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2010.02.28 Sunday

『成功する人は、失敗する人がやりたがらないことをやる。』

 
『成功する人は、失敗する人がやりたがらないことをやる。』


成功している人が、自分の身の回りにどれくらいいるだろうか。

自分の身の回りにいる人間に、いつまでも同調して生きていては、人生の間に

自己実現ができないかもしれない。

その人は、『同調すべき成功している周りの人』なのか?

それとも、『どうしても同調してしまう周りの人』なのか?

一度、自分の『周りの人』を考え直した方がいい。

その人は、たまたま自分の周りに生きていただけで、同調すべき人ではない

かもしれない。

ほとんどの人は、『成功したい!』と仲間内では言うものの、『本当に成功したい』

と思っていないように見受けられる。

つまり、成功をするための道を『いばらの道』とし、

平凡な道を、『居心地のいい道』としているのだ。



『成功する人は、失敗する人がやりたがらないことをやる。』
                                                by E.Mグレイ

成功する人は、“周りの人と行動がずれている”に決まっているのだ。

平凡な考えの人は、それをすることができない。

人と同調していなければ、不安なのだ。

世の中の80%は一般人で、20%が富裕層だと言われている。

実に、『80%の人たちは、20%を夢見ている割には、居心地の良さを

80%の生活に見出している。』ということだ。なんというお粗末な話だろうか。

これでは、永遠にその夢がかなうこともあるまい。『20%』という数字が

長い間変わらないことを見ても、人間においてこういうことは、不変的

なのかもしれない。


だが、成功者の中でも、人格者は決まってこう言う。

『人生で一番楽しかったのは、山を登っている最中だった。

てっぺんに登ってしまうと、もうそこには虚しささえ覚えてしまう。

お金は、天国へ持ってはいけない。』


『オリンピックシンドローム』と言われる心の病は、オリンピックを夢見て

人生で全力を出してきた人間が、大会終了後、燃え尽きて、自堕落な生活を

送ってしまうというものだ。


『限界効用の逓減』とは、努力があっての快楽だ、という人間の仕組みだ。


8割側だろうが、2割側だろうが、同じ人間。成功したからと言って、驕り、自惚れ、

努力を怠っては、たちまち転落するだろう。


『我々は自分に備わっているものをほとんど顧慮せずに、

いつも欠けているものについて考える。』


もしかしたら、『成功を夢見ている間』こそが、人間は幸せなのかもしれない。


だが、それでも成功する人間とは、『いばらの道』を、『居心地がいい道』だと

することができる人だ。

いばらの道(ピンチ)は、居心地のいい道(チャンス)なのだ。


なぜピンチだと感じるのか?それは、“そういう常識”があるからだ。

そしてそれは、8割の人間の常識だ。

成功するにはまず、自分の脳のパラダイム転換をすることが、大原則なのだ。

そして、本当に自分は成功したいのかどうか、真剣に考えてみるべきである。

2010.02.27 Saturday

情報

 

