Salvageinfoをフォローしましょう


『悔いのない人生を。』ランキング

特別 エース『力に屈したら…

1位 天才の仕組み

2位 ジンベエ『失った物ばかり数えるな!!!…

3位 ウソップ『この一件をウソにする!!!!…

4位 ゾロ『このおれの命一つで!!…

5位 トム『造った船に!!!…




ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS

<< August 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2010.08.31 Tuesday

メタメッセージという概念〜3

 
水面下での勝負ができる人間は、表面上でどんなことが起ころうとも、水面下

での勝負を諦めないのだ。

むしろ、表面上に重きを置かない。重きを置くのは、むしろ水面下なのだ。

水面下で、必ず道を切り開こうとする。

酔ったフリをして偽りの手紙で混乱させた周瑜の『策』を見れば、『水面下での

勝負ができる人間は、表面上でどんなことになろうとも(誤解されようと。見下され

ようと等)関係ない』ということがわかるだろう。

なぜなら、あの手紙を手に取った過去の友人は、

『表面的には(騙されないぞ!)と思い、策を読んだ気になり、勝った』

と思ってしまったが、『実際に勝った(策にハメた)のは、周瑜』なのである。


周瑜が、『表面的な勝利』ではなく、『真実の勝利』が何なのかを見極めているから

できたことである。

『浅い』と、こういう失敗が起こってしまうのである。

愚かな者はこの逆、表面上に重きをおいてしまっているから、やれ『人の目を気に

する』、やれ『妬む、虚勢を張る』等の愚かな行為を繰り返し、上辺だけの内容の

ない人生を送っているのだ。


傍から見れば、まさに周瑜の過去の友人。

『浅はかな人』という位置づけなのである。

自己の重要感が満たされたくらいで勝った気になり、浅読みし判断を誤ってしまうと

いつの間にか相手の術中にはまっている、あるいは、落とし穴に落ちるなんてことは

当然のように起こりうるのである。

※自己の重要感…自分が重要人物でありたいと強く願う欲求



古今東西の兵法書で最も著名である『孫子』にはあこう書いてある。


『最上の戦いとは、事前に敵の意図を見破り、謀(はかりごと)を企ててそれを封

じること。それに次ぐのは、敵の同盟関係を分析し、孤立させること。

第三に、戦火を交えること。そして、最低の策は、城攻めに打って出ること。

城攻めは、やむをえず用いる最後の手段である。』


『孫子』で説いていることは、『戦わずして勝つ』ではなく、『戦わずして負けない』と

いうことである。

私は、この書物を解読したことはないが、人として考え方を掘り下げていくうちに

『孫子』と同じ境地まで達した部分もある。

以前知人から『孫子みたいだ』と言われたこともあるが、自分自身、『戦わずして

負けない』という心構えは、一番自分に合っている考え方だと思うのだ。

私は無理やり争いを起こしたりしたことはない。しかし、だからといって、『負けた

』とは思っていないのだ。


『負けていない』。この考え方が、自分の自信の基盤になっているといっても過言

ではない。

私の言う『採算を合わせる』という言葉を見てもわかる。

『採算とは、後で合わせるもの』だろう。

普段のスタンスが、『自らは争いを起こしていない』ということがわかる。

読んだことはないが、『孫子』で言う『最上の闘い』を、私は重んじていたのだ。


私はただの人間だ。超能力を使えるわけではない。

しかし、感覚を研ぎ澄まし、どこに集中し、何を見るかによっては、相手の心理を

見抜く、メタメッセージを見抜くことができるのだ。

相手の考えていることがわかれば、仕事の交渉でも、プライベートの人間関係でも

自分の思い通りにもっていける可能性が、ぐんと上がる、あるいは、『問題が問題と

なる前に』、事前に解決することもできるのだ。


ここをマスターしているのとしていないのとでは、この世で生きて、自己実現をしよう

と思ったときに、天と地ほどの差が出る。


