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2010.05.26 Wednesday

プリンス・オブ・ペルシャ〜時間の砂〜

 プリンス・オブ・ペルシャ〜時間の砂〜


私はゲームボーイの時代から、このプリンス・オブ・ペルシャを知っている。

去年プレイしたPS3のこの作品では、当初のゲームウォッチの様なキャラクター

から一変、大きく変化を遂げたプリンス・オブ・ペルシャを楽しめた。


それだけに、この作品が映画化するということは感慨深く、随所にちりばめられた

これらしい主人公の身軽さというものは、ある種の感慨深さを感じた。


歴史ある作品と言うことで見て見ぬ振りができずに、実は映画にはあまり期待して

いなかったのが本音だが、パイレーツの監督ということもあったのか、

なかなかどうして、スリルがあって面白かった。




プリンス・オブ・ペルシャ〜時間の砂〜

2010.05.26 Wednesday

セルフコントロール〜後編〜

 
>まだまだ、周りの状況に影響されることばかりだ。(俺は意志の弱い人間だ)

とか、

『決めたのに、朝、完全に起きることができない。(俺は意志の弱い人間だ)』

とか、

メタに(俺は意志の弱い人間だ)というメッセージが込められている発言が多い。

一度、視野を広げ、考え方を変えることが重要である。

半ば『すべて自分の意志で思い通りにしようとする』から、そう言うのだ。


そうではなく、

人間は弱い

人間は無力である

人間は常に欲望という名の時限爆弾を抱えている

(自分ではなく、人間、ということが重要)