情報


20歳のときに気づき、日記に書いたことは、今でも変わっていない。

この世で生きて、お金を稼ぎ、成り上がるために必要なものは、

情報』と『人脈』だ。

まあ正直、『情報』だけでいい。『情報』さえあれば、自己実現を狙える。


その情報が正確で、具体的であればあるほどいい。

たとえば、『次のレース、2−7の大穴が必ず来る』という『情報』があれば、

あとは、そこに大金をつぎ込むという『行動』さえすれば、大金が稼げる。

『この会社の株は上がる。』という『情報』があれば、その株を買うという

『行動』をすれば、お金持ちになれるだろう。事業のノウハウにしろ、何にしろ、

すべては『情報』ひとつなのだ。


ギャンブルの情報詐欺や、あらゆる情報を売る、『情報商材』なるものが

飛び交う昨今を見ても一目瞭然。人は、情報を欲しがっている。

芸能人、ダイエット、ギャンブル、流行アイテム、金稼ぎ、勉強、好きな人の

好みから自殺の仕方まで、『情報』に対しての人間のニーズはつきない。


このように、世の中で自己実現をするためには、『情報』がすべての鍵を

握っている。

その自己実現、目的が崇高であろうが、自分本位であろうが、『情報』が鍵を

握っていることに変わりはない。

いかにして、簡単には世に出回ることの無い『純粋』で、『正確』で、『貴重』な

情報をつかめるかが、キーポイントになるのだ。


いい情報を得るために、一所懸命人に頭を下げ、酒を飲み、努力し、『人脈』を

作り上げることが、近道だということで、必死に頑張る人がいる。

もちろん、人脈作りをするにあたって、その人に、『人を見る目』がなければ、

無意味な人脈を作ることに時間と体力を費やしてしまうので、元も子もない。

世の中には、足を引っ張るマイナスの人間関係も存在する。


友人は、刑務所からの手紙で、『付き合う人間を考えればよかった』と後悔している。


俺自身、恩師に出会っていなければ今の俺はいないと感謝しているし、

歴史に名を残す偉人たちが成功した影には、キーマンとなる重要な人物が

存在することが多い。

たとえばエジソンは、幼い頃から実験ばかりで教師や友達に気味悪がられていた。

しかし、母親だけは味方をし、地下に実験室を作って思うようにさせたというのは

あまりにも有名。その母親の存在が無ければ、エジソンの力が存分に発揮できな

かったかもしれないのだ。


限りある人生・時間の中で、『良き理解者に出会えるか』、『どういった人と親交を

深めるか』、『どういった本を読むか』、つまり、『いかに100%の力を出せるか』、

『どういった情報をつかむか』が、自己実現の大きな鍵になってくるといえるだろう。


『金こそは、取るに足らぬ人物を第一級の地位に導いてくれる唯一の道である。』

  byドストエフスキー


たしかにドストエフスキーのいうように、地位も名誉も学歴もない者が『成り上がる』

ためには、まずは『お金』を稼ぐことが重要なのだ。ある程度の『お金』があれば、

あとはどんどんビジネスチャンスは増える一方なのだ。そういった人間との交流が

できるようになり、親交を深められる。つまり、どんどんいい『情報』を掴むことが

できるし、あとは、『行動』するだけということになってくる。


今の世の中は、お金に支配されている人間が8割以上だろう。お金の無い時代

だってあったんだ。

でも、人間の選択で、お金が生まれた。その本来の意味を見失っては

いけないと思う。

だが今、2割の人間が『お金じゃない』といったところで、今すぐにすべての人間が

その固定観念を変えることは出来ない。それだけ人間とお金との関係は、

切っても切れないところまできてしまっている。


『お金さえあれば』と言い残し、死んでいった人たちもたくさんいる。

お金が無いために、貧困に苦しみ、食料を奪い合わなければいけない状況で

暮らす人もたくさんいる。

もう、『お金』の存在を無視することは、偽善者という考え方もでてきてしまう。



情報についての『重要性』は、Googleの中国撤退の真意、背景を紐解けば

見えてくる。

現在Googleは、中国政府の公然とした“検閲”に業を煮やし、世界最大の

成長市場を捨てかねない状況だ。

改革・解放の名の下に進んだ経済の自由化は一見、資本主義国かと見紛う

ほどの発展を中国にもたらした。

しかし、中国といいう国家のもう一つの顔は、徹底した“国民管理国家”である。


首都、北京市内を走るおよそ七万台と言われるタクシーのほとんどには、

客の会話を録音してタクシー会社に送ることのできる盗聴器が備えてあり、

中国政府の公安当局がそれを一括して収集し、管理している
とも囁かれている。


中国政府は一方の手で自由経済と言う甘い蜜を与え、もう一方の手で国民を

徹底した管理下に置いている。

Googleが世界最大の潜在力を秘めた市場を捨てるのは、“検閲問題”だけが

理由なのではない。


1989年、世界は冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩れていくのを目撃した。

戦後の世界を東西に二分したこの壁を突き崩した原動力は、自由を求める

市民の力もさることながら、主にテレビ、ラジオの電波によって西側から東側に

流れこんだ、言論・表現の自由、豊かな物資といった『情報』の力でもあった。


同時に、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の崩壊とその後の悪夢のような状況も、

皮肉なことに『情報』がキーワードだった。


92年1月以降、東ドイツの抑圧の代名詞だった、秘密警察『Stasi(シュタージ)』

が保管していた国民600万人分の極秘ファイルが次々と明らかにされていった

のである。そこには秘密警察の協力者として、働いていた者たちのファイルも

含まれていた。

多くの東ドイツ市民は自分のファイルを読み、驚愕した。

自分の友人が、知人が、中には自分の妻や夫が、果ては両親が、

長年にわたって情報提供者であった
ことが綿々と記されていたのだ。


『地獄の釜の蓋をあけた』、とはまさにこのことだった。

ある者は公職を追われ、ある者は行方をくらまし、そしてある者は自ら命を絶って

いった。


現在、中国では『天安門事件』、『チベット騒乱』などを検索しようとしてもできない。

そればかりか、これらの関連事項を執拗に検索するだけでも当局に感知される

仕組みが出来上がっているとされている。


Gメールでさえ検閲を受け、反政府的な内容の発信者は当局の監視下に

置かれてしまうほどだという。つまり、このまま下手に妥協すれば、Google

そのものが『シュタージ』同様、巨大な密告システムに加担してしまうことに

なりかねないのである。

Googleの経営陣は自らのシステムが人権抑圧の有力手段として中国政府に

利用されていることに驚愕し、当惑したようだ。

このままこうした事実が知れ渡れば、情報公開の尖兵であるはずのGoogle

が“自由の敵”というレッテルを貼られ、世界中から糾弾されるのは必至である。


Googleが中国と言う巨大市場を捨てる決断を迫られているのと同様、

中国がGoogleを警戒し、検閲をやめない背景には、旧東ドイツの重い教訓が

あるのだ。



人間において、『情報』がいかに重要なものか、よくわかるだろう。

『人間』という自分本位な生き物が扱う歪曲された情報の中から、真実で、

卓越した情報を掴むのは容易ではない。


しかし、自らの成長に命を懸け、人格者になる努力を日々怠らなければ、

類稀な『見識』が身に備わり、判断を見誤ることはない。

そして、情報をコントロールできるようになる。


人間にとってここまで重要な『情報』を支配することがどういうことかは、わかるはずだ。
2010.02.26 Friday

火事場の馬鹿力

 
火事場の馬鹿力


成人の男性は、実に500kgもの重さを持ち上げることができる。

しかし、普段はその力を理性によって抑えれている。

それに対応する筋肉が鍛えられていないため、身体を壊すからだ。

『自己防衛本能』である。

人が生きるか死ぬかという局面で、オリンピック選手が舌を巻くような

記録的な行動を取った人間など山のようにいる。 では、

その潜在能力を十二分に、自在に引き出すことができれば、どうなるだろうか?

ヒントは、『火事場の馬鹿力』にあるのだ。



ストイックな環境を作れば、『火事場の馬鹿力』に似た経験をすることができる。

そもそも、俺がストイックな性格になったのは『剣道強化』のときからだが、

当時のキーワードは、『潜在能力』だった。


その他にも、『宝の持ち腐れ』とも言われていた俺は、当時『潜在能力』に

興味津々だった。


(しかし、”潜在能力”とか、“宝の持ち腐れ”とか、内面を評価してもらったことは

言葉にならないくらい有難いけど、どうしたら”それ”を引き出せるんだろう。)

そして、剣道と、何の関係があるんだろう。

当時の俺は、そう思っていた。


しかし、一度練習が始まれば、そんな悠長なことは言ってられなくなった。

『キエイーーーーーっ!!!!』

腹から絞り出さなければどやされる、大きな声が鳴り響く極寒の体育館で、

足の裏の皮がずるむけになり、皮がはがれ、血が露出した表面にホコリが

つこうがゴミがつこうが無視して気合いで面を打つ。

未経験者ということも加わり、不要な力を振り絞るので、

体中の筋肉はすぐに動かなくなる。


しかし、それでも教官は、面を止めさせない。

そして、どんなに過酷な練習をしようが、直後の呼吸は決して肩でゼエゼエと

してはいけない。口で荒く呼吸をしたいのを抑え、鼻で深呼吸をして、

整えなければならない。

運動は好きだが、真面目なスポーツマンではなかったため、食事がのどを

通らなくなるまで体中を酷使したのは、生まれて初めてだった。

そんな過酷な訓練を何カ月も続ければ、本気を出さずにはいられなくなってくる。

”潜在能力”とか、”宝の持ち腐れ”という言葉の真意にあるのは、

『力が表面化されていない』、つまり、『全力を出していない』、

そしてそれは、『余裕ぶってナメてる』ということにもなる。

それに見かねた先生たちが、『剣道強化やらせれば余裕ぶっこいて

られねえだろ』と思ったのも理由の一つだったかもしれない。


ある訓練の日、訓練の最後に、これでもかというくらい面打ちをさせられた。

腹から『面!』と大きな声を出し、面を打って、相手の横をすり足で駆け抜け、

振り返って竹刀を構える。ここまでが『面』だ。

『もう一回!』、『もう一回だ!』。

永遠に続く面打ち。とっくのとうに、体は悲鳴を上げている。

しかし、教官が挑発してくる。

『おい、まだまだだよこんなもん!』

腹が立つので、死ぬまで面を打つつもりで突っかかっていく。

(ぶっ潰してやるよこるぁあああああ!!!!)

だが、もう打つ面に力など入っていない。かといって、型を崩すなどと、

甘えた面を打ったら、怒鳴られ、また腹が立つだけだ。

限界なのはわかってていてまだ煽ってくる教官。

『ほらラストもう1回!!!』

瞳孔が開き、体中に鳥肌が立つまで力を振り絞ったのも初めてだ。

今までは、そんなことがあったら確実に『異常反応』を起こしたとガタガタ

言って、そこで『だりぃー。もう無理だ!』とほざいて、地面に寝ころんでいた。

(このまま死んでやる!)

そう思ったときに、ようやく『やめ!!』の声。

そして俺は安堵し、力を抜こうとした。

しかしそのとき、教官が俺の胸倉をつかみ、足をかけ、

背負い投げをしようとしてきたのだ!