『メタメッセージ』。この概念を覚えたことは、この先の人生に大いに役立つだろう。


2010.08.30 Monday

メタメッセージという概念2

 
『闘いは、何も表面的なことだけではない』ということである。 

『レッドクリフ』を観た人は、話が早いはずである。簡単に結論から言えば、闘いは

『表面上』と、『水面下』との、二つであるということだ。


表面上でど派手に戦うのは、趙雲、関羽、張飛といった武将が率いる“兵士”たち。

水面下で頭脳を張り巡らせありとあらゆる策を練り、見破り、それを操るのが、

諸葛孔明、周瑜といった“軍師”である。


ここで言える重大な問題とは、『表面的なことだけにとらわれて生きると、真実を

見抜くことが出来ない。』ということである。

真実で生きなければ、騙される、失敗する、後悔する、過信する、自惚れる、勘違い

する、自分本位になる、あらゆるデメリットがある。


現代の言葉にも、『裏番』、『影の実力者』、『黒幕』、等といった言葉があるが、

表面的に浅く生きていると、こういった存在にすら気づくことがなく、つまり、『真実を

理解しないまま生きている』ことになる。

それは、騙されていることにならないだろうか。 

『違う事実を理解したまま生きている』のだ。

『真実を知らない人間が下す判断が、正しいはずがない』だろう。


このことをよく考える必要がある。

『真実』を考える、見抜くということは、自己実現にはとても重要なことだ。

水面下で起きていることを、見抜けるような人間になることがとても重要だ。

あるいは、それを見抜けるような人間についていく、判断を仰ぐのが正解だろう。


レッドクリフでも、軍師の策を中心にして、戦略が立てられていたのを見たはずだ。

あの赤壁の戦いでもわかるように、世の中には、分の悪い勝負というものもたくさん

ある。

たとえば、私がいくら体を鍛えても、相撲取りに囲まれたらとても歯が立たない。

そんなことはあり得ることだ。私は実際池袋の飲み屋街で、それに近い体験をして

いる。

少人数対多人数、幼い子供対成熟した大人、ひ弱な女対屈強な男、サラリーマン

対権力者、実にたくさんの事例が考えられるだろう。


しかし、あのレッドクリフの様な闘い方がある。

『策』を用いて臨めば、困難な道とて、切り開けるのだ。

そのときに『もう駄目だ』と、表面的な大きな力に屈してしまう人間は、普段を表面的

に生きている証拠である。

『勝負が、表面上だけのもの』だと思っている証拠である。


『喧嘩、口喧嘩に負けること、力で負けること、武力で負けること、権力、財力で負け

ること』そういったことで、勝負を判断してしまっている、浅はかな考えだからである。


そういう人間は、その逆のパターン、『表面上のその項目で優位に立ったから、

俺の勝ちだ』と思ってしまうのだ。


これでは、“水面下”で勝負を企む、レッドクリフで言えば“軍師”の策を見破ることが

出来ない。操られるのがオチだ。
2010.08.28 Saturday

メタメッセージという概念~1

 
さて、ハーバード教授の本を読み進めると、また新しい概念を発見した。

それが、『メタメッセージ』という概念である。

サイト作成に携わった経験のある方なら、スムーズに理解できることだろう。

サイトで言えば、ソースの中にあるhtmlタグに、『メタ』というタグがある。

ここで言うメタメッセージとは、一つのメッセージの中に、別のメッセージが

含まれているということを指す。暗示的なメッセージである。


たとえば、夕食会で主催者が時計を見ながら、

『楽しい時間は早く過ぎてしまうものですね。いつの間にかこんな時間になって

しまいましたね。』

などと発言したら、ほとんどの招待客は、『夕食会が終わった』というメタメッセージ

を受け取ることになる。


ここで学べる大事なことは、『表面的な言葉の裏に、入り混じった複雑なメッセージ

や、メタメッセージがあることに留意することで、相手の考え方をよりよく理解する

ことができる。』ということだ。

(※暗示…物事を明確には示さず、手がかりを与えてそれとなく知らせること。)