ということと真正面から向き合い、

だとすれば、『どうすればその弱い自分をコントロールできるか?』という風に、

アイディアを出し、工夫をするという考え方が、知性の見せどころだ。


例えば、彼のように、『朝は自分の意志でなんとかなる。なんとかしてやる。』と

思い込み、過信してしまうと、何度も何度も、いつまでたっても思い通りに自分の

体を動かせない。

自惚れ、過信という弱点が、顕著に出ている点である。


しかしここで、考え方を変え、工夫をし、例えば私がいつも言うように

『大音量の目覚まし時計を5個用意』すれば、確実に体を起こすことができるのだ。

5分置きに、違う場所に設置する、ということも、アイディアのひとつだ。


忘れがちなスケジュールを、携帯などでアラームをかけ、『キーワード』を出現

させて記憶を思い出させる。

その際、

『今日は15時までに株式会社○○に、三井住友銀行の口座から先月分の売上

150000円支払う。』

という長ったらしい内容ではなく、例えばその日の11時頃に、

『○○支払15万』

という『キーワード』だけを入力するのだ。

それだけで、脳は覚えていて、『あ、あれの時間か。』と思いだすことができる。

しかも、その間は常に覚えておく必要がないので、自分の脳の記憶メモリを、

常に軽くすることができるメリットがある。

そうすれば、容量が空き、他の知識が記憶されやすくなるのだ。

新しく必要になる記憶と、不要になった記憶がその循環でどんどん回っていく

から、効率がいい。


ここに、ポイントがある。

すべて、自分の意思一つで思い通りになると思うなということだ。

環境、身の回りのもの、バイオリズム、いろいろなものの力をかり、利用し、

ようやく人間は自分をコントロールできるのだ。



>まだまだ、周りの状況に影響されることばかりだ。

周りの状況に影響されるのであれば、

『その状況次第では自分に良い影響も与えることができる』

ということなのだ。


だったら、彼のやるべきことは、

『どうやったら状況に左右されない、影響されない、強い意志を持てるようになるか』

ということではなく、

いかにして『その(良い)状況(環境)を作り出すか』ということなのだ。


すべて『鉄の意思』で生きているように思われることが多い私も、そうやっていろいろ

なものの力を利用して、自分をコントロールしているのだ。

そういうことも、管理、支配、コントロール、自律、ということ。

セルフコントロールということなのである。

2010.05.25 Tuesday

セルフコントロール〜前編〜

 
ある日、社員はこうブログに書いた。

>本を読むときでも、周りのことをシャットダウンできるトイレだと集中力が違った。

>何かが周りにあると、目に入ってしまい気が散っている。

>まだまだ、周りの状況に影響されることばかりだ。



読書でも、睡眠でも、運動でも、食事でも、トイレでも、自分のリズムというものを

作り、あるいは、把握し、それに合わせるのが最善である。

それを『セルフコントロール』と呼ぶ。


例えば私は、

読書は、心も頭も環境も一番静かな朝、朝食を食べ、砂糖(脳の栄養素である

糖質)の入ったコーヒーを飲みながら、脳を起こす意味も含めて、この時間に

読んでいる。

ソファや、デスク、ベッド等、その時の自分が一番リラックスして読める場所で

読むようにしている。もちろん、こういうことは、『字を書く』ことと同じで、本当は

姿勢正しく読むほうがいい。だから、なるべくデスクで読むようにし、真正面から

本と向き合うつもりで、読んでいる。


睡眠は、シャワーで体をきれいにし、頭皮、体のストレスを洗い流す。湯船に

つかり、運動の疲れをほぐすため、マッサージをする。

入浴後、疲れがほどよくほぐれた体をストレッチ。その際、照明は暗くして、

刺激を落とす。


ストレッチには心身ともにリラックスする効果があり、良質な睡眠を促すことが

できる。

寝苦しいと気持ち良く寝れないので、室温の微調整も重要になる。


運動は、一番ホルモンが活性化され、効率のいいと言われている午後3時を

目安に行っている。また、この時間と、深夜とでは、食事による『太りやすさ』に

大きな差がでてくると言われ、積極的に運動で消費した栄養を摂りいれている。

また、3〜4時は人が眠くなる時間帯なので、運動をすることで強制的にそれを

阻止できる。


食事は、朝、10時、昼、15時、夜と、5〜6食に分けて、少量を、決まった時間

に、三大栄養素を軸に考えた、望ましい栄養素を摂ることを意識している。

しっかり管理すれば、変な時間の『ドカ食い』を避けることができる。

また、『自分の生活に合った食事』というのは重要で、たとえば、時に寝るのに、

23時にかつ丼を食べるのは、どう考えても生活に合わない。

今の食事は、最近の私の生活に合わせた、最小限でいて最善の栄養の摂り方

になっている。


トイレは、大便などは必ず朝食後にしている。大便で健康状態がわかる。

健康的な大便の一番の理想は、黄土色のバナナ型である。



今はもう、それぞれのリズムが出来上がっていて、その時間に、その場所で、

それをやっていないのが、逆に気持ちが悪くなってしまっている。

まさに、『習慣になった』のである。


例えば社員は、なぜトイレで落ち着いて読書ができたか。

照明の問題か。室温の問題か。

自分では意識していない、自分にとっての『快適空間(コンフォートゾーン)』の

条件の何かが揃っていたのだろう。

そういうことを突き詰めていくと、『いつ』、『どこで』、『なにをすればいいか』という

ことが見えてくる。

今までのように、『なんとなく』その時間にやっている、ということがなくなるのだ。


