2012.08.31 Friday
ワイパー『大地は 敗けない!!!』
ワイパー『大地は 敗けない!!!』
『エコロジカル・フットプリント』とは、
人間が、『資源確保の為に地球を踏み荒らした足跡』である。
地球の資源は、もうとっくの昔に限界がきている。
今の日本人の消費量を、世界中の人が真似をすれば、
地球は2.3個必要になってくる。
アメリカの水準であれば、5.4個だ。
発展途上国が、発展する事を祈る一方で、
それが実現してしまったら、
地球はあっという間に滅びてしまうというジレンマを抱えている。
これは、およそ8000年前の地球に広がる原生林と、
現在の原生林の分布図。
資源確保の為の直接的なエコロジカル・フットプリント、
より利便性を追求したいと願った人間の、
エゴイズムと言う事も出来るテクノロジーの発展により、
間接的に踏みつけたエコロジカル・フットプリント。
エゴ(利便性)を求め、エコ(環境保護意識)を失う。
植物がなくなることが何を意味するか。
我々は、そのことを絶対に忘れてはならない。
もしオゾン層が弱まり、なくなれば、
たちまち人は太陽の紫外線で焼き尽くされる。
放射能どころの騒ぎではないのだ。
共存共栄、
いのちは、繋がれる。
そしてそれは、人間だけが抱えているテーマではない。
地球のリーダーを名乗る人間は、
それに自惚れれば、
いつか必ず打ちひしがされるだろう。
『地球のことを考えたら、本当は人間なんていない方がいいんだ。』
by宮崎駿
今の地球の反応(温暖化、天災、大自然の減少)は、
地球の、人間に対する『拒絶反応』なのだろうか。
宮崎駿は、"過激派"なのだろうか、
それとも、
"真実の人"なのだろうか。
その答えは、それぞれの目で、心で、見極めることだ。
『ムダだ…エネル…お前には落とせやしない』
ワイパー『大地は 敗けない!!!』
ワイパー『大地は 敗けない!!!』
2012.08.30 Thursday
コニス『祈る前にできる事をやらなくちゃ 動かなければ!!』
コニス『祈る前にできる事をやらなくちゃ 動かなければ!!』
私はおそらく一生涯無神論者だが、
それには深い深い理由がある。(長いからここには書かない)
私は物ごころがついたときから日曜日や休日は教会にいたから、
祈る人をたくさん見てきた。
実にたくさん、この目で見てきた。
よくはわからないが、
最愛の親もやっているし、優しい親の友人もやっているし、
特に疑問を持たず、私もそれに同調していた。
まだ何が正しくて、何が間違っているかという『規範意識』が、
無に近かった頃のことだ。
祈る事。
それ自体はむしろ、良い事だ。
例えば、クリスチャンは食事の前にお祈りをする。
『今日も美味しいご飯を与えてくださって感謝します。』
これを祈ることで、毎日の食事が当たり前だと思い上がらなくなる。
謙虚さを忘れない、感謝の気持ちを忘れない、
清々しい精神状態になる。
当たり前だと思う傲慢な舌で食べるご飯は味を落とすが、
途上国や戦中、苦労して育てた農家の人のことを考えれば、
感謝の気持ちに溢れ、ご飯は本当に美味しくなる。
私と似たような葛藤を抱える身であったデール・カーネギーは、
著書『道は開ける』で
『祈り』について、こう書いている。
『科学と宗教の対立が話題になった事もあったが、今はない。
最新の科学である精神医学は、キリストの教えと同じことを教えている。
なぜか?
それは、われわれの病気の半数以上が、
悩み・不安・緊張・恐怖から起こる事。
祈りと信仰はその原因を追い出してしまう事を精神分析医が理解しているからである。
彼らは、自分達の指導者のひとりA・A・ブリル博士が
『真に宗教心の深い人間は神経症には冒されない』
と言った事も知っている。』
また、『祈り』がもたらす実用的な例を三つ挙げている。
一、祈りは、私達が何のために悩んでいるかを言葉で正確に表現する助けになる。
実態があいまいでハッキリしないうちは、問題に対処することは不可能である。
祈りはある意味で、問題を紙に記述することと似ている。
もし問題の解決に助力が欲しいのなら、相手が神であっても、
それを言葉で表現しなければならない。
二、祈りは私達に、自分ひとりではなく、
だれかと重荷を分担しているような感じを与える。
人間は重い荷物やとても耐えられない苦悩を独力で耐えていけるほど強靭ではない。
場合によっては近親者や友人にさえ打ち明けにくい悩みもある。
そういうときは、祈りあるのみだ。
精神分析医は口々に、圧迫感や緊張感にとらわれたり、苦悩しているときに、
それを他人に打ち明ける事は治療上にも効果があると言っている。
だれにも話せないときには──いつでも神に訴えることができる。
三、祈りは、行為という積極的な原理を強制する。
これこそ行動への第一歩である。
毎日、何かが成就されるように祈るのは、必ず何らかの恩恵にあずかっているか、
少なくとも成就しようと努力しているからに違いない。
アレクシス・カレル博士は言う。
『祈りは人間が生み出しうるもっとも強力なエネルギーである』
と。
なぜそれをもっと利用しないのか?
自然の神秘な力が私達を支配している限り、それを神と呼ぼうと、
アラーと呼ぼうと、はたまた霊魂と呼ぼうと、
その定義にこだわる必要はないではないか?