つまり私は、この『メタメッセージ』を解読する能力が、人様よりほんの少しだけ

長けているということになるのだ。


たとえば『慇懃無礼(いんぎんぶれい)』という言葉があるが、いくら表面的に綺麗

なことを言って見せても、その内面では相手を見下していたり、侮辱していたりする

ことがある。

(※慇懃無礼…表面は丁寧で礼儀正しいように見えるが、実は尊大で無礼なこと。)

(※尊大…いばって、他人を見下げるような態度をとること。高慢。横柄。)


つまり私は、『どんなに表面的なことが綺麗にかたどられていても、その内部に隠さ

れたメタメッセージを読み取る』ことができるということ。

そして私は、『言葉(メッセージ)』だけではなく、『行動(トーン・態度)』などからでも、

それを見分けられる。

だからこそ、私が『違和感』を感じたときは、『悪いメタメッセージを読み取った』という

瞬間なのだ。

だから私に対して綺麗なことを言うときは、


『メタもろとも綺麗になっていなければいけない』


ということだ。


『闘い』というものは、表面的なことだけではない。多くの人間は、それを表面的なこ

とだけで判断してきただろう。

『強い・凄い』=喧嘩が強い、力が強い、金持ち、女にモテる、意見を強く言える、気

が強い、豪快、

実にこれらの表面的な条件を満たしていれば、多くの人の脳は誤魔化されてしまっ

ていることだろう。


また、『表面的に上手くやっていれば、自分もその相手と対等だと思ってしまう』と

いう現象は、私と私の周りの人間関係を見ればわかる。

果たして何人の人が、『私が周りのレベルに落として合わせていた』と考えることが

できるだろうか。

答えは限りなく0に近いだろう。


みんな、『あいつは対等な一人の友人』だと思い込みたいのだ。

私の陰での支えなしでは、自分勝手で臆病な、劣等感で固められた彼らは、いろ

いろなことをここまでやっていくことはできなかった。

しかし、それを認めてしまうと、自分の無力、無知さを認めることになってしまう。


そして私との関係も、対等でいれなくなってしまう。

みんな、どこかしら自分に対して劣等感を感じている人間の集まりだった。

大人になりたくない、ピーターパンシンドロームの集まりだった。

対等な関係が居心地がよく、劣等感なくみんなと過ごすことができた。

あるいは一部の人間を見下すことによって、自分の劣等感を慰めていた。


その絆は浅い。

一人、また一人と消えていっても、誰も止めない、止められない。

『このメンバー一人も欠けることなく、なにかでっかいことしてやろうぜ!!』

と、熱い気持ちでメンバーを思っている奴は、どうやらいなかったようだ。

そういう、熱く、前向きで、心底誇れる集団には、なれなかったようだ。

私は、『仲間』と認めて生きる以上、心の底から誇れる仲間を求めたい。


我々は、もうCHERRYとして、新たな海へと航海を進めたんだ。

過去の友人関係とは180度違うこの厳しい環境で、けじめをつけ、新たなる

ステージへと向かって、残りの人生自分の限界に挑み続ける。


幸いなことに、まだ人生は、半分も過ぎていない。
2010.08.27 Friday

メタメッセージという概念~前章~

 
メタメッセージの説明の前に、少しだけ偉そうで生意気なことを書かせていただ

こう。



私が洞察力に優れると自称し、恩師に『人間ウォッチャー(観測機)かお前は』と

言わしめ、社員に『表面的なことは俺には通用しない』と話した理由は、真の私に

触れれば必ず理解ってくるはずだ。

しかし、私が言ったときにすぐ理解し、

(だとしたらもう絶対に誤魔化せない、逃げ場なんてない、もうやるしかない)

と考え、やらなければいけないのだが、『理解にかかった時間がその人の歩幅』だ。 

例えば弊社の社員で言えば、普通の人が一度でわかることを、10回、20回かかっ

てしまうのが社員の歩幅なのだ。


それについて『悔しい』というプライドを持ち合わせるのであれば、今後の人生、今

までの10倍、20倍神経を研ぎ澄ましていく以外にない。2倍、3倍ではない。


単細胞な人間はもちろん、

(※単細胞…考え方が一面的で単純な人。物事をあまり深く考えないタチの人。)