だが、俺はとっさに”踏ん張り”、それをかわした。

すると教官が言った。

『おっ?一瀬はバランス感覚がいいな。普通ここで投げられたら、立てないだろ。』


(─潜在能力か。なんだか、それがどういうことが、少しずつ分かってきている気がする。)


窮鼠が猫を咬むように、火事場に馬鹿力が起こるように、生命は、

追いつめられた時、“非常識”な能力を発揮する。

それを紐解けば、『自己防衛本能』に、とても関わりがあるのだ。

俺の能力が”顕在化”されていなかった理由も、この『自己防衛本能』が

大きく関わっている。


つまり俺は、過去に『自分を正当化し、守らなければ生きていけない状況』

を経験していて、『自己防衛本能』が働き、自分を殻に押し込め、『自分』を

守っていたということなのだ。


カメレオンや生物が“擬態”をし、状況に同調して、身を守る。

人間も、自分を守るために、実にあらゆることに“同調”、あるいは“追従”

するだろう。そのうち、『本当の自分』というものを押し込めて、

『本当の自分』がどういう存在なのか、わからなくなってしまう。

しかし、そのままではいけない。本当の自分ではない状態で人生を生きて

しまうと、その人生は後悔の連続だろう。

(本当はああするつもりじゃなかったのに。本当はああ言うつもりじゃなかったのに。)


俺は、これ以上ないくらいの『後悔』を経験した。

そして、いろいろな環境に後押しされ、今の『強い信念を持った自分』で

生きることができているのだ。

今の俺だけを周りが見れば、融通の利かない、意固地な頑固者だと

思うかもしれないが、とんでもない。俺は、(皆の好きな)“カメレオン”から、

(信念を持った)“人間”へと、進化をしたのだ。

環境に支配され、同調して、反応的に生きる人生など、

生きているとは言えない。

カメレオンのように状況に合わせられる人間を、器用な人間だとか、

上手く生きてるとか言う人がいるが、表面的な人間関係に、『感動』は

生まれない。『感動』のない人生など、人生ではないのだ。

だとすれば、人生を上手く生きているかと言えば、一概にはそうと言いきれないのだ。


ストイックなまでに環境をコントロールし、能力を顕在化させ、

自分の人生の舵を握る。


この味を一度知ったら、もう抜け出すことはできないだろう。

酒やたばこや麻薬など、これの足元にも及ばない。
2010.02.25 Thursday

孫悟空

 
宝の山を掘り起こせ

『宝の山があるかもしれない。』

そう聞いて、そこを掘り出す。金の発掘と同じだ。


ここでいう、『掘り続ける』ことこそが、『諦めずに努力し続ける』ということになる。

もちろん、掘っていれば、『そこには宝はないよ』と言う輩の声も聞こえてくるだろう。

掘っている間、手ごたえがなければ、諦めてしまいたいと思う気持ちが芽生える。


『本当にあるのだろうか?』、

『無いって言う人もいるし、無いのかもしれないな。』、

『なんであいつ、協力的じゃないんだよ。あいつがもっとやればいいのに。』

『隊長の使えと言った道具じゃ、掘れないって話です!無駄です!』


諦める言い訳は星の数ほど用意されている。

しかし、それでも諦めずに、自分を信じて努力を貫ける人間こそが、宝を掘り当てる、

結果を生む人間
なのだ。



すぐに結果が出ないからといって、周りからの下向きな声が聞こえたからと言って、

『掘り続ける努力』を怠ってはいけない。

『最善を尽くす努力』を、怠ってはいけない。

『誰がなんと言おうと、必ず宝の山を掘り当てる。』

そういう強い気持ちこそが、未開拓の道を、切り開いていくのだ。


能力がある奴でも、

『これ以上掘って金が出なかったら、支えにしてきた俺の自信が崩れる』

と言って、諦めたら終わりだ。


高学歴の奴でも、

『ここをこれ以上掘るのは合理的ではない。既存のデータに基づき・・』

と言いだして、正当化したら終わりだ。


天才でも、

『ひらめいた!こんなことやってる場合じゃない!』

と言いだして、掘るのをやめてしまったら、終わりだ。


金持ちでも、

『なに!?他の場所で出そうだと!?よし、そっちへ行こう!』

と言いだして、他の情報に目がくらみ、撤退したら、終わりだ。


“金鉱を掘り当てることができるのは、途中何があっても

最後まで掘り続けることができる人間だ。”



宝を掘ることを、『義務』のような事務的な考え方をするな。

よーく考えなければ。

『宝の山を掘りあてている』んだ。


それ自体が心躍らせる、アドベンチャーだと思わないか?

生き生きとして、楽しんで、積極的に前向きに掘り当てるのが、本来の姿なんだ。


『ドラゴンボール』の悟空が、いつでも明るく前向きに冒険していなければ、

あのマンガはあそこまで見る人を魅了しなかったはずだ。

悟空の中に底知れぬ可能性を、見出さなかったはずだ。


悟空は、ドラゴンボールを探す冒険、強くなるための厳しい修行に対して、

前向きだったし、勇敢だった。

なにより、心の底から楽しんでいたんだ。

『オラ、わくわくしてきたぞ!』


━悟空ならやってくれる。

幼心に、そう抱いたことを、俺達世代は覚えている。


奇跡、結果を生むために必要なものはなにか。

それについて、一度深く考えてみるべきだ。


『この世はでっかい宝島。そうさ、今こそ、アドベンチャー!』
2010.02.24 Wednesday

『余分な脂肪』

 
会社の動きを鈍らせる『余分な脂肪』になるな


未曾有の時代、大手企業の間では、正社員を含む人員削減が相次いだ。

その背景にあるのは世界の不況、会社存続のためには当然の決断なのだ。

メディアや一般人からは批判の声も聞こえるが、経営者の判断としては、

優れているのだ。


日産          2万人
ソニー         1万6千人
パナソニック     1万5千人
三洋電機       1200人
NEC          2万人
日立          7000人
パイオニア      1万人


『デキル社員』を残し、『デキない社員』を削る。

これは、会社として当然の判断である。

それまで削られなかったのは、『安定』があったからだ。


豪華客船、タイタニックでもそうだった。

タイタニックでは、最上部が富裕層。下に行くたびに貧民、という形になっている。

下には大した設備はないが、乗せておく分には問題ない。

微量だが搭乗料金も取れるし、かき集めればそれなりの収入になる。

いわばこれは、『ロングテール』だ。


しかし、いざ船が沈むとなれば話は別だ。先に救出されるのは、上にいる富裕層たち。

救命ボートの数だって限られている。もちろん、貧民たちは怒るだろう。

『なぜ後回しなんだ!』『早く助けろ!』と、自分たちの意見を主張する。

まるで、現代の派遣切りされた人たちと、同じような主張の仕方だとは思わないだろうか。


『俺たちにも権利があるんだ!』『派遣切り反対!』


しかし彼等は、『デキる社員』だったのか?

その貧民たちは、『そうなる』ことが予測できなかったのか?

『そうなる』ことが嫌だから、『努力』して、船の上に乗ることは、考えなかったのか?