それはつまり、自分のことをよく理解しているからできる行動、になり、イコール、

それは、『自分を支配・管理・コントロールしている(自律)』ということになるのだ。

セルフコントロールというのはそういうことをいうのである。

2010.05.24 Monday

Army of Two: The 40th Day

 
案外楽しかったけど、暗いし、中東っぽいダークな音楽や雰囲気はNG。

画質も悪いし、FF13の後は、一気にランクが下がる。

だけど、メタルギアといい、この手のやつは、結構好きなんだなやっぱ。

GTAまでのつなぎにはなった。
2010.05.13 Thursday

和歌山県 浦島ホテル

和歌山県 浦島ホテル

 urasima.jpg

清潔感/匂い  ★

種類/クオリティ ★★★

解放感/バカンス度  ★★★


解放感と設備の種類は満足。

だが、ホテル自体の造りが昭和でストップ。

年齢層も高く、50歳以上の人は、懐かしみながらくつろげるのでは。



和歌山県 浦島ホテル

2010.05.10 Monday

地味な仕事でも怠ってはいけない

 
世の中には『目立ちがり屋』という人種がいる。

何事にもしゃしゃりでて、いつも『俺が』『俺が』とでしゃばる輩である。

『高く評価される』ということは、得てして目立つことではあるけれども、

目立つことが評価されることはイコールではないことを知らないのだ。


アサヒビール会長の福地茂雄は、

部分を最適化するとともに全体も最適化できる。それが理想的なビジネス

リーダーだ
』と語る。

それをプレイヤーごとに、投げる、タックルする、走るなど、部分役割がはっきりし

ているアメリカンフットボールにたとえて、こう戒めている。

『いくら優秀でも、全体を考えずに自分勝手に走っては決して勝てない。

時には敢えてわき役に徹する判断が必要だ。』


古代中国の大帝国、『漢』の高祖となった『劉邦(りゅうほう)』の天下取りを助けた

三羽ガラスは、軍師の張良(ちょうりょう)、勇将の韓信(かんしん)、そして蕭何

(しょうか)である。


彼らの職務を現代風にいえば、張良はさしずめ企画室長で、韓信は営業部長、

蕭何は総務部長であろう。劉邦は皇帝の位について、論功行賞を行ったとき、

『最高の功績は蕭何にあり』 とした。これにたいして功臣たちは一斉に不満を

表明した。


ある者は、

『私たちは戦場に出て体を張って闘ってきました。そうやって城を落とし、敵を倒し

たからこそ、天下を平定できたのではないでしょうか。それにひきかえ、蕭何は

一度も戦場にでたことがなく、城を一つも落としたことがない。

敵将の首を取ったこともない。

それが私たちより功績があるとはどういうことでしょうか。』


といい、またある者は、

『私たちは知略を尽くして敵を攻め落とす方法を考えました。戦争に勝てたのは

私たちの戦略があってからこそ』といった。


つまり、営業の人間は

『汗水たらして駆けずり回り、売上を上げたからこそ、会社が発展したのだ』

といい、企画の人間は

『企業戦略を策定し、宣伝も考え、会社の持つ戦力を100%以上に働かせた

からこそ、会社の発展があったのだ』

と主張したわけである。


それにひきかえ総務の人間は何をしていたのだ、会社の中に座っているだけで、

何の利益も生み出していないじゃないか、という言い分である。

そういわれれば総務担当の人間はこれといった大きな手柄はない。

得意先の開拓をしたわけでもないし、営業キャンペーンを指揮したわけでもないし、

新商品を開発したわけでもない。


それでは何の仕事もしていないのかといえば、そんなことはない。

裏方で目立たないけれども、営業や企画の社員たちが存分に働けるように、

職場環境を整え、さまざまな雑用をしているのである。


劉邦が、『蕭何に最大の功績あり』 としたのは、この『裏方の地味な仕事』が

天下平定になくてはならないものだったことを知っていたからである。

劉邦は、ライバル項羽(こうう)と足かけ五年の戦いの末、勝利を握ったが、

初めのころは連戦連敗だった。ところが、それでも屈することなく闘い続けて

いるうちに、流れが変わり、ついには項羽を破ることができたのである。


この大逆転を呼び込んだのは、負け続けながらも弱体化せずに挑戦し続けた

からである。

そして、劉邦が不死鳥のように挑戦し続けられたのは、後方から蕭何が絶えず

兵員と物資を補給していたからである。

この蕭何の補給のおかげで、劉邦は戦闘に敗れても破れても、態勢を立て直し

て項羽に挑むことができたのだ。


いかなる勇将、猛将も、またいかなる戦略家たちも、蕭何の途切れることのない

補給なしには大きな功績を上げることができなかったわけである。


営業や企画、そして開発の仕事は華々しい成果が上がるので、傍目には目立つ

が、それだけが企業を支える仕事ではない。

その陰で、キチンと帳簿をつけたり、必要な人員、必要な資金、必要な物資を

調達することもまた、企業にとっては重要な仕事なのである。

こういう裏方で、地味ではあるけれども、コツコツと仕事をしていくことも、高い

評価を得る要因となろう。

目立たない仕事であるけれども、腐らずにコツコツやれる人間は、出世の階段を

着実にあがっているのである。


張良の『知』、韓信の『武』、蕭何の『援』。

人には、徹すべき『役』がある。

それを見極め、若いうちからそれに徹することができれば、どの役でもきっと、

光り輝くことができるだろう。


2010.05.06 Thursday

クラウド化する世界

評価:
ニコラス・G・カー,Nicholas Carr
翔泳社
¥ 2,100
(2008-10-10)