成功している会社社長、怖い先輩、(そもそも私は某重要人物の心理戦に勝って

謝罪させ、独立の道までつないでいる)、取引先、その他たくさんの、癖のある策士

や、人間への対応、数々の駆け引き、心理を見抜き、問題が起こる事前にそれを

推測し、深読みし、対処するということ、

この私の能力の重要性を、社員は一日も早く理解しなければならない。

(もちろん私以上の人間は五万といる。)


そうじゃないと、

『知らないところで動いてもらっている(俺は浅い。社長は深い=深すぎてなにを

やってるか見えない)』


ということになり、その状態は地元の悪友たちの連中と、同じ領域ということに

なってしまう。

知らないところで、私という大きなバリアに守られているのだ。

何度、飲み込まれるようなことがあったか、社員は、知らないのだ。 

そんな私の意見に真剣に耳を傾けないということは、何も理解っていない愚か者に

なってしまうのだ。


だが、私が人生で付き合ってきた人間など、社員も含めて、その『愚か者』の類だ。

私の方も、パラダイム転換をしなければならないことが、あるだろう。


                             メタメッセージ前章     
2010.08.24 Tuesday

新・ハーバード流交渉術

 新・ハーバード流交渉術


この本が教えてくれた英知の一つとして挙げたいのが、なんといっても

『メタメッセージ』という概念である。


メタ=隠喩


つまり、メッセージに、もう一つの隠れたメッセージが込められているというものを、

メタメッセージと呼ぶ。

例えば、ホームパーティの主催者が宴もたけなわの最中、

『ああ楽しい!・・あ、でももうこんな時間か!』と言ったら、出席者の大半は、

(もうそろそろ潮時だ)というメッセージを受け取り、後片付けを始める。


このように、直接的で露骨なメッセージを伝えなくても、メタメッセージとして意思を

伝え、コミュニケーションを取る手段があるのだ。


この存在には何となく気付いていたが、この本に出会えたことで、よりそれが明確になった。

これを理解できれば、ワーク、ライフ共に、超有効活用できることは間違いない。


優しい人は、相手の気持ちを傷つけないよう配慮できる、気のきいたいい人に。

厳しい人は、立ちふさがる人生のあらゆる試練という壁を破り、向上していけるだろう。


そんな、人生の強力なサポートの役目を果たしてくれる英知が、

この本にはあるのだ。



新・ハーバード流交渉術

2010.08.22 Sunday

ちゅっちゅが教えてくれたこと


 少年、フウのところにある日突然やってきた子悪魔のチュッチュ。



二人は仲良しになり、いつも仲良く遊んでいた。 

チュッチュは、はじめてできた友達に、心が満たされる思いだった。 


ある日、フウの家に行くと、病気のおばあちゃんが寝たきりになっていた。

おばあちゃんは優しくて、友達のいなかったフウのことを思い、

「いつまでも仲良くしてあげてね。」とチュッチュにいった。



フウがこっそりとおばあちゃんの病気が治るように祈っているのを見てチュッチュは、

 本当におばあちゃんが大好きなんだな。と思った。 


それから数日たった日のことだった。苦しそうなおばあちゃん。

フウがお医者さんを呼びに行っている間にチュッチュに言った。



「そうかい、もうお迎えが来たんだねえ・・

チュッチュ。

ありがとうねぇ、これからもフウのお友達でいてねぇ・・

お願いねぇ。」 



お医者さんを呼びに言ったフウは、

町の人達から

『悪魔と仲良くしてるやつは町から出て行け!!』

と罵声を浴びせられる。



やっとの事で家に辿り着いたフウは、

チュッチュがおばあちゃんに何かしてるのを見てビックリした。 


「何してるの!?」



その直後、チュッチュは怪物のような悪魔に変身して暴れだした。


「わっはっは!お前のばあさんの命は美味かったよ」 


裏切られた思いで、泣きながらチュッチュに棒切れで向かっていくフウ。


「ぎゃああああ!」


空にふらふらと飛んでいくチュッチュ。

悪魔をやっつけたということで町の人達は口々に少年を誉めてくれた。 

チュッチュは町中の信頼を取り戻した。



その頃チュッチュは、元の姿で木の下に座り込んでいた。


「苦しいんじゃろう?お前はおばあちゃんの病気を食べたんじゃな・・」 


と樹のおじいさん。


大きな樹は泣き続けた。

それはまるで山全体が泣いているようだった。 

その涙がこぼれた後から小さな花が咲き始め大きなお花畑になった。


家に戻ったフウは、おばあちゃんが元気になっているのを見て、

本当の事が判り慌ててチュッチュを追いかけた。 




チュッチュー!チュッチュー! ごめんよー!君を信じてあげられなくて。

でも本当の事が判ったんだ。いつまでも友達だろう?

ねェ、チュッチュー!