人事政策として、『無駄な脂肪をそぎ落とし、会社を筋肉質にする』という概念がある。

日立、などは『社員に優しすぎる』という環境だった為、このような機会が会社を

筋肉質にするいい機会だという声もある。


デキない社員。努力を怠る社員を甘やかしたり、優遇したりするということは、

会社にとって、『余分な脂肪を蓄える』ということと、同じことなのだ。


売上を上げれば給料は上がるが、もし自分のレベルを上げず、余分な脂肪を

蓄えたままそぎ落とす努力を怠れば、いずれ、その『金だけでつながった関係、

信頼』はすべてはがれおち、『金の切れ目が縁の切れ目』、唯一つながっていた

『金』を産まなくなったとき、使い捨てられるのが落ちだろう。


ダイエットを究めようとしている俺から言わせれば、余分な脂肪というものは、

すぐに落ちるものではない。

蓄えた期間の分だけ、そぎ落とすのに時間がかかるという。

10年甘えてきたのであれば、10年かけてそぎ落とさなければいけない。

つまり今からその努力をしていないと、いつまでも落ちることはないのだ。


もし『10年後も今と同じく、自分の人生を楽しむ』つもりがあるのであれば、

そろそろ”ダイエット”と向き合う必要があるかもしれない。


2010.02.23 Tuesday

上、磨、俯瞰

 
ボアアップ

例えば、現代で考えて、ファミコンレベルのコンピューターの容量では、

こなせるゲーム、対応しているソフトのレベルははたかが知れている。

それが、コンピューターがレベルアップしていき、スーパーファミコン、

プレイステーション、プレイステーション2、プレイステーション3とバージョンアップ

していけば、より性能のいいゲームに対応できるようになり、より高度で複雑な

ソフトも処理することができる。


容量の大きいパソコン、スーパーパソコンと、その容量が大きくなればなるほど、

複雑な”仕事”を処理をすることができる。


そして、それにはその価値に値するだけの価格が与えられる。

それは、人間にも同じことが当てはまる。

簡単にいえば、馬鹿にこなせる仕事の量はたかが知れている。給料も、低いということだ。


だが、その原則に気付き、それでも大金を手にしたいのであれば、自分のレベルアップ、

底上げ、バイクで言うところの、ボアアップをすればいいのだ。

それこそが、『人格の成長』なのである。



クリーンアップ

パソコンを使っていると、いらない情報の蓄積(情報オーバー)や、悪性のウイルスなどで、

動きが鈍くなる(重くなる)。

ただ、それをしっかりメンテナンスすれば、正常な動きを果たすことができる。

つまり、『本当はその情報を処理できるのに、不要な原因物質のせいで、処理が

滞ってしまっている』ということであり、それは人間でいえば、

『本当はその仕事ができるのに、なんらかのマイナス感情が足枷になり、思い通りに行かない』

ということなのだ。


たとえば、正常なロボットであれば、『インプットした情報通りに動いてくれる』という

認識があるだろう。

ロボットには余計な感情はインプットされていない。ただ事務的に、インプットされたこと

だけを、確実に処理するという認識があるはずだ。


しかし、人間には”感情”がある。そして今までの半生で各々、幾多の経験を積んできた。

プラスなもの、マイナスなもの、実にさまざま、たくさんあるだろう。

そういった、生まれ育った環境や、経験してきたものによって植えつけられた考え方を、

『パラダイム』と呼ぶ。


もし、今の自分のパラダイムが容量の小さいファミコンレベルなのであれば。

もし、今の自分のパラダイムに足を引っ張る何らかのマイナス感情があるのであれば。


それを綺麗にする。パソコンで言えば、”クリーンアップ”の作業をする必要があり、

そしてそれを人間で言うと、『パラダイム転換』と呼ぶことになるのだ。


簡単にいえば、

『今までの、子供じみてて、弱虫で、甘えが染み付いた低レベルな人間から、

勇敢で、責任感のある、器の大きい人間に生まれ変わる。』

ということなのだ。


今後仕事で行き詰った時、もしくは、自分の身の周りがいつまでも貧しい時。

このことを思い出し、『身の周りを豊かにするためにやるべきこと』をやってみたらいいだろう。



人の価値とその報酬の法則

『脳外科医』と、『マクドナルドの店員』で考えてみよう。

そもそも金銭的報酬(給料)とは、

『何時間働くか』ではなく

『どれだけの価値を付加できたか』ということで決まる。

『10時間デスクに座ってパソコンをいじっている』報酬に20万をもらっているんじゃない。

『10時間の間にどれだけそのパソコンを使って仕事をこなしたか』、

ということに報酬が払われている。

『給料泥棒』と呼ばれる人は、この意味を理解していない人のことを言う。


では、脳外科医とマクドナルドの店員、これは、はるかに脳外科医の方が

報酬がいいというのがわかる。

が、”脳外科医の方がすばらしい人間”なのだろうか?

かならずしもそんなことはない。


脳外科医の方が勤勉に働くか?

おそらくそんなことはないだろう。


脳外科医の方が頭がいいか?