 

エジソンからグーグルへ。

つまり、産業革命から、IT革命へ。

発電機から、検索エンジンへ。

時代の流れは、変わっている。

ある雑誌の編集長は、

『これから主流になるのはITだと思われがちだが、製造業が劇的な変化を起こす。

これを私は『新産業革命』と呼んでいる』

と時代を読んでいる。

とにかく、時代は進化しているのだ。


ポケベルから15年後、第2世代携帯電話より10倍も速い速度で処理をする、第3

世代携帯電話、『FOMA』が登場。

2011年には、携帯電話用の新しい通信規格、『LTE』の導入により、携帯電話は

光ファイバー並みの高速通信を実現する。


アナログレコード、CDを当たり前のように買っていたディスク型音楽も、今はネット

でダウンロードという概念へ大きく様変わりした。


インベーダーゲーム全盛期は経験していないが、私が初めてやったゲームは、

コンピュータで操作した、『結局南極物語』という、ペンギンを操作するものだった。

あれから20年。今は、PS3で、『ファイナルファンタジー13』。

当時には、考えられないCGで、ゲームを楽しんでいる。今生まれた子供のゲーム

原点は、このレベルなのだ。

彼らが私の年齢になった時も、同じような現象が起きているだろう。『FF5』世代

だった私は、当時の感動が忘れられずにその後のシリーズに燃えられなかった

が、とんでもない。『FF13』をやれば、もう『FF7』以前の完全2Dタイプのゲーム

はできないだろう。


『アバター』で映画デビューした今の子供が、『ET』や『ジョーズ』を観ても、感動は

しないだろう。


私は白黒のテレビは経験していないが、幼少期はテレビ本体にガチャガチャ回る

チャンネルがついた、叩いて調子を整えるブラウン管の時代だった。

これからの子供は、薄型、デジタルはもちろん、3D用メガネも家庭に当たり前の

ように用意されるのだろう。

最新の技術をのぞけば、もはや『テレビを置く』『大きいサイズを』、『薄型を』という

概念は消えるほどの技術の深化を実現させようとしている。


大型のデスクトップ型コンピュータだった時代に、『Windows95』が発売され、

コンピューターが一般化された頃は、大きく鳴り響くサーバーの音と、立ち上げる

までの遅さがあったが、今は、容易に持ち運びができる薄型のノート型パソコンで、

ボタンひとつでスムーズに動作できる。



こうして技術は、進化してきた。

そしてネットは、時代が進化するたびに、クラウド化されてきた。

空気のような、雲のような、そんな当たり前の存在になってきたのだ。


ボタンひとつとはいえ多少立ち上げに時間を必要とする電源も、今後はテレビの

ようなスムーズさを実現するだろう。コンピュータ、ネットに対する抵抗感、ストレス

がなくなってきて、デスクトップ、ノート型という概念に固執せず、あらゆるモバイル

型のコンピュータが身の回りにあふれだし、普及していくだろう。

まさに、雲のような存在なのだ。


そして本当の意味での『クラウド化』というものは、普段は雲のように、中身がなん

だかよくわからないが、必要な時にその雲から、蛇口をひねるように水を絞り出す。

つまり、ソフトを持ち歩かなくても、いつでも見上げれば雲があり、その雲から必要

な時に使えばいい、そんな利便性にあふれる時代のことをいう。



戦争体験者、戦後の生き残り、団塊の世代といった日本を支えてきたアナログ層が

いなくなり、人間の層も生まれ変わる。

コンピューターが当たり前だった我々の世代が年寄りになった頃、その下の世代は

今よりもはるかに利便性のあるコンピュータであふれることだろう。

アナログ人間に気を使うことのないスピードで。


今の人間の技術者の先頭には、コンピュータを人間の脳に埋め込むということを

本気で考えている人間がいる。

『AI(人工知能)』である。

それによって喜ぶ人間もいる。たとえば、障害者などである。

だが、それが一般化されるには、問題は山積みだろう。


しかし、間違いなく時代は進化しているのだ。それとともに、人間も進化していく。

我々はその中で、どう考え、どう人生をいきていけばいいか。

