションやエンゲージメントに遠く及ばないだろう。
Facebookのゴールは、
Facebookページの商品を売ることよりも、
物語性の高いものにすること
なのだろう。
そしてうまくいっている。
ページの外観は美しく、
それでいて屋外広告や見えすいたマーケティングのおとりのように感じさせない。
ユーザーは、「いいね!」を付けてからでないとそのページのウォールに書き込んだり、
情報や写真を見られないかと騙されることがなくなる。
これはユーザーにとって良いことであり、
Facebookを居心地の良い場所であり続けさせるだろう。
後記:
Facebookページを改善し、Welcomeページ、つまりランディングページを工夫した、
プロモーション力が勝負だと考え、本を買って学んだその日にタイムライン化して、
少々判断が鈍っていたわけだが、
ここまで"守って"くれて、ある種の安堵を得ている。
今や世界の圧倒的インフラとなったFacebookのこの大決定の背景には、
『お金の本来の存在意義』を訴えることにも似た、
純真かつ甚大、そして普遍的なメッセージがある。
だからこそ、ある種の安堵を得たのだ。
たしかに。
お金や、Facebook、そしてそれらも踏まえて"力"もそうだが、
圧倒的な"力"を持つと、ときにそれは"暴発"する。
金は、
人々が競争し、蹴落とし、勝敗を決めるために創られたのではない。
力は、
それを持つ者が、持たない者を支配したり、牛耳ったりするためにあるのではない。
先日書いたとおり、それらの真理を無視して『成功者』を語る人間は皆、
"偽物"であり、むしろ、逆にこれらの甚大な"力"に、支配されてしまっているのだ。
(金さえあれば…)
(力さえあれば…)
そう、"力"に依存し、そして、屈してしまっているのだ。
そしてFacebookも、その"真理"に習い、暴走する力、
それは"暴力"とも書くが、
それらの『真理を無視して勝手に盛り上がったユーザー』に対して毅然として立ち向かい、
有無を言わさず強制的に締め出すことで、Facebookの秩序を守った。
これは、"力"を持つ者としての、英断なのではないだろうか。
"力"だけでなく、"知性"もある。
なるほど。
Facebookの革命は、人類にとって歴史的なものになりそうだ。
"在るべき姿"を理解するべし
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