それは誰にもわからない。


だが、ひとつだけはっきりしていることがある。

それは、『脳外科医の方がマクドナルドの店員よりはるかに多くの専門知識があり、

特定のノウハウをもっている』ということ。


脳外科医と同じことをできる人はきわめて少なく、その結果、脳外科医の方が

はるかに高い価値を認められているのだ。

だから、脳外科医はハンバーガーを焼いている人の10倍以上の報酬を得ているのだ。


もし自分の報酬が低いと思っているのであれば、それは『周りのせい』じゃない。

『自分の付加価値が低い』ということ以外にない。

この原則を無視して、自分の価値を上げようとせず、誰かのせいにしているようでは、

永遠に現状は変わらない。



ボアアップクリーンアップ人の価値とその報酬の法則から、

レベルアップする向上心、メンテナンスする謙虚な心、冷静に俯瞰的に判断する客観。

これらを学び、戒め、現状で満足せず、さらなる高みに上り続けるべし。

『男』である以上。




2010.02.21 Sunday

女性と男性と検索エンジン

 
『男性は”知ってる話”をしたがり、女性は”楽しい話”をしたがる』

                               by 明石家さんま


今は肉食、草食という言葉があるが、基本、日本の男性と女性には違いがある。

まず、『役目』が違う。体格が違う。

男性は仕事をし、女性は子供を産む。協力し、子供を育てる。

役割の明確化から考えても、男性が体力がつき、女性が家庭的になる。

長い年月をかけ、女性はその美しさの儚さに気付くようになり『知恵』をつけていく。

男性は、長い年月をかけ、人生を強く生きていくために『度胸』がよくなっていく。


女性は、”花の命”が短いことに気づくようになり、花が咲いているうちに、人生を

楽しむようになる。

男性は、花を咲かせるのに命を懸け、時間を費やしていく。


女性と男性とでは、考え方が変わっていく。


男性は、のどが渇いたら缶コーヒーでも満足できる。

女性は、のどが渇いても缶コーヒーでは満足できず、喫茶店に入り、友人とお喋りをする。

男性は、どんぶりの食事で満たすことができる。

女性は、いろいろな料理を少しづつ食べるのを好む。

男性には、お洒落やデザインに無頓着な者が多い。

女性には、お洒落でキラキラしたものを好む者が多い。


男性と女性の、輝く人生のピーク折れ線グラフは、異なる。


”命が短い”女性は、『運命』や『奇跡』に興味を持ち、『占い』を信じたくなる。

”決断・行動力”を迫られる男性は、それが欠如すれば人生を強く生きていけず、

他のことがおろそかになりがちになる。


男性は、手っ取り早いものを好むようになり、

女性は、雰囲気やムードを大事にするようになる。

男性は、用を足すとき、どちらの便器を使うか決断しなければならない。

女性は、用を足すとき、決断をする必要がない。

男性的な”いじめ”は、直接的でわかりやすいものが多く、

女性的な”いじめ”は、間接的な陰湿なものが多い。


男性は、”厳しく”なる。

女性は、”優しく”なる。


もちろん、すべての人に当てはまることはないが、男女の間に、

そういう印象を受ける人は多い。




今、日本の検索エンジンのシェアの概算は、

『Yahoo!Japan 60%』

『Google 35%』


だが、

華やかなトップの『Yahoo!Japan』には、”10代〜50代の男女”、

ストイックなトップの『Google』には、”20代〜50代の男性”が圧倒的に占めるという。


『Google』は最近、CMなどのブランディングに力を入れている。

だが、『Yahoo』と『Google』のトップには、大きな差がある。


日本ではこれ以上、『Google』のシェアは広がらないのだろうか。


特に、日本女性は、『Google』を好んでいくことができるのだろうか。


TOYOTAやJALといった、日本を代表する大企業でさえ、『お客様本位』でなければ

世の中から淘汰されるこの時代。

今、生き残っている企業というのは、愚直に正直に、努力をしてきた人たちだ。

『正直者が馬鹿を見ない』世の中だと言えるのだ。


検索エンジンとは、広告史上で考えれば、類を見ない、『プル(PULL)型』。

『PUSH(押し売り)』ではなく、『PULL(受け接待)』なのだ。

ユーザーが自分で調べたい情報を検索するのだから。


ユニクロ、GAP、ZARA、H&M、フォーエバー21。

不況の時代に、『ファストファッション』が流行する背景には何があるだろうか。


それは、”どんなに不況でも”、”どんなに儚くても”、

人生を、自分の手で選択し、デコレーションし、有意義に過ごしたい、

そういう『選択の自由』が、ある気がしてならないのだ。



今後、そんな『選択の自由』を突き詰めた検索エンジン市場が、

重要になってくることは、間違いないはずだ。








2010.02.20 Saturday

脳=コックピット

評価:
池谷裕二
朝日出版社
¥ 1,785
(2009-05-08)

 
ロボットのコックピットは、操縦席である。

人間のコックピットは、脳である。

脳を知るということは、自分の人生の舵を握るということである。


脳を調べると面白いことがたくさんある。まずは、


・セレンディピティ


これは、『気づき』、『アイディア』のようなものである。


あるところに”ノリ”を研究する男がいた。男は実験で失敗し、

粘着力の悪いノリを作ってしまった。

男は頭を抱え、失敗作と言われたノリについて人に相談したり、悩んでいた。

ある日、男は教会へ行き、聖歌を歌おうとし、聖歌本を開いた。

すると、ひらりと落ちた、”しおり”を目の当たりにした。


ここで ” セレンディピティ ” は起きた。

彼の脳に、まるで電流が通るかのような衝撃が走り、彼は『気づいた』。

(この”しおり”に、あの粘着力の悪いノリを使えばいいんじゃないだろうか!)


そうして生まれた商品が、あの全世界ヒット商品『POST IT』だった。


最近よく見かけた、『フリスク』のCMで、『アイディアが浮かぶ場所〜○○何%』

というものがあったが、バス車内、お風呂、プール、空港、ステージの上、会議室と、

さまざまなシーンでの、『アイディアが浮かぶ%(パーセンテージ)』を面白おかしく

紹介していたが、実はあれをよく見ると、この『POST IT』を発明した彼と、共通点がある。

それは、『左脳から右脳への切り替え』ということである。


マクドナルドの社長原田氏も、この”ひらめき”を大事にしている。

彼曰く、

『休みもないと、ひらめきが出ないんですよ。

夜中にベランダで、タバコを吸っていて、夜景を見た一瞬だとか、
トイレで座っている時に不意にひらめく。

私、時々、風呂の中から「ちょっと、紙と鉛筆持って来てくれ!」
と妻を呼ぶこともありますからね(笑)。

「今から言うこと、メモ取って」
とメモを取ってもらいます。』


つい先日までマクドナルドは、『コーヒー無料サービス』キャンペーンを実施し、

見事客寄せ、結果的に収益アップに成功した。

彼はそのことについても、別紙でこう語っている。

『僕は、仕事を早く切り上げて、趣味のドラムをたたいていたりするんですよ。

いや、僕がね、そういうプライベートの時間を大切にしていなければ、

あのコーヒーの案は出てきませんでしたよ。』


そして、その『フリスク』のCMでも『お風呂』などリラックスしている場所が高い%を表し、

会議室などは、『0%』だと表示している。


『POST IT』の彼もきっと、会議室で友人と相談して頭を抱えていても、あの発明は

なかっただろう。

会議室の役員も同じで、会議室で頭を抱えた人たちと、一緒になって頭を抱えて、

『左脳』で答えを導き出そうとしても、いいアイディアは生まれないものだ。

原田氏とて同じ。


そう、ポイントは、『左脳から右脳への切り替え』なのだ。

ここで気をつけなければならないのは、『右脳だけ』ではいけないということ。

あくまでも、『左脳を使って論理的に悩んでいた過去』をベースにし、

『右脳でアイディアをひらめきだす』というルールが、正しいようだ。

『右脳』だけだと、現実離れした妄想的なアイディアで、机上の空論に終わることが多い。


俺も、寝ようとした瞬間にアイディアがひらめき、何度もデスクに戻りメモをすることがある。

良質な“セレンディピティ”を生むため、日々、考え、頭を使うことが重要だ。

そして、『ワークライフバランス』をしっかりとり、脳にメリハリをつけてあげるのだ。




・サブリミナル効果

・プラシーボ効果


この二つの効果は、実に脳の不思議を感じさせる現象だ。

サブリミナル効果とは、一度見て、脳に焼き付いてしまったものを人は、

無意識に選ぶ、あるいは好んでしまう、という現象である。

以前、CMの合間、ほんの0.0何秒という一瞬に、『商品の映像』を出現させ、

サブリミナル効果を狙い、その商品を買わせた、という問題が起きたことがある。


プラシーボ効果とは、『思い込み』により起きる現象で、『脳を騙す』ことによって起きる、

現象である。

以前友人が『洗剤』を、『消毒液』だと思い込んで傷口に使用し続けたら、

異常を起こすことなく、なんの問題もなく治っていった、という現象を体験した。

それから、医者がよく『大丈夫ですよ。』という言葉をかけるが、これも俺は、

プラシーボ効果を狙う治療法だと思っている。

医者が『大丈夫』と言えば、ほとんどの人は、(大丈夫なんだ。安心した。)と思うだろう。

そうすればプラシーボ効果が働き、脳がプラスに作用し、自然治癒能力が高まる。

『病は気から』というが、『病院にわざわざ足を運ぶほど心配な患者』を、

前向きな気持ちにさせることも、治療法の一つだと思うのだ。

脳は、騙せる。

例えば、『はい、コーラ』と言って、友人にコーヒーを飲ませてみればわかる。

コーラだと騙された友人の脳は、裏切られ、大変なショックを受けるだろう。

それも、プラシーボ効果なのである。

プラシーボ効果を利用すれば、人間を元気にすることも、悲しませることもできる。






・ブーバとキキ





ブーバとキキ。

どちらがブーバで、どちらがキキだろうか?


