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『悔いのない人生を。』ランキング

特別 エース『力に屈したら…

1位 天才の仕組み

2位 ジンベエ『失った物ばかり数えるな!!!…

3位 ウソップ『この一件をウソにする!!!!…

4位 ゾロ『このおれの命一つで!!…

5位 トム『造った船に!!!…




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2010.03.27 Saturday

人生の使い方

 
人生の使い方


1位  海外旅行

2位  国内旅行

3位  ゴルフ

4位  高級レストラン・料亭での食事

5位  温泉めぐり

6位  読書

7位  クルーズ旅行

8位  資産管理・防衛

9位  映画

10位 ファッション

11位 海外ロングステイ

12位 自動車


このランキングは世界のセレブのお金と時間の使い道順位。

質の高いオフを過ごそうとする意識が見えてくる。


俺の小学生のころは、放課後何をして遊ぶかしか考えていなかった。

鬼ごっこに一輪車。砂場に鉄棒、登り棒。

物心がつき、日曜学校に通うことに疑問を覚え、親に不満を覚え始めた。

現実逃避するかのように、アニメやゲームに夢中になった。


中学生の前半、スポーツに夢中になり、バスケ部中心の生活をしていた。

中学生の後半、そのバスケという唯一の目的もなくなり、学校をさぼり、

不良行為に走ることであらゆる束縛、プレッシャーから解放されようとしていた。


中学を卒業し、ありとあらゆる非行に走った。

やることはそれくらいしかなかった。他に、興味がわかなかった。

魂が、燃えなかった。


17歳から18歳の一年間、永遠に忘れることのないパラダイムシフトがあった。

剣道を通して武道の奥深さを知り、バレーボールを通し、再びスポーツの感動を

覚え、『犠牲心』の精神、そして、真の対人関係の在り方を知った。

”真の男”の生き方を学んだ。


18歳から19歳、弁護士を目指した理由は、恩師に薦められたこともあったが、

ただ自分にとって一番困難だからだった。

勉強という一番嫌いなジャンルの、最も困難な道を選んだ。

しかし、ある一件により、お金と人生とは、切っても切り離せない存在だと

気づかされた。


19歳から20歳、しかしそのお金に支配され、あらゆる欲望に浸っていた。

ファストフードにコーラに焼き肉、ブランド、時計に、高級家具。

飲み屋で飲んで、吐いて、歌って、クラブで踊って、喧嘩して。

何度も危険な目にあったし、体も健康とは言えなかった。


21歳から22歳、お金や欲望に支配された、ツケが回ってきた。

そして、身を持って知った。

お金の持つ、強大な力を。


ジョギング、ボクシング、トレーニングを始め、本格的に健康の管理をし、

17歳以来、再び本を読み始めるようになった。

22歳から23歳、難しくも可能性のある仕事に、燃えるものを覚え始めた。

やはり、楽をして、自堕落な生活をすることは、

厳しい環境の中に芽生える感動の、足元にも及ばないことを認識し始めた。

規則正しい生活を送ることで、チャレンジャブルで、前向きな考え方に戻り、

不完全燃焼感がある人生を、完全燃焼できる場所を日々追求していた。


『楽』と、『楽しい』は、天と地ほど違うということを知った。


23歳、すべてを“代償”にする覚悟をしたら、企業できた。

『代償の法則』を知ったのだ。


周りに目を向けた時、時間間隔がずれていることに気づき、分散されていた

エネルギーをコントロールし、全エネルギーを会社だけに注ぐようになった。

俺は“いつまでも同じことを繰り返し、時間を無駄にする”、“足踏みする”ことは、

人生で最もやってはいけない『後悔』につながるという感情を、強く抱いて

生きているため、自然とそうなったのだ。


それから3年の間、10年来慣れ合ってきた友人たちと、とうとう距離を置き、

社員と毎日、真正面から全身全霊でぶつかってきた。これも必然だった。

会社では毎日のように檄が飛んだ。怒った。怒鳴った。殴った。

だが、笑った、遊んだ、映画を観た。

おいしい食事をし、風呂で疲れを癒し、旅行に行った。

罪を溜めた者はその罪を清算し、過去に縛られた者は前を向いて生きるように

それぞれ人生を、一歩前へと踏み始めた。


毎日本を読み、運動をし、仕事をし、勉強をし、ゲームをし、旅に出て。

暇な時間は、本当に一時間もない。

仕事は支点次第では、半永久的にあるし、読むべき本も、山のようにある。

とにかく、悔いのないように生きなければいけないと、強く思えば思うほど、

自然と忙しくなるのだ。


26歳。


まだまだ旅の途中だ。

冒頭に書いたランキングを見ると、どうやらお金、時間の使い方は大きくずれては

いないようだ。


どうすれば悔いが残らないか。

どう行動し、どう時間を使い、どう生きれば後悔しないか。


人生の使い方。

まだまだ未熟だ。

これから、もっともっと考えて、行動して、失敗して、

感じて、糧にして、人生を、楽しもう。


“やりたいこと”をやることは、誰にでもできる。

“やるべきこと”をやるのだ。


俺は一言も、『遊ぶな』とは言っていない。


自分の人生を充実させる、自己実現を果たすために

“やるべきこと”を、やるだけなのだ。


2010.03.26 Friday

知行合一

 
知行合一(ちこうどういつ)


中国の王陽明(おうようめい)が唱えた学説。朱熹(しゅき)の先知後行説に対して、

知識や認識は必ず実行を予想しているものであり、

知って行わないのは真に知っているのではないとし、

知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体をなすと説く。



本は、読んだだけでは意味がない。

話は、聞いただけでは意味がない。


成功者の本を読み、それをそれとしてまたいつもの凡人の生活に戻っては、

意味がない。


話を聞いている最中に調子よくうなづいても、その聞いた話を実行しなければ、

意味がない。


そもそも、『本を読んだ』という概念は、どういう状態をいうのか。


本は、”知識”にすぎない。

そして、”知識”とは、研ぎ澄まされた“見識”があり、“胆識”となるための、

初歩段階にすぎない。


『知っているだけ』が”知識”、『それが正しいか、必要かを見極める』のが”見識”、

そして、『知識、見識に基づいて行動する力』が、“胆識”である。


『本を読んだ』ということは、『その本に書いてある通りに実行してみた』という

状態である。


知識だけを詰め込むのも決して無駄ではないが、頭でっかち、評論家にならない

ように、実践をするべきである。

行動をして初めて、その知識が自分のものになる。

それが、『知行同一』である。



では、『話を聞いた』という概念は、どういうった状態だろうか。

ある二人の男に、上司が指示をする。なんでもいい。『掃除をしろ』だとする。


一人の男は、いつものように調子よくうなづいて見せる。まるで、『私は話を

聞いてます』と、アピールするかのように。

もう一人の男は、上司をじっと見るだけで、大げさなあいづちを打たない。

明らかに表面だけ見たら、話を聞いているのは、前者である。


しかし翌朝上司が来てみると、前者は掃除を忘れ、『あ!すいませんでした!