もう一度遊ぼうよ・・・




そしてフウは二人が出会った大きな木の下にやって来た。

そこは少年が見たことも無い大きなお花畑になっていた。



「ずっと二人は友達って彫ってある!チュッチュはここに来たんだ!」 



フウは涙が止まらなかった。



そこにはただ、チュッチュと同じ色をした赤い花が、

柔らかい風に包まれて気持ち良さそうにしていた。 







この絵本の意味するところは深かった。 

この絵本は、私に足りないところを的確に表現していた。 

私は恩師ともいえる先生たちにそっと後押しされながら、自分が本当に立ち向かう

べき存在と立ち向かおうと思った。 


それは、自分と向き合う、ということだった。


この「勇気」は、これからの自分の新しい人生に強い影響を与えるだろうと思った。


 「更生」。 


更生なんかするか!俺は施設を出ても不良をやめるつもりはない。

やめるやめないの話じゃない。自分の人生だと思って貫いたことが不良になるなら、

俺はそれを悪いとは思わない。 

自分の人生だから。操り人形じゃないから。 


しかし。 「更生」。 


それは、なにもメガネをかけ、ガリ勉になるという意味ではない。

真面目くんになって、今までつるんできた友達を「不良交友」だと切り捨てて、

当たり障りなく生きていくということではない。

私は、そう考えるようになった。 


なぜなら、「更生」とは、「更に生きる」と書くということを、恩師に教わったからだ。


施設に入った。父親が死んだ。

しかしなおも続く自分の人生。

嫌だといってもいずれは必ず施設を出る。

そしてこれからどんなことがあっても生きていかなければいけない。


人を殺してしまった人は、そこからまた罪の意識を背負いながら、

生きていかなければならない。

それであれば、これからの人生、どう生きて、どう死ぬか。

何があっても、ここから更に、生きていかなければならないんだ。



ちゅっちゅから学んだことは、私の人生にとって衝撃的だった。

それを見た17歳の当時では、『俺はちゅっちゅのようなことはできない。』と

思った。


あれから10年。

ちゅっちゅ、施設で学んだことを、私なりに試行錯誤してきた。


だが、現実は物語のように、スムーズでもなければ綺麗でもなかった。


だけど、私は今、人生の一つの転機にいると思っている。

私はここへきて、もう一度、ちゅっちゅが伝えていることを、考え直していこうと

思うのだ。



自分のために生きて、人を悲しませた。

人のために生きて、馬鹿を見た。


一体、どうすればいいのだろうか。


でも、本当はどこかでわかっている。


残りの人生で、自分のことを最後に考えられるような、大きい人間になりたい。

2010.08.21 Saturday

犠牲心 ちゅっちゅ

 
私が見て見ぬフリをしていたもの。それは、自分の中の「良心」。

本当は、こうした方が良いと思っているのにその気持ちを押し殺す。

見栄や外聞、人の目や評価を気にして、素直な、本音の気持ちを見てみぬフリを

して正当化する。

冷たい人間を装って、面倒なことに関わらない。

関わらなければ、自分が傷つくことがないからだ。


“本当は”、皆が平和に生きて、仲良く協力し合って、笑って生きていければいいと、

願っているのに、その気持ちを押し殺し、自分だけが生き残ればいい。そういう考え

方になってしまっていた。普段人に真面目なこといってるのにこれじゃ、偽善者だ。


このまま成績がよくて、「他のやつらとは違う」という見下した気持ちのまま施設を

出てしまっていたら、どうなっていただろう。きっと、いずれ上に立つ日が来たとき

に、そこから崩れてしまうだろう。人を、人と思えないような人間に、人はついてい

くことはできないだろう。本当の人格者なら、一人だけ生き残ろうなんていう考えは

起こさないだろう。私は、そうなりかけていたということだった。