ますます自分らしさを意識し、主体性を持たなければ、人間ではいられなくなって

しまうはずだ。

2010.05.03 Monday

FF的戦略

 
洋書や古典、指南書だけではない。

映画、アニメ、ゲームからだって学べることはたくさんある。

柔軟性のある人間になりたいものだ。


さて、昨日のDQ(ドラクエ)に続き、今日はFF(ファイナルファンタジー)で、

人間を考えてみる。


反省、内省、内観というが、なぜ社員は、この二年間ほとんど毎日なんらかの

反省書を書き、自分を省みているはずなのに、同じことを、同じミスを何度も

何度も繰り返してしまうのか。


4月に観た映画『シャッターアイランド』では、ディカプリオ扮する精神障害者が、

到底受け入れがたい現実から逃げるために、妄想の世界に生きるというストー

リーを演じたが、私の眼には、その主役と社員とがだぶってしまって仕方がな

い。

ラストシーンで、彼と二年付き合ってきた院長や、担当の医者が、今回こそはと

、一時的に正気に戻った彼に期待した。しかし翌日、彼がまた妄想の世界の

別人になりきり、現実逃避をはじめたのを見て、医者たちは心から肩を落とした

のだ。

二年間、実に二年間、同じことが繰り返されてきたのだ。

それを院長はこう表現していた。

『まるで、カセットテープが終わることなく繰り返し再生されるかのように、

同じことの繰り返しだ。』



医者たちも、立派な被害者だ。

二年間も同じことの繰り返しなら、医者の方が精神的にまいってしまうこともある。

二年もの間、一度だけならず、何度も何度も、『裏切られている』のだから。

それなら、一度も正気に戻らなかった方が、期待もしないし、裏切られる回数も

少ないし、周りの人たちは楽だっただろう。


何が原因なのか。

何が原因で、『その都度回復させているはず』のメーターがまた下がってしまう

ようなことが起こるのか。

例えば私なら、一度怒られたことは、もう二度と怒られないつもりで改善する。

人に注意されることは腹が立つし、自分に弱点、欠点があることはプライドが許さ

ないし、謙虚さが足りないことは、器が小さい男だということを、知っているからだ。

つまり、私ならそこで、『原因を完全に改善(回復)』させる。


これは私の生涯の自慢だが、17歳の時、その潜在能力を買ってくれた恩師たち

から、年相応の少年には到底受け入れられないような要求を受け、プライドの芯

の芯までズタズタに批判された。

あまりの悔しさに普段は絶対に泣かない私が人前でわんわんと涙を流し、

しかしそのおかげで本気を出すことができ、私はたったの一日足らずで

『原因を追究し、改善の行動に出た』。


『よくわかったな。一瀬ならわかってくれると思っていたけど、まさかこんなに

早く答えを見つけるとは。』


恩師のその言葉が裏付けるように、私は正確な原因を突き止めたのだ。

そして、勇気を持って改善の行動に出た。

そういうことの繰り返しで、今の私がいるのだ。


だが、社員はそれをしないということだ。

(回復を)しているつもりになるのだろうが、解決できていないまま、生活に

戻ってしまう。だからこそ、同じことをしてしまう。



FFでは、敵の攻撃によって、HP(体力)が減る。0になったらゲームオーバーだ。

それを防ぐために、回復アイテム『ポーション』を使ってHPを回復させなければ

ならない。

だが、正確には敵の攻撃によってHPの減少だけではなく、『ステータスが異常』

になることがある。


毒。麻痺。石化。沈黙。呪い。


このステータス異常の症状に合わせて、『回復のアイテム』を使い分けなければ

ならない。


毒なら、『どくけし草』。麻痺なら、『麻痺治し』。石化なら、『金の針』。

沈黙なら、『山彦草』。呪いなら、『十字架』。


このステータス異常を治療しなければ、またその症状によって、体力は減っていく。

『ポーション』を使えば、確かにHPは回復する。

しかし、それは一時的なものにすぎないのだ。

『応急処置』にすぎないのだ。


何度も何度も同じミスをしてしまい、その都度怒られ、時には殴られ、体力を