今からやります!』と、相変わらずの調子で言ってみせる。

しかし後者は、相変わらず感情表現は前者より無いが、しっかりと掃除をしていた。


さて、『話を聞いていた』のは、どちらになるだろうか?


答えは、後者である。


つまり、『知行同一』というものは、

『知っているだけ』、『読んだだけ』、『聞いただけ』

ではだめだということなのである。


その表面的に浅い状態だけでは、真に知っている とはならないのだ。

知識とは、行動し、自分のものにしてからはじめて、知識となる。

そういう考え方に、俺は強く賛同したいと思う。


そのためには、本を読み、話を聞き、”知識”を詰め込むこともさることながら、

物事を見極める”見識”を鍛え上げ、“胆識”につなげることが必要だ。



ある脳科学者によると、『頭がいい人の定義』とは、『脳を上手く使いこなす人』。

つまり、”知識”を使いこなす人のことをいう。

正確にインプットしてあった情報を、的確なタイミングで引き出せる行為(アウト

プット)ができる人のことをいう。



王陽明(おうようめい)は中国の明代の儒学者、思想家。

学問のみによって理に到達することはできないとして、仕事や日常生活の中での

実践を通して心に理をもとめる実践儒学陽明学を起こした。


500年も前に王陽明が唱えた、

知行同一。

この言葉の意味を真剣に考えることができれば、

その人生が大きく変わると言っても過言ではないだろう。


もちろん、考えるだけで、自分のものにしなければそれは、意味がない。



知行合一

2010.03.25 Thursday

自然淘汰〜雑誌からネットへ〜

 
自然淘汰〜雑誌からネットへ〜


自然淘汰

時の経過とともに、優良なものが生き残り、劣悪なものがひとりでに滅びていくこと。



講談社は24日、隔週情報誌「TOKYO1週間」と「KANSAI1週間」を、

6月8日発売号で休刊すると明らかにした。

両誌は首都圏と関西圏の主に若者向けエンターテインメント情報誌として

97年11月、99年3月にそれぞれ創刊した。

最大発行部数は創刊当初の33万部と35万部。

同社広報室によると、インターネットなどメディア環境の激変や読者のライフ

スタイルの変化に伴い、最近は共に約8万部まで落ち込んでいた。



アダルト・風俗雑誌がコンビニから姿を消す日も、近いと言われている。

TOKYO一週間には、長い間お世話になった。

しかし、時代の自然淘汰に逆らうことはできないのだ。


図面や書類等の紙情報は20数年前に劇的に減少するといわれていた。

この当時の電子データ化は特殊な装置を使用し、そのものが無ければ閲覧

できないシステムになっていた。

このシステムは最近まで残っており、この光システムが弊害となり、電子化を

進める上で妨げになっていた。

実際何度かこんなものを作成しても何にもならないと言われていた。

紙情報は日本経済の発展に伴い、実質増加した。

しかし近年PCの普及が末端まで普及したため、紙情報は一定の水準を維持

しているようだ。


しかし今後減少していくのは必須ではないだろうか。

現実に全国の役所における完成図書の提出部数は減少しており、今後電子

データのみの提出になると予想されている。



時代に逆らうことはできない。

古いものは捨て去られ、新しく生まれ変わる。

そういう自然淘汰が繰り返されて、歴史が作られてきたのだ。


いくらたばこの業者が大手であり、たばこの値上げで業界がダメージを

くらっても、たばこが有害なものである以上、

いずれは世の中から淘汰されていくはずだ。

原則から考えると、そうなるのである。

そして、次世代の人間が歴史を学ぶときに、

『なぜわざわざ体に悪いものを吸っていたのか?』

と疑問を抱かれることだろう。



ファミコン世代から考えても、3D映画『アバター』には驚かされる。

最近任天堂が3Dのゲーム機を発表したが、いずれ、かつて映画のなにげない

ワンシーンにあった、映像のホログラフ化も当たり前になるだろう。

映像のホログラフ化が可能になれば、いちいち眼鏡を着けなくても立体映像を

楽しめるから、その時代が当たり前になれば、眼鏡を懸けて3Dを作り出すこの

時代も、いずれは『懐かしの時代』に変わっていくだろう。


テレビは白黒からカラーテレビへ。

ブラウン管からハイビジョンに進化し、

アナログからデジタルへ。

そしてテレビの画面サイズが、自由に調節できる日も、近いのだ。


次世代の小学校では、教科書の電子化が当然になる日も近い。


時代の流れには逆らえない。

いくら、『未来永劫、ブルーレイはやらない』と東芝の社長が宣言しても、

お客に『東芝さん、ブルーレイ出してください』と懇願されれば、出すしかない。

消費者のために、企業が存在するのだから。


その東芝がリードするように、電球は、LEDへ。


ビルゲイツと東芝が組んで、次世代原発を開発しているようだ。


温暖化が進めば、世界は燃料を考え直さなければいけなくなる。

石油やガソリンや電気、世界中でサミットを開き、考える。

そして、あらゆる新しい発想、パラダイムの転換が行われていく。


だからこそ、自然淘汰が行われていくのだ。


インターネットの世界は、まだまだこれから飛躍していくだろう。

今のうちから時代を先読み、次の世代の土台、知識、資産を作り上げることは、

賢明だと言えるだろう。



2010.03.24 Wednesday

人は同情をほしがる

評価:
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社
¥ 1,575
(1999-10-31)