これを読めば、私のような懐疑論者であっても、信仰や、祈りの重要性を、
"頭で理解"できる。
ある牧師は、
『聖書は理解するものではない』
と言ったが、懐疑論者にとっては頭で理解することは、とても重要なのだ。
祈りの重要性は理解った。
だが、これを見てもわかるように、
『祈り』とは、『自分の身を守る為の究極のエネルギー』である。
私の親も、複雑な過去や、人生の悩みを抱えて生きている。
その悩みや憂いで、押しつぶされて死んでしまうよりは、
私は親に、祈りを続けてほしいと思う。
だが、
時に"自己防衛"とは、
視野を狭くし、
大局での判断を見誤る。
前述した、
三、祈りは、行為という積極的な原理を強制する。
これこそ行動への第一歩である。
という部分から目を逸らしてはならない。
『祈る』ことはあくまでも、人生を清々しく生きるために行う、
『行動』の一つ。
いざというときには、
それよりも優先にしなければならない場面があるということを、
忘れてはならない。
コニス『祈る前にできる事をやらなくちゃ
(中略)
動かなければ!!
後から誰かを恨んでも…!!!
自分の命は守れないっ!!!!
国を捨てる決断を!!!!』
『祈り』も大事だ。
だが、
自分を含めた人の命は、もっと大事なのだ。
コニス『祈る前にできる事をやらなくちゃ 動かなければ!!』
2012.08.29 Wednesday
ゲーミフィケーション
ゲーミフィケーション
ゲーミフィケーションとは、
ゲームの要素を、他の社会活動に応用する行為のことである。
例えば、『万歩計』。
あれも、ゲーミフィケーションの一つである。
確かにそれによって人は、退屈なものを楽しく考える事が出来る生き物だ。
倫理に反することなくゲーミフィケーションを応用することは、
人間にとって一つの叡智であることは間違いない。
つまり、
『インセンティブ(動機づけ)』と、
『煽情的(欲望を煽ること)』という言葉が持つ意味は微妙に違うが、
乃木坂46、韓国歌手のセクシーな衣装や踊り、グリーの『コンプガチャ』然り、
これらのインセンティブを考える時、背景にある絶妙な倫理観に抵触さえしなければ、
それは人間の、立派な叡智なのである。
ファミコンが一家に一台あった我々の世代からすれば、
今後ますますゲーミフィケーションの可能性を、
歓迎するばかりである。
ゲーミフィケーション
2012.08.29 Wednesday
働き方の教科書
働き方の教科書
やはり、新(あたらし)氏の意見にはいつも、感銘を受ける。
前回読んだ『経営の教科書』では、『膨張』と『成長』の違いや、
『ビッグカンパニー』ではなく『グッドカンパニー』を目指さなければいけないこと、
『ジンザイ(財、材、罪)』の考え方等にとても深い感銘を受けたが、
今回も同じように、勉強になる事ばかりで頭が下がる。
例えば、平均寿命から現在の年齢を引いて、365日を掛け、
24時間から睡眠時間を引いて出した、『人間の"余"時間』の考え方。
例えば私なら、
(80-29)×365×(24-7)=316455。
つまり、約30万時間が、自分に残された活動時間なのだ。
これは、もし自分が
(もう土曜日か)、
(もう月末か)、
あるいは、
(もう1年経ってしまったのか)と実感することがあるのであれば、
どれだけ自分の持ち時間が少ないかがよく理解できるはずである。
だとしたらやるべきことは一つだ。
これは、『どう働くか』とかいう表層的な話などでは収まらない。
"人生の先輩と認められる人"から、
"聞くべき意見"をしっかり聞いて、
自分の人生を悔いのないように、生きるべし。
働き方の教科書
2012.08.29 Wednesday
バブルの物語
バブルの物語
日本のバブル崩壊を予期していた、ガルブレイス。
ケネディ政権でインド大使を務め、ハーバード大学で教鞭をとる同氏は、
1636年のチューリップ狂の経験以来、
何も変わらないある法則を見極めていた。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。
これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、
この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて
進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
確かに、ドストエフスキーのいうように、
『金こそは取るに足らない人物を
第一級の地位に導いてくれる唯一の道である』
という事実はある。
だが、
その真理を歪曲して解釈し、自惚れたら最後。
破滅への第一歩へと、道を踏み外したと戒めなければならない。
そういう謙虚さを人間は持てるか。
各人の一生にそういう知性が、試される。
バブルの物語
日本のバブル崩壊を予期していた、ガルブレイス。
ケネディ政権でインド大使を務め、ハーバード大学で教鞭をとる同氏は、
1636年のチューリップ狂の経験以来、
何も変わらないある法則を見極めていた。
『個人も機関も、富の増大から得られるすばらしい満足感のとりこになる。
これには自分の洞察力がすぐれているからだという幻想がつきものなのであるが、
この幻想は、自分および他の人の知性は金の所有と密接に歩調をそろえて
進んでいるという一般的な受け止め方によって守られている。』
確かに、ドストエフスキーのいうように、
『金こそは取るに足らない人物を
第一級の地位に導いてくれる唯一の道である』
という事実はある。
だが、
その真理を歪曲して解釈し、自惚れたら最後。
破滅への第一歩へと、道を踏み外したと戒めなければならない。
そういう謙虚さを人間は持てるか。
各人の一生にそういう知性が、試される。
バブルの物語