落としてしまうのは、まさしく『的確な回復』を、内省にて行えていないからなの

だ。

的確な回復アイテムを使用せず、ステータス異常を治していないから、

そうなるのだ。


これでいえば、社員は、上に書いたすべてのステータス異常にかかっていると

言っていいだろう。


誤魔化し、逃げ、正当化、嘘、という『その場しのぎ』で、またすぐに必ず自分の

体力を奪うことになる、『』。


毎日毎日、的確に心を読んでもらったり、助言をしてもらったり、お金を出して

もらったり、配慮されたり、親から受けた『あなたは生きていていい。生きている

だけでいい』という愛情に甘えて、『してもらうのが当たり前』だと勘違いをし、

特権の濫用、越権行為に走る、『麻痺』。


予想、想像していなかった不測の事態に陥るたびに身体が硬直する姿は、

石化』そのもの。


考えることを放棄してきたその脳は、スムーズに答えを導き出すことができなく

なっている。そのため、彼がこちらの問いかけに対して無言になる時間の最長

たるや、『90分』という異例の事態を発症させている。まさしく『沈黙』だ。


彼がその半生でどれだけ過酷な試練を負ってきたかは書かないし、いつまでも

過大評価するわけにもいかない。しかし、今まさに彼が大きなパラダイム転換を

求められているのであれば、彼が過去に受けたトラウマというものは、『呪い

なのだ。


『シャッターアイランド』の彼に、抗鬱剤を投与しても、その場しのぎの応急処置に

しかならない。

大きな失敗を防ぐために、応急処置を繰り返して小さな失敗で済ませるということを

繰り返していても、何の解決にもならないのだ。

ただただ、時間だけが過ぎていくだけなのだ。

時間は、永遠に返ってくることはないというのに。


社員は今内省で、どんなことを考え、想像し、反省し、どんなアイテムを使えばいい

のか。もう、『ポーション』だけでは、意味がないことは、指導を受けて二年が経つ彼

にも、わかっているはずだ。


彼の異常が一日でも早く治り、正常になり、男として強くなってほしい。

その願いは、今始まったことではない。


だが、彼が夢から覚めるには、私の想像以上の時間が必要なようだ。

内省も、自ら志願してやらなければ何の意味も果たさない。


今なら、すべての人に平等に厳しく追及しなかった、あの恩師の指導法を、

より強く納得することができる。


それも、仕方がないだろう。

私もまた、取り返しのつかないものを失ってから、初めて気づけた愚か者だからだ。

すべての人間は、愚かなのだ。

私は彼らの指導を通して、ますます恩師に感謝できたし、自分を誇らしく思えた。


私は、私の人生を突き進める。


『状況?なにが状況だ。俺が状況をつくるのだ。』

                             by 一瀬雄治
2010.05.02 Sunday

DQ的戦略

 
厳しい指導を受け、社員は思うことがあると思うが、何を隠そうこれはすべて

『必然』なのだ。


考えればわかると思うが、ダラダラ無責任に自分のことばかり考えて遊んで

ばかりいた人間に、明るい未来など切り開けるわけがない。

そんなもの、宝くじで億万長者を夢見るのと同じレベルの浅はかさだ。


でも、なぜ人生20何年生きてきて、『今』こんなに自分の愚かさと直面したの

だろうか?なぜ『今』?

この一年、一年半に、そんなに前例のない愚かな行動を連発しているのか?


違う。

今社員が自分の愚かさに直面し、向き合い、克服しなければならないと思って

いるのは、私と出会ったからだ。

表面的でない、本当の私と出会い、今社員は、必然的に、試練と向き合わされ

ている。

私と出会わなければ、社員は今のように重く悩み、苦しむことはなかった。

逃げ続けることができたからだ。


私と出会ったことを、後悔しているか?

私と出会ったことを、感謝しているか?


それは、押しつけることはできない。


だが、もし今私が言ったことが真実なのであれば、『今の状況』とは、私が作った

『必然的状況』なのだ。ではなんのために? 

試練などと向き合わずに、もっと楽しくやれないのか?