 
人は同情をほしがる


アーサーゲイツ博士の有名な著書、『教育心理学』にこうある。

『人間は一般に、同情をほしがる。

子供は傷口を見せたがる。

ときには同情を求めたいばかりに、自分から傷をつけることさえある。

おとなも同様だ。

傷口を見せ、災難や病気の話をする。

ことに手術を受けたときの話などは、事細かに話したがる。

不幸な自分に対して自己憐憫を感じたい気持ちは、低度の差こそあれ、

だれにでもあるのだ。』


読んでいて、17歳の時を思い出した。

院で、俺は剣道強化生という、狭き門の練習生だった。

だが、話通り練習はきつくて、まったくの剣道素人の俺は、

足の皮がずるむけ、流血したことなどなく、それを先生に見せた。


『先生、こんなになってしまいました。見てください。』


その先生は、優しく包み込むような先生だったので、

優しい言葉をかけてほしいとでも思って言ったのだろう。

しかしその恩師は言ったのだ。


『なに甘えたこと言ってんだよ。男だろ?』


普段優しい先生なのに、驚いた。

恥を知り、プライドが傷つけられた。

しかしたしかに、恩師の言うとおりだった。

俺は、”男”だ。


たったの一言ずつの会話だった。

だが、その一件で固く誓った。

俺の体がどうなろうと、絶対この練習をこなしてみせる。

誰に何の文句も言わずに。

女みたいに、ピーピー騒がず、やり貫いて見せる。


俺は、何度も同じことを言われて黙っていられるほど、大らかじゃない。

もう、二度とこんな恥は味わいたくないから、一度言われたら改めるのだ。

俺はそれが、本当にプライドが高い奴の取る行動だと思っている。


そうして俺は、練習を貫くことができたのだ。

鬼のような特訓期間が終わった。

そして恩師ははじめて、皆の前でこう言ってくれたのだ。


『一瀬は”男”なんだよ。一瀬は、練習でつらいはずなのに、

体が悲鳴を上げていたはずなのに、何も言わずに、

頑張って練習をこなしたんだ。

みんなの中には生活が辛い辛いと、すぐ弱音を吐く人もいるだろう。

みんな、一瀬を見習ってくれ。

そういう時は、もっと辛い思いをしているのに、一言も愚痴を言わない人がいる

ということを、忘れないでくれ。』


そこには、感動があった。

そこには、『言葉をかけてもらう』という今までの手段以外の、

同情、慰め、『愛情』があった。

黙って俺のことを、数か月見守ってくれていたのだ。


俺は、同情してほしかった。

愛情がほしかった。

すごく辛いことをこなしているんだということをアピールする、

見栄もあっただろうし、自惚れもあった。


だが、その行為があまりに無責任で、子供っぽくて、女々しいことを学んだ。

俺が弱音を吐くことで、テストに落ちた他の寮生がどう思うか、

そんなことも考慮しなければならなかった。


由緒正しい伝統の強化生として、凛としていなければならなかった。

俺に厳しくしかりつけたのは、本当につらい剣道強化の練習を、

逃げることなくこなしてもらうためでもあった。

足の皮がずるむけたくらいでガタガタ言ってるようでは、

とても練習をこなしていけない、と檄を飛ばしてくれたのだろう。



とにかく、こんなに我の強く、プライドの高い俺にでも、

同情を求める』ということはある。


リストカット等の自傷行為に走る人たちは、

きっと誰かにかまってもらいたい、本当の自分を知ってもらいたい、

そういう一心で行為に至るのだろう。

みんな、誰かに『理解ってもらいたい』と思っている。

つまり、『同情を求める』ものだ。


俺も、そうだ。

感情の部分で話をすれば、

さびしい

からだ。


だが俺は、それから”困難”に立ち向かい、数々の試練をと闘ってきた。

俺は、感情に打ち勝つことができる。

たとえさびしくても、俺は自分を貫いてみせる。

その強い気持ちこそが、道を切り開くんだ。


同情を求めて、表面的で、本当は自分とは違う考え方の人たちとばかり、

話していてはいけない。

たしかにそっちの方が楽だし、満たされるものもあるかもしれない。

しかし、それは結局、『寂しさ』を紛らわすためだけの手段でしかない。


『寂しいから結婚する』ようなものだ。


そんな結婚が8割以上かもしれない。

そんな考え方の人たちが8割以上かもしれない。

8割を占めているなら、それが人間なのかもしれない。


だが俺は、8割で生きるつもりはない。

俺の人生は、波乱万丈だからだ。


だからこれからも、『判断を誤らず』、向上への道を、一歩一歩、間違えずに

歩んでいくつもりだ。


男を貫いたり、偉そうにしたり、人の上に立ったり、強く生きようと誓う人間は、

同情など求めては、いけないのだ。


だが、なかなかどうして、すぐに理解されないことは、悪くない。

自分が間違っていなければ、すぐに理解されなくても、必ずいつか報われる

ときがくる。

それに、その時の感動は、間が空いた分だけぎっしり詰まっているのだ。


そう思えるのは、誤解されることを恐れず、強い愛情を持って教えてくれた、

恩師のおかげなのだ。

恩師と呼べる人に出会えたことは、俺の人生にとって、大きな財産だ。


もし恩を返せるとすれば、それは俺が一生恩師の教えを忘れずに、貫き、

学び続け、最善は、それを人に教えていくことだ。


また再び恩師に会うことはないかもしれない。

だが俺は心の中で、恩師たちを永遠に、人生の恩師として敬い続けるだろう。

2010.03.23 Tuesday

自己の重要感〜交渉〜

評価:
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社
¥ 1,575
(1999-10-31)

評価:
R. フィッシャー,D. シャピロ
講談社
¥ 1,995
(2006-06-27)

 
自己の重要感〜交渉〜


あるとき社員が、ある事業において共同でやっている会社と今後の事業の

話をしにいってきた。

すると社員は、

『話し合いの結果、有料掲載、先方に”東京”だけ営業してもらうことに

なりました。』


と、言いきった報告をしてきた。  


まずこれに違和感。 

まず、『なりました』=重要な案件において、上司の許可を取らず、

自分の権限を超え、勝手に決めている。(越権行為)