早く出ないと母親が〜とか、いろいろと理由はあったが、それは私の院の中の普

段の行いにはふさわしくない考えだった。それだけ、私が周りに与えられる影響は

大きかった。責任があった。

そんな影響を与えられる人間が、見て見ぬフリをして、こそこそと一人だけ助かろ

うとしたら、それは先生たちも怒るだろう。

お前には、もっとやってもらわないと困る。ということだった。


触らなかった腫れ物は、あった。母親?母親母親というが、私は一生母親のことを

気にして生きていくのか。この現実に気付くのは施設を出てからのことだったが、

今思えば、家族のことを一番に気にして生きる道を選ぶということは、自分が、自分

らしさを捨てて生きるということだった。

父親を死に至らせた私に、自分らしく生きる権利はあるのか?私は悩んでいたが、

施設を出たあと、私はある考え方を優先する生き方に変わった。


それは、「居心地」というものだった。

つまり私は、「いち早く出院する」という目先の自分本位な目標ではなく、「何を優先

して生きていくか?」という、これからの人生で私がもつべき目標、志、心構えという

ものを、この施設で学んで、本当によかったと思っているのだ。


そういえば、私が自分のその問題に気付く前、ある先生が私にこう言ったことが

あった。


「一瀬には、言うことはないって感じだな。よく頑張ってるよ。・・・ただ。

これを読んでみてくれないか。」


そういって渡された本は、絵本だった。

実に簡単な絵本だった。

そのときは、なぜこの本を私に渡してきたのか、見当がつかなかった。

というより、気持ちを押し殺して正当化してきた私には、そのサインに気付く「素直さ」

そして、「勇気」がなかった。


━その本は、こういう内容だった。   つづく。
2010.08.19 Thursday

成功哲学

 成功哲学


この本も、近くに置いて、人生で何度でも読むべき本だ。

この類のタイトルにはうさんくさい本もあるが、この本は違うと断言する。

私は17歳の頃、かつての恩師に『人間ウォッチャーかお前は』と持ち前の洞察力を

呆れられたことがあるが、あれから10年、私の見識は更に磨かれているはずだし、

宗教への誘いでもない限り、信じていただいて結構だ。


むしろ、この本が説くのは『自分を信じろ』という、単純で、最大の、自己実現への近道である。

『思考は現実化する』と共に、『信念』の重大さを説く本だ。


『信念』があるというのは、どうしてここまで崇高さを感じるのだろう。

立派な賢者でも、未熟な見習い刑事でも、不良やマフィアのボスにでさえ、

どこかで崇高さを感じてしまうのは私だけだろうか。


デカルトは、『我思う、故に我あり』と言ったらしいが、『信念』というものは、自分の存在そのもの。

複数になると、その善悪の基準が変わってくるかもしれないが、

『信念』自体に間違いなどないのではないかと、私は思うのだ。


だからこそあらゆる『信念』が世に溢れているし、『信念』が、時に大きな自己実現、

成功を見出すのではないだろうか。



成功哲学

2010.08.18 Wednesday

神経の糸

 
>人の気持ちを考えながら、嫌な気分にさせないのは神経がいる。


社員が人の気持ちに鈍感だったり、流されてしまったり、浅読みしてしまうのは、

こういう理由がある。


・無神経

・自分本位(他人のことなどどうでもいい)

・甘え

・楽を求めている

・単細胞、単純

・何も考えていない

・流されて、取り返しのつかない大きな失敗を経験していない

・反応的

・自分が『楽しませてもらおう』、『リードしてもらおう』と思っている、お客様、
子供気分

・人の気持ち、場の空気を読む努力をせず、自分の色をおどおどと醸し出し、
同情を誘い、甘んじて人や、場に、自分の色をわかってもらう。決して『紫』に
する努力はしない。