実に、98%の人が『左をキキ』、『右をブーバ』とするのだ。俺もそうだった。

脳は面白い。ほとんどの人が、物事を勝手に決め付けているのだ。

それももちろん、生きてきて、蓄積された情報に基づいての判断だろうが、

この実験から、
『ほとんどの人は、正解かどうか不明確なのに、それを正解だと思い込んでいる』

ということがわかるだろう。

人間の脳に、依存してはいけない。柔軟に、考えるのだ。

それは、社会現象にもなった『脳トレ』でもよくわかることだろう。





・テグメンタ


脳には、テグメンタという部位がある。それは、快楽物質である『ドーパミン』を

分泌する部位なのだ。

ドーパミンが体にもたらす作用と言ったら、プラスな働きしか聞かない。

恋をして感じるドーパミンや、ランナーズハイなどで感じられる脳内エンドルフィン。

筋肉と同じで、使っている脳を意識しながら生活することは、実はとても重要なのだ。

また、違う日に書こうと思う。




・オレキシン(別腹)



女性がよく言う、『甘いものは別腹』という概念。

実はあれは、実際に存在する概念なのである。

脳は、満腹の状態でも、『美味しそうなもの』を見ると、オレキシンという部位が働き、

『胃にスペースを作る』。これこそが、『別腹』の正体なのだ。

だから、別腹で入るのだ。だが、もちろん太らないということではないので、注意が必要だ。




・ゆらぎ


なぜタイガーウッズや、マイケルジョーダン、イチローといった名プレイヤーでも、

”ミスショット”が存在するのか。

彼らは、見えないところで、鬼のような努力をし、自分のコンディションを整え、

体調を知り尽くし、フォームを研究しているはずだ。


実は、『脳のゆらぎ』が一つの原因だという。

体調も万全、体力も十分、フォームもばっちり、自然環境も文句なし、

しかし、それだけの条件がそろっていても、『脳のゆらぎ』のせいで、リズムが狂う。


90年代、『癒し系』という言葉が流行った頃、同じく『f分の1ゆらぎ』という言葉が流行った。

『f分の1ゆらぎ』というのは、『α波』のことであり、人間がリラックスできる周波数のことだ。

α波の音楽を聴きながら眠りにつけば、良質な眠りを促せるという。

とにかく、脳には『ゆらぎ』があるのだ。


イチローは試合の日、朝起きてバッターボックスに入るまでの自分のペース、リズムが、

完全に決まっているという。

例えば、奥さんのカレーを食べてから家を出るのが習慣だが、ある日イチローは、

『ご飯の量が少し多い!』と、奥さんを怒鳴り散らしたという。


彼が『脳のゆらぎ』を意識しているかはわからないが、無意識にでも一流の人間は、

自分を万全にする方法を、心得ているのかもしれない。




・痛みの応用


鳥に、なぜ羽があるのか?

『飛ぶために決まっている』と答える人が多いかもしれないが、実は違う。

実は、『体を温めるため』に、あの羽がついているのだ。

そして鳥は、それを『応用』し、空を飛ぶようになったと言われている。


生物は、そのように応用を繰り返し、少しづつ進化を遂げてきたのである。

これから地球の形態が変わり、時間がたてば、また大きく生物の形態は変わるだろう。


人間は、なぜ『人の気持ち』が理解できるようになったのか?

テレパシーは使えない。表面上に飛び交う言動は、ウソが混じっているかもしれない。

答えは、『痛みの応用』である。

人間は最初、自分と同じく痛い思いをしている他人を見て、(痛そうだな・・)と感じたという。

そしてその気持ちを応用していき、他人の気持ちを理解できるようになったのだ。


『寒さに凍えた人ほど、太陽の温かさを感じる。

人生の悩みをくぐった人ほど、生命の尊さを知る。』

              by ホイットマン


人の気持ちを理解するには、まずは自分のことを理解していないといけない。

人の気持ちがわからないと言う前に、まず自分の心に目を向けて、理解することが大事だ。


自分の心や、脳を理解するということは、自分の人生の舵を握るということである。



2010.02.19 Friday

規範意識



 規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。


 しかし、規範、道徳、法律は、類似するものであるものの、必ずしも一致するもの

 とは限らない。通常、法律の遵守は規範であると考えられるが、いかなる場合で

 あっても法律を守ることが規範意識であるのかというと、違和感を覚える人もいる

 であろう(例えば、交通量の極めて少ない場所での信号無視や、保護者同伴の席

 での未成年者の飲酒、駐禁場所でのやむをえない一時駐車など)。

 また、結婚し家庭を築くことは社会の規範であるという意識の者もいる一方、

 結婚や子供を持つこと は価値観の違いの範疇に属するものであると考える者もいる。

 
 ━Wikipedia抜粋。

 
 簡単なものから。

 ゴミのポイ捨てはいけない、というが、

 人間が、周りに誰もいないとき、ゴミが落ちていたら拾うのか?
 
 人間が、ゴミのポイ捨てについて許せないというが、誰もいなくてもそうなのか?

 それとも、『誰かに言いたい』のか?『誰かにそれを言って、自己満足したい』のか?

 それとも、『誰もいなくても、地球を大事にするつもりだから』なのか?

 ゴミのポイ捨てが、なににつながっているか、知っているのか?

 では、地球を汚す『燃料』も一切使用していないというのか?

 家や、車や洋服や食事からの生ごみは、地球から見てゴミのポイ捨てではないのか?


 なんで、『ゴミ』なのか?

 それは、あなたが『たまたま貧しくて、粗末にするなと育てられた』からなのか?

 それとも、『たまたま裕福な家庭に生まれ、あるいは環境になり、余裕がある』のか?

 
 ハイチの被災地で、同じことが言えるのか?

 
 それとも、『混沌』としていたら、”話は変わる”のか?

 『秩序』が保たれているから、そんな悠長なことを言っているのか?

 あるいは、『秩序』を崩さないようにという、崇高な意識からなのか?

 そこまで、他人のこと、後世のこと、地球のことを考えているのか?

 それとも、『秩序が乱れたら、自分の生活が脅威に立たされる』からなのか?

 ゴミは、”物”なのか?それとも、“人間”なのか?

 
 
 ゴミのポイ捨ては、ダメだ。


 しかし、あなたの『規範意識』の根源は、なんだろうか。


 
 キング牧師が暗殺された1968年、ある町に一人の黒人がいた。

 彼が生まれたところはニューヨーク市、ハーレム。

 当時のハーレムは、混沌としていた。

 彼は、幼い頃から、家族が警察にショットガンを口に突っ込まれるのを

目の当たりにしてきた。

彼は、『そういう環境』に生まれ、生きていかなければならなかった。

 
 彼のやったことは法律では決して許されることではない。その生活から這い上がる

 為、家族を守るために多くの人間を犠牲にし、罪を犯した。

 ではそもそも、『法律』とはなにか?
 
 人間を守るためにあるんじゃないのか?

 その『法律』が未熟だから、そういう家庭が生まれるんじゃないのか?

 偶然その家庭に生まれた彼に、なんの罪があるのと言うのか?

 
 彼は“罪人”だが、彼の中には“規範意識”がある。

 朝は犬の散歩をし、喫茶店で新聞を読み、町の悪党から秩序を守る。

 彼がいなければ、その町がもっと混沌としたことは、事実だ。

 彼は家族を大事にし、毎日祈る。自分に憧れる家族には、本気でしかりつける。

 
 彼は、”悪党"なのか? それとも、”法律”が、”法律を決めた人間”が、未熟なのか? 

 
 あなたが『そういう環境』に生まれたら、どう生きるか?

 
 そこでも、ゴミのポイ捨ての話を始めるか?