そして東京という地域、他社員の営業管轄なのに、勝手に決めている。

この、『勝手に決めている』、しかもそれが、さも、『散々の話し合いの結果だ』

という感情が背景にあるかのような言い方に違和感を覚えた。

そして俺は知っている。『東京』が、一番粗利益が大きい地域だということを。


探ってみれば、やはり相手は、

『お願いします口調で、表面的には高圧的ではなかった』

という事実が発覚。


それの何がいけないか。

それはその社員が、『表面的に下手に出られて、自己の重要感を満たされ、

操作され、丸めこまれた恐れがあった』ということだ。


彼ほどの眼力では、真実を見抜けるほどの見識はまだない。 

むしろ彼は、自己の重要感を満たされたとき、平たく言えば、

よいしょされたとき、もちあげられたとき、メンツを守られたとき、 

いい気になり、気分がよくなり、あるいは浮つき、

あるいは『まあいいだろう』という気持ちになり、話を勝手にまとめてしまう

ところがある。


いてもいなくても〜という扱いを嫌い、極めて我が強く、周りからの評価は

『わがまま』だと判断されるのも、彼がこの『自己の重要感を満たしたい』という

欲求を強く持つからである。


そういった背景があるからこそ、『〜になりました。』という言いきり、

『勝手に決めた』という口調に出たのだということが分析される。


しかし、だとしたら『裏で主導権を握っているのは相手会社』になり、

『表面に騙されたのが、こちら』ということになる。


常に、どちらが一番得をする結果になったのかを見極めなければいけない。

相手は、『たかだか表面で下手に出る』というだけの損をしただけで、

『大きな得を得ることになったかもしれない』のだ。



交渉について(ハーバード大学教授・渉学研究所所長・参考)


所長曰く、

表面に出た要求や主張の背後にある真の利害を見分けることの利点は、

明らかである。

しかし、いかにしてそれを見分けるかは、それほど明確ではない。

表面に出た立場は、具体的で明白だとしても、その裏にある利害は、

言葉に表されることはなく、見分けにくく、矛盾しているかもしれない。

相手方の背後にある利害を見つけだすことは、少なくとも自分自身の利害を

見るのと同様に重要なことであるが、どうやって交渉にかかわる利害を

見つければいいのだろう。



これは俺がいつも心がけていることを話している。

つまり、俺はよく『表面的なことは俺には通用しない』と言うが、

それはこういう考え方が背景にあるのだ。

それは俺が、『表面の背後にある真の利害を見分ける』ということをしているからだ。

しかし、『だが、それを見分けるのはなかなか容易ではない』と言っている。


『なぜ相手はそう主張するのか』を問うてみよ。

一つの基本的なテクニックは、自分自身を相手の立場に置いてみることである。

相手が主張している事柄を検討し、『なぜ』と自問してみることである。

たとえば、

なぜ家主は五年契約の賃貸なのに、一年ごとに家賃を決めようとするのか。

考えてみれば、物価上昇による諸経費の値上げを償うためというのがその理由と

思われる。

家主自身にその立場を取る理由を聞いてみることもできる。

その場合、家主の立場の正当性を問題しているのではなく、背後にある必要性や、

希望や懸念や意図を理解するためであることを、はっきりさせたほうがいい。

『ジョーンズさん、賃貸契約を三年までになさりたいとおっしゃいますが、

いちばんの理由は何ですか?』と直接尋ねるのも手である。



これは、『なぜ相手はそう主張するのか?』とまず相手の心理を見極めようとする

気持ちをもつところから始まるということ。

そうじゃないと『表面的なそのトークの流れによって結論を出してしまう』ことになり、

主導権を相手に握られるケースが多い。

常に、相手の言動の根本にある心理を見極め、把握することを意識しなければ、

交渉において主導権は握ることはできない。


最大の関心は人間の基本的なニーズにある

表明された立場の背後にある真の利害を探ろうとするときは、すべての人を

動かす最も基本的な関心に特に注意することである。

もし、交渉の当事者がこのような基本的なニーズを満たせるなら、合意に達する

ことが容易になり、また合意に達した後は相手方にその合意を守らせやすい。

人間の基本的なニーズとは次のことを意味する。

・安全

・経済的福利

・帰属意識

・認められること

・自分の生き方を自分で決定すること



ここでは、相手のその裏にある心理を見極めるときに注意すればいいことの

ヒントが書かれている。

上の5つは人間の基本的な欲求であり、言動の大きな源になっている感情である。

ほとんどの場合、こういった欲求を満たすことが交渉をしてきたその当事者の

心理の背景にあり、これを把握しておくと分析しやすい。


今回の件で言えば、

『今まで掲載の手を休めていたのに、急にやりたいと志願してきた』

『しかも話し方が、もう決めてしまった。という半ば強引に押し切ろうとする姿勢』

『なぜこのタイミングで急にそう言ってきたのか?』

『それによる先方のメリットはなにか?』

『今までの当社に対しての態度』

『なぜ東京だけと言ってきたのか?東京に、何があるのか?』

など、数々の疑問、違和感からを集め、分析していった結果、


『表面的には”妥協案”のようにふるまっているが、有力候補がまとまっているのが

”東京”なのではないか。つまり、最悪、粗利益が大きい東京の有力だけは

確保してやろうという心理があり、”いいとこどり”をしようとしたのではないか』


という可能性が考えられ、またそれは、上の欲求を満たすということにきちんと

当てはまることにもなる。



知人の親は、実の弟の連帯保証人になり、逃げられ、借金を背負わされた。

実の家族ですら構えないといけないのが、人間の試練である。


人生を生き抜く中で、相手の心理を読むということは必須であり、

自己の重要感』とは、その中で重要なポイントになるものなのである。


人生は弱肉強食と言われることがあるが、

それだけ皆、自分が生きていくことに、必死だということなのだ。

必死に、生きているということなのだ。




2010.03.22 Monday

自己の重要感

評価:
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社
¥ 1,575
(1999-10-31)


