2012.09.16 Sunday
ゾロ『このおれの命一つで!!勘弁して貰いてぇ……!!!』
ゾロ『このおれの命一つで!!勘弁して貰いてぇ……!!!』
私は一度忠誠を決めたら、見ているところでも見ていないところでも、
断固として裏切らない性質であるが、
これまでの半生、
命を掛けたくなるような人間にはめったに出会わなかった。
本物志向である私は、
たとえ超絶的な影響力のある"四聖"であろうと、
やはり話したこともないし、直接の自分とは無関係であるため、
忠誠を誓う(信者になる)
ということには、まず間違いなくならなかった。
だが、人間としてその知性には、とても尊敬している。
その、尊敬している"四聖"にも忠誠を誓えないのだから、
私がそれを誓える人間は、ごくごくわずかな『本物』なのである。
ましてやその他の『ニセモノ』など、話にもならない。
私がこれほどの本物志向になった原因は、
家族との関係が深く関係しているが、ここでは割愛する。
それに私は、命を懸けるほどの絆で結ばれる他人を、
私はあまり見たことがない。
血のつながりがあり、人生の艱難辛苦を共にし、
決意した家族同士ならまだしも、
切ろうと思えばいつでも切れる他人同士の絆で、
そこまでの関係で結ばれることは、ごくごく稀である。
大体は自分や自分の家族の利益を一番に考えて、
後のことは二番、あるいはそれ以下の存在である。
それはなぜだろうか。
私の周りにも『エセ家族』や、『エセファミリー』はたくさんいる。
だが文字通りそれは、『似非(エセ:似ているが本物ではない)』なのである。
事情により一人顔を見せなくなっても、手をさしのばさない。
一人いなくなることで自分側の都合が悪くなれば、裏切り者扱いにする。
そのくせ自分達の仲は家族同然だと言い張る。
こういう人間をたくさん見てきて私は、
ある種の違和感を常に覚えていた。
私は考えた。
人を批判してばかりいては仕方がない。
どうしたら本当の絆で結ばれる人間関係を作れるのだろうか。
なぜ私は、命を懸けられる人間関係に、出会うことが少なかったのか。
そう、私の周りに『エセ』しかいないのは、
何を隠そう、この私が、『ニセモノ』だからなのである。
もし私が『本物』の人間ならば、
私の周りには、家族の絆を超えた奇跡の人間関係で、
溢れているはずだからだ。
『類は友を呼ぶ』。
軽薄で能天気な人生を送っているときには、同じ周波数の輩が周りにいた。
だが、真剣に人生を葛藤しているときには、そういう連中は少しも私に接近できず、
人生の賢者や、恩師と仰げるだけの模範や、本が周りに在った。
もし、自分の人生に『本物』の人間関係がいないなら、
この事実から目を逸らしてはならない。
身の回りで起きている全ての原因は、
全て自分という『鏡』が映している結果である。
ゾロ『……わかった
首は…やるよ
……ただし身代わりの
……このおれの命一つで!!
勘弁して貰いてぇ……!!!
……まだたいして名のある首とは言えねぇが……!!
──やがて世界一の剣豪になる男の首と思えば
取って不足はねぇ筈だ!!!
ルフィは海賊王になる男だ!!!』
一流には、一流が連鎖する。
本物には、本物が連鎖する。
『似非』の連鎖で虚しくなければ、それを続ければいい。
だが『本物』に生きる人は、理解っている。
いくら波乱万丈で大変でも、
『本物』の人生は、『似非』の人生と比べたとき、
まるで比にならないことを。
命を懸けるだけの価値がある、人生の生き方だということを。
ゾロ『このおれの命一つで!!勘弁して貰いてぇ……!!!』
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