だがその疑問を、こう一刀両断しよう。


『私は、本気で富士山に登ろうとしている。そのために弱った足腰を鍛え直すのは

当然だ。』


社員に、その足腰がなかった。だからこその、現状なのだ。



社員もよく知るドラクエで答えよう。

あれには『作戦』がある。

戦闘をスムーズに運び、ただただ『勝利』するための作戦だ。

あれは、『プレイヤーという司令塔』が作戦を立て、組み立てていく。


社員Aが入社した08年1月から、社員B入社の6月、7月までは、

当然まだ信頼性もなく、すべての仕事、売上の要を私が握っていた。

社員は、あまり考えないでもできる仕事を任されていたはずだ。


その時期が、

『おれにまかせろ』
『めいれいさせろ』


だったわけだ。

だが売上も落ち、社長は経営者を実感し出し、社員は浅はかさがにじみ出た頃、

『じゅもんをせつやく』
『めいれいさせろ』


になった。

『じゅもんをせつやく』というのは、『とっておきは秘めておく』という意味であり、

それは、私が一線から退き、『おれにまかせろ』の体制を大きく変えたということで

ある。

その理由には、以前話した通り、『手柄』、『実力』というキーワードがあり、社員の

育成に大きく力を入れた、という背景があるのだ。


だがいつからだろうか。

社員が『勝手に』、『自然に』、『無意識に』、

『いのちをだいじに』

という作戦に変更しだしたのは。


つまり、『言いわけ』、『誤魔化し』、『自惚れ』、『正当化』、『自分本位』、

今社員の前に大きく立ちふさがっている、試練のことだ。

身の危険を感じ、自己防衛本能という欲望になすがままに支配され、作戦を自動的

に変更したのだ。守りに入ったのだ。

しかし、その結果は見ての通り、さんざんな結果だ。

なぜなら社員が、私の作戦を勝手に変更したからだ。


『いのちをだいじに』が今適正なのであれば、司令塔である私が、最初からそう

指令しているはずだ。


これに懲りたら、これからは私の作戦通りに動くことだ。

それは私にとって重大な責任となるが、それが組織のトップである私の役目だ。


その後、作戦はこう変更された。

『いろいろやろうぜ』
『みんながんばれ』


まさしく、『いろいろやろうぜ』とは社員が毎日思考錯誤して、自分から逃げずに

向き合い、自分の歩幅でいろんなことに少しづつ挑戦していくこと、また、

慣れた現状の仕事に満足し、自惚れてぬるま湯につかったりしないように、常に

自らの足で熱湯、茨の道に足を踏み入れていくようにさせていくこと、


そして私も、やはり手を休めることなく、自ら限界まで責務を負っていき、可能性を

開いていく、そして『みんながんばれ』とは、そんなみんなに対してのエールでも

ある。


『今、本当に大事な時。みんな、怠けることなく、出し惜しみすることなくできる限りの

力を出して、頑張って試練を乗り越え、道を切り開こう。』

ということなのだ。


そしてこれは、私が設定した、作戦なのだ。この状況は、必然的なのだ。


・・でも、何か忘れているはずだ。


『ガンガンいこうぜ』

である。


私はドラクエでは、いつでも『ガンガンいこうぜ』だった。

なぜならこの作戦こそ、『出し惜しみすることなく、全身全霊、全力でぶつかれ!』

という意味だからである。

まさに私の性格通りの、理想の作戦だ。

だが当社は、まだ『ガンガンいこうぜ』に設定したことがない。

いや、正確には、したくてもできないのだ。


わが社が全力を発揮するとき。

それは、わが社の作戦が『ガンガンいこうぜ』になったときだ。

社員が抱えている試練を克服し、レベルが上がり、体勢が整ったとき。

ようやくわが社は、100%の力を発揮できる。


私の読みでは、当然まだまだ時間がかかりそうだ。

だがある社員が今日の内省で、

『楽に生活できていることに、甘んじている。100%の力を出したい。』

と、宣言した。


今更この類の宣言など、心に打たれないが、当然、期待はいつだってしている。


早く設定させてくれ。『ガンガンいこうぜ』に。

私は、最初からそれ以外願ったことはない。


2010.05.01 Saturday

Final Fantasy Xlll

評価:
---
Square Enix(World)
¥ 6,980
(2010-03-09)

 
FFに出会ったのは、小学5年生か6年生。

FF5 が最初だった。

あの時の感動が忘れられなくて、しばらくFFには燃えられなかった。


しかし、PS3、FF13で、新たにFFが再燃した。

これをやったらもう、FF5 のことは、忘れられます。


ゲームの進化を感じられて、人生が楽しいです。

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