自己の重要感


文字通り、自分が重要な存在だと感じたいという感情である。

自己の重要感ということに関して、俺も思い当たる節がある。

人間は、自己の重要感を満たされたいという強い願望があるのだ。

『人を動かす』では、自己の重要感を満たされたことによって、態度が豹変した

人間の話がいくつか書かれているが、中でも俺と似たような出来事が、

こう書かれていた。


ルール違反をした市民に対して、半ば権力を使って威圧的に降伏させようとして

きた警官に、次に会ったとき、素直にこちらから降伏してみた。

『とうとう現行犯でおさえられましたね。わたしが悪いのです。

何も言うことはありません。

先週、あなたから二度とこういうことがあれば罰金だと

注意されたばかりですから。』


すると警官は、

『うん、だがまあ、ついそうやってしまうのは人情だろう。』

などと、穏やかな態度をとったという。

それも、すべては彼の自己の重要感が満たされたことに原因があり、

彼の自負心を満足させたことで、ことが穏やかになったのだ。


これと似たような経験を俺も5,6年前にしている。

飲酒の検問に引っかかってしまい、アルコールチェックをしなければいけな

かった。

最初は昔の癖で、開き直って『は?飲んでないよ』と突っぱねてしまった。

すると警官は、

『じゃあなんで反応が出てるのかなあ?ちょっと免許証を見せてください。』

と、淡々と警官としての責務を果たそうとするモードに突入した。


この状況で警官の指示を断ることはできない。

反応が出ている以上、任意が認められる状況ではないからだ。

その時、瞬時にそれを察知した俺は、もう居直って逆らうのはダサイと判断し、

『はあ。いや、飲みましたよ。これは完全に俺が悪いですね。

少し休憩したから大丈夫だと思ったんですが、覚悟を決め、罰金を払います。

4、50万くらいかぁ。。』

と言った。


すると警官は、

『…うん。まあ、お酒というのは6時間以上たたないと消えないからね。

今回は、正直に話してくれたから、もういいから、気を付けてくださいね。』

と言って、許してくれたのだ。


まさに同じような経験をしているということだ。

そしてこの警官も、自己の重要感が満たされたのである。


このとき俺が我を突っぱねて、警官と真っ向勝負を挑もうものなら、警官は、

国家権力の名に懸けてでも、俺をつぶそうとしただろう。

法律という莫大なバックボーンが彼にはあるからだ。

もちろん、俺が罪を素直に認めたこと、アルコールが消える時間を純粋に知らな

かったこと、いろいろな要因が重なったということもある。

だが確かにこの警官は、

『素直に自分の罪を認め、反省をしたことに意義があり、事故を未然に防ぐのが

警官の仕事だから、これ以上彼を取り締まる必要はないだろう。』

と、判断してくれたのだ。


それまで忌み嫌っていた警官に、人情を感じた瞬間だった。

中には腐った警官もいるが、警官であろうがなんであろうが、そんな奴はどこに

でもいる。


とにかく、自己の重要感を満たすということは、人を動かすということに関して、

重要なキーワードであることは、間違いないのだ。



俺自身、それは痛いほどよくわかる。

認められることではないが、操られまいとして俺はあらゆるルールを、常識を、

法律を破り、気付いたら『不良』になっていた。

だが俺はただ、全てのことから、自由になりたかっただけだったのだ。

もちろん、それで自由を奪われて、本当の自由というものが何かを知ったのだが、

当時はただただ、自由を求めていただけだった。

『俺はここにいる。操り人形じゃないんだ』と、叫ぶかのように。


そして今、表面的に付き合ってきた人との関係を見直し、

俺を重要だと判断してくれる人や社員の方が、俺にとって重要な存在だと判断し、

俺は、人生を前に進め始めた。


人は誰でも、自分のことを重要な存在だと感じたいのだ。

それが、どうせ散りゆく儚い人間の、運命なのかもしれない。




自己の重要感

2010.03.21 Sunday

SEOの極意『早、極、楽、安、旨』

 
SEO(Search Engine Opitimization:検索エンジン最適化)