 
 『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。』

                  by シェイククスピア


 ━参考映画 『アメリカンギャングスター』


 
 ここからは、フィクションの映画を通して考えたい。

 
 ある、『村』があった。

 その村は、50人未満の小さな村。老若男女、みんな家族のように仲がいい。

 しかし、その村には問題がある。

 実はその村の子供は、その村が『世の中』だと思っているのだ。

 つまり、村から一歩も外へ出たことがない。いや、出ることを許されていないのだ。

 それも、ずいぶんと長い間。


 深い森の中に佇むその村を出ようとすると、『森にすむ怪物に襲われる』という逸話

 を作り上げ、親は、子供を村に閉じ込めている。

 子供たちはすっかり信じ込んで、村から出ようとしない。

 
 なぜこんなことをするのか?

 実は、この大人たちには、それをする共通の『理由』があった。

 
 ある人間は、家族を理不尽に強姦、殺害され、その遺体はゴミ箱から発見された。

 またある人間も家族を殺され、またある人間も最悪の形で家族を失った。

 
 その村は、世の中の混沌に心を壊され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の

 病を抱えた大人たちが作った、禁断の村(ヴィレッジ)だったのだ。


 そんなことが許されるか?

 それとも、その大人たちを、責められるか?

 その大人たちがとった行動は、『異常』だ。だが彼らは、子供を守りたかったのだ。
 
 
 あなたが『そういう環境』になったら、どう生きていくか?


 ━参考映画 『ヴィレッジ』


 

 あるところに、私立探偵がいた。

 ある日、下層階級が住む小さな町で、少女誘拐事件が起きる。

 4歳の少女が、自宅から忽然と姿を消したというのだ。

 『娘を助けて』と悲痛な姿をテレビカメラにさらし、

世間の関心を一身に集める母親。

 とても難しい捜査だったが、それでも人間として、少女への思いが強い探偵。

 しかし、紐解けば、少女の母親は、酒とドラッグにおぼれた自堕落な暮らしぶり。

 誘拐前は、彼女の育児放棄が、問題視されていたのだ。

 
 やがて探偵は少女の母親が、

ドラッグの売人から金を盗んでいたことを突き止めた。


 探偵『この代償に、娘を誘拐されていたのか!?』

 母親『・・じゃあ、どうしたらよかったのさ!』

 母親は、開き直った。

 
 醜くて、卑しくて、どうしようもない現実に、探偵は葛藤する。

 そして事態は、意外な展開へ。

 
 実は、少女の母親の育児放棄ぶりを見るに見かねたある老夫婦が、

 その少女をとある山奥の家に連れ去り、育てていたのだ。


 彼らは、過去に、子供を亡くしていた。

 それを突き止めた探偵。

 少女の未来を考え、見逃すように説得する老夫婦。

 確かにその老夫婦は、少女を心から、愛するようだった。
 

 葛藤したが、それでも探偵は、『法律』を守った。


 そして無事(?)に少女は母親の元へ、帰された。

 
 ある日探偵が、母親の家を尋ねた。

 しかしそこには、元通り、自堕落な生活を送る母親がいた。

 彼女は、今回の件で有名になり、毎日”忙しい”ようだった。
 
 母親『あら、あんたいたの?ってかさ、あたしちょっと出かけるから、その子

 見ててくんない?

・・あら?

あなたもよく見れば、いい男じゃない。今度、遊びましょうよ。』


 ・・・無心でテレビを見る少女と部屋に残され、これでよかったのか、と悩む探偵。

 
 あなたが『そういう環境』だったら、どう判断しただろうか?


 
 ━参考映画 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』


 


 キャッチコピー『あなたは、ジョディ・フォスターを許せるか?』 

 ジョディフォスターはこの映画の感想で、こう言っている。

 「彼女(演じた役)がなぜこういう行動に走るかひとことで説明できない。

 友人にも家族にもなかなか説明できない。でも、こういった役を演じるということは、

 人生を変えるぐらいのインパクトをもたらすのです」



 あるところに、真剣に愛を育み、今にも一生を共にしようと誓おうとしていた

 カップルがいた。

 しかし、あるデートの途中、公園で理不尽な暴漢に襲われ、自分は大けがを負い、
 
 恋人は、殺されてしまった。

 幸せの絶頂の中、そんな理不尽な目に合い、彼女は精神的に深い傷を負った。

 
 彼女はしばらくの間ろくに仕事もできず、悩み、苦しみ、葛藤した。

 しかしある日、その暴漢が何にも反省せず、のうのうと遊び倒していることを知った。

 弱い女性が決死の思いで駆け込んでも、事務的な対応をする警察。

 一体この世の何が正しくて、何が間違っているのか。

 
 なんとか親身になってくれる刑事がいたが、彼女の気持ちは、そのときすでに、

 犯人への復讐の思いしかなかった。

 ”なに”が、彼女をそうさせたのか?

 
 刑事は、断固として正義を貫いてきた、筋金入りの法律者だった。

 彼女の気持ちに気付いたが、彼が考えを変える気はなかった。

 彼にもまた、自分がそこまで生きてきた、信念があった。

 
 彼女の最後の報復現場に駆けつけた刑事は、恋人を殺した犯人に

 銃を向ける彼女を止めた。 


 彼女は泣き叫び、言った。
 
 『止めないで!!』

 しかし刑事は、その究極の場面で、こう言った。

 
 『やめろ!……撃つなら、この銃を使え。』

 
 そう言って刑事は、さっき取り上げた仲間のギャングの銃を彼女に渡し、

 彼女が今まで犯した報復を、すべてこのギャングの仲間割れのせいにし、

 堅く誓って信条にしてきた自分の『正義』を曲げ、彼女の『正義』を守り、

 現場から立ち去る彼女を見逃した。

 
 そこには、『法律』という常識を飛び越えた、確かな『規範意識』があった。


 
 あなたが『そういう環境』だったら、どう生き、どう判断するだろうか?



 ━参考映画 『ブレイブ・ワン』


 
 規範意識とは、こういうことを考えるということである。

 なにも、法律を守るな、と言うわけではない。

 法律とは、秩序を守るため過去の人間たちが試行錯誤の末考えた、

立派な英知だ。

 基本的に法律は、守らなければならない。

 法律がなければ、世の中は、もっともっと荒れ果て、混沌としてしまうだろう。

 
 だが、忘れてはいけない。

 『お金』よりも、『法律』よりも先に、『人間』が生まれていたということを。


 法律を作った『人間』とは、恒久的に、未熟なのだ。






2010.02.18 Thursday

試行錯誤でダイエット



 俺はこういう性格だから、何をするにも必ず自分で行動し、砕けるか、

 失敗してから自分を見つめ直すので、素直な人よりも道を遠回りすることがある。

 しかし、それが俺の”最短”なのだ。


 ダイエットにおいてもそうだった。


 今でこそ体脂肪を一ケタにするくらい朝飯前になったが、

 20歳の頃は、”脂肪肝”手前で病院に通ったほどだ。

 そりゃあ、毎日好きなものを食べたい放題食べていたら、

 豚も驚く速度で太っていくにきまっっている。


 ある日アルマーニの試着室で、タイトなジーンズをねじ込もうと

 していたとき、ふと鏡に映った自分を見て思った。


 『・・ダセエ。


 本当に格好いいお洒落とは、Tシャツにジーンズだけでも似合う、

 引き締まったスタイルなのだ。

 欧米の会社では、太った人間は『仕事ができない』というレッテルを

 貼られてしまうらしい。

 『自分の体の管理もできない奴に、仕事ができるわけがない』

 と思われてしまうのだ。

 