『神経がいる』と表現しているがその通りで、もっと正確にいえば、神経は最初から

誰にでもあるので、『神経を使う』という表現が正しい。


今までが無神経すぎただけだ。

神経を使えば、土日祝日の娯楽イベントの、何も注意することなく、漏れのない動き

ができるはずだ。

だがあれは当然の動きだ。

小学生が遠足に行く時に意気揚々と持ち物を準備するのと同じ感覚である。

つまり、小学生でも用意周到な動きはできるのだ。


まずは人目を気にせずに行動できる一人の時に神経を使う努力をし、しみつかせ、

いよいよ自分にとって難関な対人関係で『気が利く人間』になれるように、神経を

使っていけ。

社員が『赤』、私が『青』だとしたら、私のような絶対『青』を曲げない人間は珍しい

が、そういう人間との間では、自分も同じように『青』に色を合わせたほうがトラブル

を避けられる。日本人に多い傾向が、まさにこれだろう。

私のような人間に、『赤』を強く主張しても、衝突、対立するだけだ。

特に自分の社員や家族ともなれば、自分の色に染めようとする気持ちが強くなる。


当時の社員は、油断した瞬間に『赤』を出し、それが『楽を求めるな』とされ、戒めら

れたはずだ。

だが会社では、常に『』になることを求められる。

一番難しいが、一番やる意義があり、それだけの価値があることだからだ。


まずは人、空気に『調和』し、紫色に染めていけ。

神経を常に張っておくのは体力がいる。ちょうど、糸のようなものだ。

ぴーンと張り続けていれば、切れてしまう恐れもある。

糸を緩めて、その危険を回避して、自分を守っていたいと思ってしまいがちになる。

それに、その糸の張り具合は、『他人には見えない』という錯覚に陥ってしまう。

だから、自分に甘い人間は、徹底的にその糸を、緩めてしまう悪い癖がある。

しかしそれが油断につながって、失敗、ミスを繰り返してしまうのだ。


つまり、気が利く、できる人間というのは、『その糸は見えている』ということを知って

いるのだ。

神経を使ってタバコの差し入れでも持っていけば、相手はこっちの気持ちに配慮を

感じ、喜ぶだろう。

1分程度大丈夫と約束の時間に遅れて登場すれば、相手はこっちの無神経さに

苛立ち、不信感を覚えるだろう。


娯楽日のようにテキパキと動けば、しっかりと準備して、戒めて、自分に厳しく行動

したことが垣間見える。

油断したときにとろとろと動き、口調は鈍くなり、声も小さくなり、二やつき、浮ついた

行動をとれば、『勘違いしてやがるなこいつ』と思われるのは当然だろう。


糸は見えている』のだ。


どれだけ、人のためにその糸をぴーンと張ることができるか。

つまりは、『自分本位』から、『他人本位』になれるかということが、やはり根底にあるのだ。
2010.08.16 Monday

思考は現実化する

 思考は現実化する


この本もすごい。

衝撃的だ。

こんなタイトルの本、以前だったらまず手に取らなかった。

だが、ある日名古屋のコンビニで、この本の10分の1ほどの薄さの、

読みやすい図解版を買ったのだ。そこからが始まりだった。


プラスαの魔法、代償の法則、エジソンの思考、性エネルギーの転換、

マスターマインド組織、分散理論、


もう、生涯忘れられることがないだろう、英知を与えてもらった。

そして同時に、こういうった経験をするとき、私のエネルギーが増幅する理由がもう一つある。


それは、『私が考えていることと、同じことが書いてある』という、確認である。

これは私以外にわかる人はこの世に一人もいないし、嘘だろうと、後付けだろうと、

心ない人に話せば疑われるかもしれない。


だが、私のエネルギーが大きく増幅するのは、間違いないのだ。

結果を出し、それを証明したいと思うのだ。



思考は現実化する

Salvageinfoをフォローしましょう