SEOとは、検索エンジンにてユーザーがなんらかのキーワードを検索した

ときに、そのキーワードで特にYahoo、グーグルにて上位に表示させる

ために、サイトの最適化をするという業務である。


現代のインターネットサイトは、もはや『資産』とも言われ、お金を生み出す

ためには、最適なデザイン、最適なサービス、最適なクオリティ、そして、

最適なアクセスが、サイトには求められるのである。


そのアクセスを突き詰めれば、現時点では必ず『SEO』にぶつかるのである。


広告とは、例えば主婦に向けた『八百屋のバーゲンの広告』を、サラリーマンで

ごった返す満員電車のつり広告に露出しても効果が薄いように、

その広告を見せたいターゲットに、的確に商品を露出することこそ、

広告商売の最大のテーマなのである。

SEO、リスティング広告(キーワード広告)とは、広告市場で史上初である

『PULL型(受け身)』の広告市場であり、元来の『PUSH型』の広告概念を覆す、

最先端の技術なのである。


しかし、そのハードルは、決して楽なものではない。

むしろ、粘り強くなければ、この仕事をこなすことはできないだろう。

SEOの極意として5大タブーがあげられる。


【早】  早く仕上げようとする。
 
SEOの性質的に、『早く仕上げる』という考え方は自らの首を絞める結果を生む。

【極】  極端なことをする。

SEOは、その効果の高さゆえに、未熟な市場の時、スパム行為が横行した。
そのため、極端なやりかたをすると、最適化どころか検索エンジンから嫌われる。

【楽】  楽なことをする。

楽をしてはいけない。どんな仕事でもそうだが、楽をして出来るようなページを
検索エンジンは認めない。

【安】  安く済ませようとする。

安いということは、誰でもやれる、できることをやっているということである。
これまでのSEO対策の歴史において、それが長持ちした試しはない。

【旨】  旨い話にのる。

SEO対策は単なる小手先のテクニックの集積ではないか』といった誤った
認識を持ち、アイディアSEOや、コンテンツSEOに移行する時代の流れ
を見誤るな。


これを見れば、ほとんどの人はSEOに対して、軽い気持ちで一歩を

踏み出さないだろう。


SEOは、水商売に近い感覚を覚えるときがある。

そのアルゴリズム(検索結果基準)の変動が、あまりにも激しいからだ。

だがそれは、小手先のSEO技術に頼っているからそうなってしまうのであり、

そもそもユーザーにとって利便性があり、最も適しているとされるサイト作りを

地道に、一所懸命行えば、いずれ必ず努力は報われ、検索エンジンでも

上位表示される日がくるのだ。

アルゴリズムの変動は、常にユーザーの利便性のために行われるからだ。



SEOは、成功したら広告費が半永久的に、タダである。

それで抜群の効果を発揮するのだ。

だが、タダより怖いものはない。

鋭い見識がなければ、その不透明さゆえに都市伝説が飛び交うこの市場で

その権利を確立させるまでに、膨大な費用を費やすこともあれば、大勢の

人手が必要になることもあるし、長期の時間を代償に払うことにもなる。


だが、『登る山』としては価値があり、幾多の野心家を虜にさせるのだ。



『三笠山に登る一歩 富士山に登る一歩 同じ一歩でも覚悟が違う。

どこまで行くつもりか どこまで登るつもりか

目標がその日その日を支配する』

          by 松坂の横浜高校の恩師

2010.03.20 Saturday

能力の最大化

 
この間、競輪選手の合宿所での、食事の指定カロリーを見たが、

一日4000㎉だった。


友人も高校時代は、野球でそのくらい食べさせられていた。


そして、中国人選手がなぜあんなに抜群の運動能力があるかと言うと、

秘密はその摂取カロリーにあると、栄養学の専門家から言われている。

彼らは食事を、5000㎉摂取するというのだ。


Jリーグの練習の合間に用意される食事を見たことがあるが、山に盛られた

パスタやご飯、とにかく炭水化物の山だった。


マラソンランナーがフルマラソン前に摂る食事を”カーボローディング(炭水

化物を装填する)”というが、それも、うどんやパスタ、パンやご飯なのだ。


ジムにいた元チャンピオンの会長は、現役時代が試合の前に好んで食べた

食事は、ステーキだった。


格闘技漫画『グラップラーバキ』で、バキが試合の前に食べていた食事は、

サバの缶詰、バナナ、炭酸を抜いた2リットルのコーラだった。


『デスノート』の”L”は常にチョコレートで糖分を補充していて、

『Mr.BRAIN』で”九十九龍介”は、脳のためにといつもバナナを食べていた。



先日も書いたが、独学というのは遠回りをすることがある。

試行錯誤し、ついにはある程度のダイエットを成功し、肉体改造もした。

肉体改造前の体を知る人は、皆が驚いてくれたようだ。

だが、独学スタイルという俺の、”遠回り”はまだまだ続きそうだ。


俺は、これに比べて、週6で、なかなかハードなトレーニングを入れているのに、

カロリーを2000㎉程しか摂っていない。

なぜなら、脂肪を減らして筋肉だけ増やし、かつボディビルの様にならないように

する
という、欲張りの極みを目標にしているからである。


食事は脂質の少ない、そば、野菜から始まって、中鎖脂肪酸のサラダ油、

黄味や揚げ物を日々の食事から捨て、飲み物はお茶か水、ダイエットコーラ、


たんぱく質を摂らなければ筋肉は育たないばかりかすり減るので、プロテイン、

ササミ、卵白、イカ、砂肝、マグロ赤身、ノンオイルのツナ缶、


体力回復のために、グルタミン、クエン酸、アミノ酸、


脂肪燃焼のために、共益リノール酸、L-カルニチン、カプサイシン、


活性酸素除去のために、ビタミンE、アスタキサンチン、


等々、独学なりに突き詰め、”理想の環境”に近付いていたことは確かだ。


だがやはり、気になっていたのは”パフォーマンスの低下”ということだった。

やはり、ご飯や炭水化物を避け、エネルギーの源である”糖質”を控えるのは、

パフォーマンスの低下につながっていた。

先日話した、”握力”が出ないだけでなく、脳も回らないし、何もないところで

つまづいたりする。

だが、糖質を摂りすぎると、みるみるうちに太ってしまうというジレンマがあるのだ。


ボディビルのように、『太る時期』と『絞る時期』に分け、運動や食事も分けるのが

筋肉の育て方としては一番いいのは知っているが、ボクシングのシャドーやなんか

もトレーニングに入っているので、瞬発系が鈍らないようにしたい。

かつ、幾多のアスリートのように、運動がメインではないので、たくさんのカロリーを

摂ってしまうと、太ってしまうし、それに見合う運動をするとなると、疲れて、

仕事が手につかなくなってしまうし、十分すぎる休養(睡眠)が必要だ。



では、どうしたらいいのだろうか。

仕事と運動を両立しながら、かつ、食事も楽しみ、パフォーマンスも向上させ続け、

脂肪だけを減らし、筋肉を増やし、ボディビルダーのように筋肉隆々にまでは

ならないように、インナーマッスルがぎっしり詰まった瞬発力のある体を作るには。

(・・欲張りの極み。。)