 俺は人の意見を聞けないから、何をするにも独学だ。


 ダイエットにおいても、遠回りはしたが、今の知識は、失敗を

 重ねてきたからこそ培われてきた、信頼できるものだ。


 俺の知識は『○○ダイエット』などという、女、子供だましで三日坊主の

 情報じゃない。

 突き詰めている。

 『運動』『高タンパク』『低脂肪』『低カロリー』はもちろんのこと、

 まずは、自分の体を知ることから始めるのだ。

 

 脂肪を燃やすのは、『ミトコンドリア』。

 ミトコンドリアに脂肪を運ぶのは、『カルニチン』。

 カルニチンが脂肪を運びやすくするために脂肪を分解するのが、

 『ホルモン感受性リパーゼ』。

 ホルモン感受性リパーゼを活性化させるのは、『アドレナリン』

 『ノルアドレナリン』。

 アドレナリンを出すためには、『運動』、あるいは、

 『カプサイシン』を摂ること。

 また、ホルモン感受性リパーゼを活性化させるもう一つの手段

 として、『共益リノール酸』を摂ること。

 共益リノール酸は、食事から摂った栄養を、脂肪に変えて蓄えよう

 とする『リポタンパクリパーゼ』の働きを抑え、逆に、筋肉に

 その栄養素が届くように手助けをする。

 さらに、リポタンパクリパーゼの働きを抑えるには、『りんごポリフェノール』も

 有効だ。


 また、運動だが、息が『ぜえぜえ』いってしまうのは、『ランニング』。

 息が『はあはあ』程度なのが、『ジョギング』。


 脂肪燃焼を促すのなら、『ジョギング』が適している。


 俺は『極端』な性格であり、『偏食』なので、『ハマって』いた。

 これらの酵素、ホルモンが正常に働ける手助けを、栄養でまかなえて

 いなかったのだ。


 例えば、一時は食事を『そば』や、『野菜』だけにしたことがあるが、

 そんな生活を、軽く一年以上づつは続けていた。

 『そば』、『野菜』には、『カルニチン』が含まれていない。


 また、『筋トレ』や『ボクシング』、『ロードワーク』に力を入れすぎ、

 十分な『有酸素運動』が出来ていなかった。


 座り仕事が多いせいで姿勢が悪くなり、『アドレナリン』の伝達が鈍り、

 お腹周りに脂肪がたぷついてしまっていた。


 これらのことを分析し、独学し、自分なりのダイエットを突き詰めた。

 

 今の食事のモデルは、簡単にいえば、アスリートが摂るような食生活。

 体重の3倍以上のたんぱく質を摂り、脂質を極力抑えるため、ささみや、

 卵の白身を主なたんぱく源にする。

 野菜(ミネラル)と、サプリメント(ビタミン)で栄養を補助する。

 月に一度のペースで風邪をひいていた時期もあるくらい偏食だったが、
 
 今はそのおかげで自分の体を知り、

 体の中からウイルスを退治し、免疫力を上げる『ビタミンC』、

 体の中にウイルスが入らないように粘膜をガードする『ビタミンA』の摂取で、

 自分の体をWガードしていて、年に一度風邪をひくかひかないかまで、

 丈夫な体になった。

 
 運動で溜まった“活性酸素”は、体を”酸化”させ、あちこちに傷をつけるため、

 “活性酸素”を除去するための抗酸化成分である『ビタミンE』、あるいは、

 『コエンザイムQ10』を摂取したり、一時は『酸素カプセル』に通っていたが、

 今は抗酸化成分がコエンザイムの1000倍以上もある『アスタキサンチン』を

 摂取している。

 わかりやすく言えば、『寿司』は、『へいおまち!』と出されてから、口に入れる時間が、

 早ければ早いほど美味い。なぜなら魚は、酸素に触れると、”酸化”してしまうのだ。

 皿に盛りつけられた時から、”酸化”が始まっているのだ。

 ”酸化”した寿司がどうなるか、大体想像できるはずだ。

 体の”酸化”を防ぐために、抗酸化物質を摂取したり、入念なストレッチ、入浴、

 マッサージなどをして、体を日々ケアしなければ、週6で酷使する体を健常に維持

 することはできないのだ。
 


 高タンパク、低脂質の食事で筋肉を育てながら、体を絞りたいときは、

 『ご飯』を、半分に減らせばいいのだ。

 ここは、『低炭水化物ダイエット』に当てはまる。


 ご飯は、低価格で手っ取り早くお腹を満たせるため、多くの日本人から

 愛されているが、実は太りやすいのだ。


 『ご飯はエネルギーの源』とよく言い、確かにご飯を食べたら力が

 あふれてくる気がする。


 たしかに、ご飯は『糖質』。エネルギーの源なのだ。

 だから、その源を減らしてしまえば、体は、『エネルギー源』を探し、

 体内に溜めていた『脂質』、あるいは、体の筋肉を分解し、

 エネルギーを作ろうとする。

 その時に、体中にたっぷりとたんぱく質を用意しておけば、筋肉の分解を

 防ぎ、たんぱく質をエネルギー源としてくれるため、筋肉を維持したまま、

 脂肪だけをそぎ落とすことが可能になるのだ。

 
 脂肪が落ちるのは、『月に2〜3キロほど』だと決まっている。

 それ以上落ちたのであれば、それは『脂肪』ではなく、『筋肉』が落ちている。

 俺は極端な性格だから、一時は食事を『春雨』や、『豆腐』だけにして、

 一週間もたたないうちに体重を『7キロ』落としたことがあるが、直後ジムに行き、

 一週間前と同じウエイトを持ちあげようとしても、力が入らず、できなかった。

 まさに、筋肉が落ちていたのだ。


 筋肉が落ちてしまうと、食事で摂った栄養を効率よくエネルギーに変えることができない。

 ”基礎代謝”が落ちてしまい、筋肉が落ちる前の普通の食事を摂っていても、

 みるみるうちに太ってしまう。

 急なダイエットは何の自慢にもならないし、すぐに“リバウンド”する、刹那的なものに

 すぎないのだ。

 人間が太りやすいのは、『飢餓本能』があるからだ。

 そもそも人間は、まともに食事ができず、飢えている時代があった。

 そのため、いつ飢餓が訪れても生きていけるように、体に『脂肪』として

 栄養を蓄えておこうという本能が、それだ。


 ダイエットとは、その『本能』に『喧嘩を売る』ということなのだ。


 生半可な気持ちでやっても、無駄に終わるだろう。本能には勝てない。

 大事なのは、続けることだ。

 時間をかけ、その食生活、生活に体を慣らし、さも最初からそういう生活、

 体質でしたと体を騙す、納得させる、『体質改善』をするということが、

 俺が導き出した、ダイエットの王道だ。

 自分に合った、『長く続けられそうな』無理のないダイエットを見つけることが、

 ダイエットの一番のコツだろう。


 ダイエットができれば、お金の管理もできると言われている。

 同じ、『欲望』との闘いだからだ。

  
  誰もが一度は、楽をしてお金を稼いだり、ダイエットしたいと思う。 

 しかし、楽をして稼いだお金はあぶく銭に消え、楽をして近道をしようとした

 ダイエットは、リバウンドを生む。


 『一生懸命努力する』というプロセスとセットになっているからこそ、

 『成功』だと言えるのだ。


 ダイエットから、『セルフコントロール』の力を身につけるのだ。


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