根性はある。

どんなにパフォーマンスが低下しようが、関係なくやり貫き、本格的にトレーニング

を始めてから、もう6年が経つ。

大嫌いだったジョギングも克服したし、ボクシングジムも引っ越しの都合まで通い

続けた。

ベランダはトレーニングジムのようになるまで、設備も充実してきた。

やる気、根性は人一倍あるのだ。


だが、独学ゆえの遠回りがある。

だからといって独学はやめない。

自分でやれば、全部自分の手柄になり、それは自信につながるからである。



実は、新たな発見があった。

それは、『マルトデキストリン』の存在である。

”ウイダーインゼリー”の原料にもなるそれである。


この成分は、”炭水化物オンリー”というものである。

たんぱく質も、脂質も、『0』という原料なのだ。

糖質よりもブドウ糖、ブドウ糖よりも、これだというのだ。


では、これをどのタイミングで、どういう風に摂取するか。


これから試してみるが、少なくとも、プラシーボ効果も多少あったかもしれないが、

昨日のロードワークでは、転んでしまうほどの全速力でダッシュを走り、

疲労が残らなかった。


やる気、根性、高たんぱく質、低脂質、


後俺に足りないものは・・。



まだわからないが、もう少しのところまできていることは間違いないだろう。



アスリートの間では、摂取サプリメントや栄養は、秘密とされていることが多い。

それだけ、重要な要素だということだ。


とにかく能力の最大化をしてからじゃないと、死にきれないぜ。



2010.03.19 Friday

真実の愛

 
真実の愛


つい先日まで、親がわが子を入れたい大学の上位には、

1位 東京大学

2位 京都大学

3位 慶応義塾大学


そして、親の、わが子を入れたい会社上位に、

1位 トヨタ自動車

2位 ソニー

3位 三菱商事

とあった。


その上位2つの、トヨタとソニーが、大幅のリストラで世間を騒がし、

トヨタは今、リコール問題で世を騒がしている。

このランキングは今、どうなっているだろうか。


多くの親は、『安定』を求めているのだろう。

選んだ理由の多くに、『将来性がある、安定している』などがほとんどを占める。

自分の愛するわが子の将来を、安定したものに約束させるため、

いい大学に入れ、教養を学ばせ、高学歴をもたせ、

大企業に就職させれば、不動の安息が約束されると思っているのだ。


親が、わが子に『なってほしい役職』と聞かれると、そのランキングはこうなる。

1位 出世しなくていい

2位 部長クラス

3位 役員

4位 社長

5位 課長


つまり、

『課長クラスどまりだと微妙だけど、部長クラスぐらいになれればそれで十分』

あるいは、

『出世なんかすると苦労するから、苦労させたくないからしなてくいい』

という消極的な意見が多いということだ。

この分だと、役員や、社長と答える親も、本当に子供のことを考えて、

見抜いて言っているのか、疑わしいところだ。

ただ浅はかに、『子供に食べさせてもらいたい』『私ができなかったことを』

などの、不純な動機で願っている親も多いのではないか。


ここでも『2割』程度なのだろうか。

きちんとしたビジョンで子供の将来を見据えている親は。

トヨタやソニーとて、きっと業界や詳しい人間であれば、

危機に携わっていることがわかったはずだ。

実際、10月にこの記事を書いた記者は、『トヨタとて車業界は危うい』

と書いているのだ。

トヨタ=安定、将来性がある、高収入

などという、短絡的な考えでいたのではないだろうか。


もちろん中には、外資系の企業を選ぶ安定志向ばかりではない親もいる。

『刺激的な仕事と人材に溢れており、本人の能力を伸ばしていける。

世界に通じる能力を身につけることができる。』

『いろいろな分野にチャレンジができる』

などの考えで、安息に安定するよりはチャレンジャブルな人生を送って

もらいたいという意識を持つ親が、少なからずいるのである。

『仕事はハードだが、独立・企業する力がつきそう。』

という理由で、破綻後のリーマンブラザーズを選んだ親もいたようだ。


この記事では、親が子供に抱く感情がよくわかる。

東大→トヨタ という安定の図式と、

留学→起業 という成功の図式という、

ふたつの極端な価値観の間を揺れ動くのが、このアンケート結果を見て

垣間見えているという。


しかし、安定を選んでいるつもりだった親たちは、あらゆるイレギュラーバウンドを

予測できなかったのだ。

『子供のことを本当に愛していたら、予測できたはず』だ。

調べて。


つまり、多くの親の子供に対する愛情など、たかが知れているのだ。

親は、確かに自分の分身かのように育ててきた子供に対して、

『こんなに愛している』と、酔いしれているだろう。

『子供のために』と働いて、家事をして、夢を見て。

愛しているから、問題ないだろう』と思っているだろう。


親というものは、 ”東大、トヨタ=安定、将来の約束”

という、『大体のイメージ』』で、子供の人生を決めてしまうものだ。

だがきっと、世の中の2割の成功者は、こういった図式を子供に

あてはめないだろう。


”金持ち父さん、貧乏父さん”を読めば、このことがわかるはずだ。

つまり、『未熟な親は、子供を立派に育てられない』ということだ。

見る目がないのだから、正しい道に導けるはずがないだろう。


もし未熟な親から立派な子供が誕生したとすればそれは、

”親が未熟すぎたから子供が責任感のある子に育った”に過ぎないだろう。


『成功していなくてもにあふれていれば子供は立派に育つ』

という親がいるかもしれないが、『愛にあふれている』なら、

その親は『未熟』ではない。『立派』だ。


子供に、どういった教育をするかというのは、親の責任であり、

子供が、どう育つかというのは、親にかかっている。


親は子供が生まれ、成長してからそれを考えていたのでは、遅い。

『3つ子の魂100まで』というが、子供とは、10歳までに経験したことが、

その後の人生の大きなパラダイムとして根付いてしまうのだ。

その間に、どういった気持ちで、どう教育し、どう接していくかを、

子供が生まれる前から考えていかなければいけない。


たとえば、楽しみにしていた盆や年末の旅行があれば、旅行先を決め、

宿泊先を確保し、その近辺の遊び場をリサーチするのが当然だろう。

その旅行を、少しでも快適なものにし、いい思い出にしたいからそうなる。


それを、行き当たりばったりのぶらり旅などにしてしまうと、まず間違いなく

宿泊先の確保に苦労するだろう。

ここで、『いや、ぶらり旅の醍醐味ってのは行き当たりばったりにあるんだ。』

と、『通』っぽく語る人がいるかもしれないが、

今話しているのは、子供の教育の話。

そんな、自分だけ満足するような考え方では、自分本位だと言っているのだ。


例えばその考え方で供を生んだとする。

自分のその概念を子供にも押しつける。

はたして本当に、すべての子供が親を尊敬し、模範とし、真似をして

生きているだろうか。

悪い環境で生まれた人にしか、わからないかもしれない。

つまり、子供を、”自分の操り人形かのように教育するな”ということだ。


10年後、20年後、30年後、後で気づいたときには、取り返しのつかない

”何かを失っている”だろう。

人間は、大切なものを失って、代償にして初めて気づく、愚かな生き物だ。



だが、ある意味仕方ないのかもしれない。

人間が、100歳までの命と決められていて、それまでに絶対死なないとか、

地球が永遠にあるっていう約束で決められていたなら、もっともっと、

計画的な人間がたくさんいたはずだ。


しかし、人間は、生き物は、きっといつか滅びる。

矛盾や理不尽もたくさんある。

そんな不平等で不安定な人生なんて、計画なんてばからしいっていう

気持ちをどこかに抱えたまま生きていくのは、人間に与えられた試練なのだろう。


人間は、生まれて、しかしどうせ死んでしまうのだ。

だがそれでも人は、生きていかなければならない。


いつかは消える花火だが、だからこそ、儚いからこそ、輝いている間が

とても綺麗なのではないだろうか。

どうせなら、できる限り、これ以上ないくらい輝いてから、消えたいものだ。


とにかくこの儚い人生を生き抜くのに、表面的な常識はいらない。

大切なのは、だ。

真実の愛さえあれば、教育も間違えない。


の意味を履き違えたらだめだ。

履き違えている人は本当にたくさんいる。

俺の親だって俺を愛しているのは痛いほどわかるけど、

親が俺に求めていることは、俺のためにはならないこともある。

愛とは、一方通行ではだめなのだ。


俺は本当に、真実の愛にさえあふれていれば、人は幸せになれると信じている。

とにかくすべての話、深く掘り下げていけば愛にぶつかる。

真実の愛をもって育み、生きて、周りの人たちにふりそそげたら、幸せだ。


を間違えてはいけない。真実の愛とは、人生を、人間を愛するということだ。



『安全な道を求める人は、痛みを与えることのない義手義足に取り替えるために、

自分の手足を切り離す人のようなものである。』

                               by ヘンリー・ミラー

当たり障りのない道を選択するな。

自分本位になり、楽な道を選ぶな。

悩み、苦しみ、痛み、悲しみ、そして、笑い、感動するのが人生なのだから。

2010.03.18 Thursday

死んだ犬を蹴飛ばす

評価:
デール カーネギー,Dale Carnegie,山口 博
創元社
¥ 1,575
(1999-10-31)

 
死んだ犬を蹴飛ばす


人は、大物であればあるだけ、それを蹴飛ばして大きな満足を覚える。

当時、小室哲哉が異常なくらい叩かれていたのも、彼が偉大な功績を

残した人物だったからだ。

同じような目にあい、自力で23億の借金を返した加山雄三は、

『ふざけんな。彼は立場を考えられていない。消えてなくなっていい。』

とコメントしていた。

大物であればあるだけ、求められるものも大きいというわけだ。


大物には、それだけの責任もある。

英国の皇太子は(のちのエドワード8世・ウィンザー公)は、きわどい経験で

このことを悟った。

彼は海軍の学校で、14歳のころ、ほかの候補生たちに足蹴にされたという。

校長が問い詰めたところ、ついに候補生がその理由を話した。

彼らは、彼らがいずれ司令官や艦長になったとき、

『俺は昔、キングを足蹴にしたことがあるんだぞ!』

と言ってみたかったからだというのだ。



出る杭は打たれる』という言葉があるが、こういうことは本当にある。

俺は、今まで生きた、全ての舞台で、それを経験してきた。

家族、仲間、不良、施設、職場。

どの舞台でも、俺はそれを実際に経験してきた。


家族では、俺が、『本当のこと』を我慢せず言ってしまっただけで、

自分の意見を主張しただけで、悪者扱いを受けるようになった。

まるで、触れてはいけないものに触れ、逆らい、その処罰を受けるように。


仲間では、喧嘩っ早くていつも目立っていたある仲間以外が、前に出て

仕切ることは、まさに『出る杭は打たれる』だった。

今でこそみんな俺の意見を聞いてくれるが、初めのころは今の何倍も

協力的じゃなかった。むしろ何度も、潰されかけた。

妬み、嫉み、不安、虚栄。未熟で、実にあらゆる負の感情をまとった連中が

集まっている集団だ。そういうことがあるほうが、自然といえるかもしれない。


不良では、目立った奴が狙われるのが当たり前の世界だった。

『誰が最強か』という荒れた少年の気持ちが暴発している世界だからだ。

何度も喧嘩はあった。しかしそれも、こちらが不良として前に出て、あるいは

引かなかったからだ。引けば喧嘩など、起きないのだ。

あの世界は理不尽で、決して認められるものではないが、なぜ多くの男が

一度は不良に血を踊らされるのだろうか。

原始時代、戦国時代、戦を経験した血がそうさせているのか、

はたまたマズローが唱える五大欲求の『闘争の本能』であろうか。


施設では、他人に対して当たり障りなくやっているときは、そこまで波風は

立たなかった。しかし、問題の核心、触らぬ神にたたりなしだった問題に

触れると、事態は一転した。批難、中傷、攻撃が始まったのだ。

自分の尊厳(テリトリー)を侵され、それを必死に守るかのように。


職場では、新しい会社に入ったとき、どの会社でも最初は叩かれた。

『後輩いじめ』なのか、認めたくないのか、どっちにしろ『脅威』に思っていた

からだろう。『新入りに立場を追い抜かされたら困る』ということだっただろう。

俺は上司に媚を売る気などさらさらなかったし、下剋上上等な態度も相手の

そういう態度をあおる原因になったかもしれない。



自分の意見を持って生きる、ということは、他と対立するということだ。

対立する勇気と、覚悟がなければ、できることではない。

とにかく人は、犬が元気であればあるだけ、大物であればあるだけ、

蹴飛ばして大きな満足を覚えるのだ。


死んだ犬を蹴飛ばす奴はいないように。


だから、蹴飛ばされたり、非難されたりしたとき、相手はそれによって

優越感を味わおうとしている場合が少なくないのだ。


もし俺が世間的に有名な人物になってしまったら、きっと俺を叩いて

埃を出そうとするだろう。俺を叩けばたくさん埃が出る。

もっとも、過去のことだが。

しかし、今は俺に誰も興味がない。

存在を知らないからだ。

だからまだ『世間』という大きな舞台からは蹴飛ばされることはないのだ。

しかし、もし有名になってしまったら、叩かれる運命にあるだろう。

だから俺がいくら際限なく上を目指していても、目指すのは政治家や、

東証一部上場し国のために尽くす大企業ではない。

俺には俺の、上へ行く道があるのだ。



かの武田信玄は、自分より優れた部下の首を切り落としたという。

なぜなら、驚異的だからだ。

いつ自分の身を危うくさせるか、わからないからだ。

そんな戦国時代のような考え方が根付いている人間は、今の世にもたくさん

いるのではないだろうか。



出る杭は打つ。

しかし断言できる。

杭を打とうとする時点で、『自分より突出している』ということを認めているのと

同じだ。

自分が日々その人に負けないくらいの努力をしていて、余裕があれば、

そういう小さな器に成り下がる行為はしない。

本当に器の大きい人間というのは、余裕がある人間のことをいうのだ。

もし非難されたり、嫉妬されて足蹴にされることがあれば、心の中でこう思えば

いい。


『可哀そうだな。焦っているんだろうな。』


そう思い、大きな心で許してあげることが一番だ。

そして、そこまで心に差が付いている人間とは、関係を持たないことが賢明

なのだ。

『心のブレーキのはずし方』にも書いてあるが、そういう人はそもそも『仲間』に

は値しない関係なのだ。

これからもし、人に潰されかけるよなことばあればそれは、

『脅威的』だと思われていると思い、その逆境をエネルギーに変え、

さらに驚異的な存在になってやればいい。


気持に負けることなく、対立することに怖気づくことなく、

逆にエネルギーに変えれてしまえばいいのだ。


エネルギーを相手にぶつけるか、自分にぶつけるか。

それで大きな差が生まれてしまうのだ。


エネルギーを相手にぶつけていては、人生、キリがない。

ある人を解決しても、またある人にぶつかってしまう。

人生はそんなことに時間を費やしているうちに、あっという間に終わってしまう。


しかし、自分にエネルギーをぶつけていけば、ただその人生を自分らしく

生きていくだけで、あらゆる試練や経験が、すべて自分の糧になるのだ。

試練の度に、『レベルアップの種』を手に入れるのと同じだ。

レモンを、レモネードに変えるのと、同じだ。

そう考えたら、人生楽しくなる。


多くの現代人が『孫悟空』や『モンキー・D・ルフィ』に憧れるのは、彼らが、

それが心底に染み付き、”気にするべきではないことを気にしない心”が備わった、

理想とすべき、器の大きい男の生き様だということを、知っているからだ。




死んだ犬を蹴飛ばす

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